2013年のノーベル物理学賞は、「ヒッグス粒子」の存在を予測したアングレール博士と、ヒッグス博士に決まりました。この受賞をきっかけに、より多くの方々に、素粒子物理学の動向に興味を持っていただけるものと思います。この小文にても、ざっとヒッグス粒子について、おさらいをいたしましょう。
アングレール博士、ヒッグス博士の提案は、何と50年前の1964年のものです。この間、なぜヒッグス粒子は確認されなかったのでしょう。それはヒッグス粒子の質量が電子の約25万倍と、とても重かったことにあります。
地球上の元素はすべて、「電子」と「アップ・クォーク」「ダウン・クォーク」という、たった3つの素粒子で構成されていることが、現在は分かっています。素粒子とは「それ以上に分割することができない存在のこと」を言います。ギリシャの哲人たちは、すでにそのように「それ以上分割できないもの」を想定し、「原子」と呼びました。ですので、ギリシャの哲人たちの言っていた「原子」は、現代での「素粒子」なのです。
一方、現代の「原子」、例えば化学反応の主体としての酸素原子や水素原子などは、20世紀の初めに「分割できること」が判明し、どんどん“分解”されてきました。まずは「原子核」と「電子」とに分解され、原子核も「陽子」と「中性子」に分解され、そして陽子は2つの「アップ・クォーク」と1つの「ダウン・クォーク」でできていること、中性子は1つの「アップ・クォーク」と2つの「ダウン・クォーク」からできていることが分かり、結局、「これ以上分割できないもの」として判明したのが、電子、アップ・クォーク、ダウン・クォークだったのです。
それでは、この宇宙に存在する物はすべて、この3種類の素粒子だけからできているのでしょうか。そうではありませんでした。やはり20世紀の初め、宇宙から降って来るものがあることに、研究者たちが気づきました。1つの例は、広げた掌に1秒間に1個ほど降っている「ミュー粒子」です。ミュー粒子は電子にとてもよく似ていますが、電子の200倍の質量を持つ素粒子です。そして、この“質量200倍”に、元素を構成する“もの”になれない秘密があります。それは、一般に「重い素粒子は不安定である」という性質があり、生成されても結局は、電子やアップ・クォーク、ダウン・クォークに変身してしまうのです。そのせいで、ミュー粒子は地球上の元素の中には見つかりません。
それ以上分割できない存在である素粒子が重いと、軽い素粒子に変身してしまうのは、とても面白いことです。そうかと言って、ミュー粒子が「大きさを持っていて、中身がある」と仮定すると、実験結果と矛盾してしまうのです。電子やアップ・クォーク、ダウン・クォークにしても、実験装置を改善し、能力を上げるたびに、大きさを測ってきましたが、その実験結果は「中身がある」という仮定と、いつも矛盾してしまうのです。
ミュー粒子は、宇宙から降って来るものとして発見されました。その後、アップ・クォークやダウン・クォークの仲間である「ストレンジ・クォーク」も、宇宙から降って来ることに気がつきました。ストレンジ・クォークもやはり、アップ・クォークやダウン・クォークよりも重いので、不安定で変身してしまいます。そして研究者たちは、ミュー粒子やストレンジ・クォーク以外に、「重い素粒子は何種類が存在するのか」が知りたくなりました。
研究者たちが思い出したのが、アインシュタイン博士の有名な「E=MC2」の式です。ここで、左辺のEはエネルギー、右辺のMはものの質量。Cは光の速度、秒速30万キロメートルです。それを質量に2回かけるとエネルギーになるという式です。
ここで重要なのは、「=」(イコール)の「物理的に同じもの」という意味です。物理的に同じということは、右辺になったり左辺になったり、行き来することができる。つまり、左辺のエネルギーがあれば、右辺の「もの」になることができるのです。
