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見過ごされてきたフロン類の排出過程 - 東日本大震災の事例が問いかけるもの(斉藤拓也 氏 / 国立環境研究所 主任研究員)

2015.06.10

斉藤拓也 氏 / 国立環境研究所 主任研究員

国立環境研究所 主任研究員 斉藤拓也 氏
斉藤拓也 氏

 東日本大震災では、オゾン層破壊や地球温暖化の原因となるフロン類が大量に大気中に排出された(2015年4月8日ニュース「東日本大震災でフロン類大量排出」参照)。フロン類はエアコンなどの冷媒や断熱材の発泡剤などとして建物内で広く使われているため、こうした建物が災害によって倒壊すればフロン類が漏えいするのは至極当然のことのように思われる。しかし、今回のような大量排出は予想されていなかった。本稿では、フロン類の変遷と排出量の推定手法について解説した上で、なぜ災害に起因する排出がこれまで見過ごされてきたのかについて述べたい。

フロン類の移り変わり

 いわゆるフロンガスとして知られるクロロフルオロカーボン(CFC)は、化学的に安定で容易に液化できる上、人体に無害で引火する危険性が無い。夢の物質として登場したフロンは、エアコンの冷媒をはじめとするさまざまな用途に用いられてきた。しかし、CFCがオゾン破壊の原因物質であることが明らかになると、オゾン層への影響が軽減されたハイドロクロロフルオロカーボン(HCFC)がCFCに代わって使われるようになり、その後さらにハイドロフルオロカーボン(HFC)への転換が進んだ。

 第三世代のフロンであるHFCはオゾンを破壊することは無いものの、CFCやHCFCと同様に強力な温室効果ガスである。現在、フロン類はオゾン層の保護と温暖化の緩和という二つの点から排出削減が求められている。

フロン類の排出量をいかに推定するか:ボトムアップとトップダウン

 ほとんどありとあらゆる人間活動に伴って放出される二酸化炭素(CO2)や自然界からも発生するメタンなど他の温室効果ガスと異なり、フロン類の排出源はエアコンや冷蔵庫など特定の製品に限られている。従って、これら特定製品からの排出量を抑えることがフロン類排出量全体の削減につながる。

 排出源が限られていることは、排出実態を把握する上でも都合がよい。特定製品のそれぞれについて、排出係数(例:エアコン1台当たりのフロン漏えい量)と統計データ(例:エアコンの台数)を基にした排出量の推計を行い、それらを集計することで地域や国全体の排出量を得ることができる。ボトムアップ法と呼ばれるこの推定手法は、実際に日本の公式排出量の推定に使われている。

 ボトムアップ法と並ぶもう一つの推定手法に、大気中の濃度から排出量を推定するトップダウン法がある。トップダウン法は、排出量の増減(原因)から大気中の濃度の変動(結果)を推定するのとは逆に、結果である大気中濃度から原因である排出量を推定するため逆推定手法とも呼ばれる。

2つの推定値−震災後に見られた食い違い

 われわれは、沖縄県波照間島、北海道落石岬、岩手県綾里の3地点で得られたフロン類の大気観測データをトップダウン法によって解析し、震災後の1年間におけるフロン類の排出量が例年より大幅に増加したことを明らかにした。一方、ボトムアップ法による2011年の推計結果は例年と同程度で、何の異常も示されていなかった。

 二つの推定値が食い違った原因として、ボトムアップ法では建物の倒壊などに伴う排出が十分考慮されていなかったことが考えられる。その一例として、オゾン層保護のため1996年に生産が禁止されるまで、建築用断熱材の発泡剤などとして使われてきたCFC-11について述べたい。

 ボトムアップ法では、建築用断熱材の平均使用年数が30年とされていることに基づいて、CFC-11は30年かけて全量が環境中に排出されると仮定されている。しかし、30年未満の建物解体などに伴う排出は考慮されていないため、震災による建物の倒壊などでCFC-11が残存する断熱材が廃棄された場合にも、その排出量はゼロとみなされてしまう。

 一方、トップダウン法では、震災後におけるCFC-11の年間排出量が例年より約7割も多かったことが示された。96年の全廃以前に生産され、断熱材の気泡中に長期間閉じ込められてきたCFC-11が、建物の倒壊やがれき処理の過程で一気に大気へ漏出したものと考えられる。断熱材の他にも、壊れたエアコンや冷蔵庫などからのHCFCやHFCの漏出が想定されたが、ボトムアップ法による日本の公式推計値には十分に反映されていない。ボトムアップ法で推定を行うために必要な各種データ(壊れた機器類の台数、それらに含まれていた冷媒の種類や量など)が限られていたことなどが原因と考えられる。

より正確な排出実態の把握に向けて

 米海洋大気局のスティーブ・モンツカ博士は、われわれの震災によるフロン大量排出に関する論文のプレスリリースに次のようなコメントを寄せている。「排出量の推計をボトムアップだけに頼るのは、自分の体重を量らずにダイエットするようなものだ」

 食事の量を記録して日々の摂取カロリーを知ることはダイエットの基本だが、時々体重を量ってダイエットの効果が表れているかを知ることも同じくらい重要である。食事の記録簿上は節制しているのに体重に反映されていなければ、見落としていた深夜の間食に気が付くこともあるだろう。フロン類の排出削減についても同じことが言える。

 東日本大震災の事例は、信頼できる統計データが限られる災害時には特に、ボトムアップ法のみで正確な推計を行うことが困難なことを示している。一方、トップダウン法は国や地域レベルでの排出量の推定に強みを持つものの、どのような製品からの排出が大きいのかという、排出量の中身に関する情報は得られない。

 フロン類の排出を伴うような自然災害は東日本大震災に限ったことではなく、今後も起こる可能性が高い。フロン類の排出実態をより正確に把握するために、ボトムアップの推計結果をトップダウンで検証するなど、それぞれの手法の特性を活かした取り組みが必要になるだろう。

国立環境研究所 主任研究員 斉藤拓也 氏
斉藤拓也(さいとう たくや)氏

斉藤拓也(さいとう たくや)氏のプロフィール
愛知県安城市出身。1996年富山大学理学部卒。2001年北海道大学大学院地球環境研究科単位取得退学。博士(地球環境科学)。科学技術振興事業団(現 科学技術振興機構) 科学技術特別研究員、国立環境研究所ポスドクフェローなどを経て、07年国立環境研究所研究員。12年から現職。日本地球化学会奨励賞、大気化学研究会奨励賞受賞。専門は地球化学、大気化学。

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