そこで研究者たちは「十分なエネルギーが作れさえすれば、“もの”が作れること」に気がつきます。逆に言えば、その「もの」を作るだけのエネルギーがなければ、その素粒子は作れないということです。ミュー粒子は電子の約200倍の質量を持つので、ミュー粒子を作るには、電子の質量の200倍のエネルギーがあればいいのです。問題なのは、ミュー粒子には大きさがありませんから、200倍のエネルギーを1点に集中させなければいけないことです。私たちの日常の世界では、ものすごい数の原子が運動し、とても大きなエネルギーを持っていますが、それらの膨大なエネルギーを1点に集中する術が、自然の状態にはありません。そこで、考案されたのが「加速器」という装置です。
陽子や電子は、外から電気で引っ張ってやれば素早く動くようになります。より高速で動けば、高い運動エネルギーを持つことになります。その高いエネルギーを持った粒子同士を衝突させることで、集中して1点にエネルギーを生み出すようにしたのが「加速器」です。
実際に、電子や陽子の加速器を使って、ミュー粒子やストレンジ・クォークを生成することができるようになりました。さらに加速器を大きくし、より大きなエネルギーで衝突させることで、その他にも「もの」となる素粒子が存在することが分かってきました。
そして何と、自然界で働く“4つの力”のうち、「重力」以外の「電磁気力」、原子核の種類を変える「弱い力」、クォークを陽子や中性子にとどめておく「強い力」にも、それぞれ対応する素粒子があり、それらが伝わることで「力がかかる」ことも判明したのです。
私の所属する高エネルギー加速器研究機構(KEK)にある加速器「KEKB」は、電子と陽電子を衝突させる大型の装置です。2008年にノーベル物理学賞を受賞した小林誠博士と益川敏英博士の理論を証明するために作られました。そこでは「ボトム・クォーク」を生み出す実験を繰り返しました。ボトム・クォークは電子の1万倍も重い素粒子です。やはり生成してもあっという間に変身してしまいます。しかし研究者たちは、その変身してしまった粒子たちの情報から元々のボトム・クォークの運動の様子を記録し、その性質を解明することで両博士の理論を実証しました。
今回のノーベル物理学賞の対象となった「ヒッグス粒子」は、スイスのジュネーブにある欧州原子核研究機関(CERN)の「大型ハドロン衝突加速器(LHC)」を使い、陽子と陽子の衝突実験で作り出されました。LHC以前の加速器では衝突エネルギーが足りず、LHCによってヒッグス粒子を生成できるエネルギーに到達したのです。その質量は、何と電子の約25万倍!です。
ではなぜ、研究者たちは50年もあきらめないで、ヒッグス粒子を追い求めたのでしょう。それはアングレール博士、ヒッグス博士の理論が、それだけ魅力的だったからです。
両氏の理論は、“4つの力”のうち、「弱い力」を伝える素粒子の質量が「ある仕組み」によって後から与えられたものだとしています。それまで素粒子の質量は、素粒子固有の性質だと考えられていたので、「ある仕組み」は衝撃的なものでした。しかも、その「仕組み」を導入することで、「弱い力」とは別の「電磁気力」や「強い力」も統一的に捉えられるかもしれないと、思えてきたのです。
そして両氏は「この“仕組み”を自然が持っていたら、質量は不明だが、電気的に中性で、スピン(自転)量をもたない新粒子が加速器によって作られる」と予測していました。それから半世紀がたち、LHC加速器を使った2つの実験グループ(ATLASとCMS)が同じ質量の新粒子を発見し、想定された「ヒッグス粒子」と同じ性質を持つことを確認しました。
さらに両氏の考えがきっかけで、電子やミュー粒子など、「もの」となる素粒子たちにも、ヒッグス粒子が質量を与えていると考えられるようになりました。つまり今では、ヒッグス粒子は「質量をもつ素粒子たちのすべての質量を生み出す素粒子」との位置付けになっています。
今後は、その質量を生み出す仕組みをより精密に調べ、「素粒子の固有の性質とはいったい何なのか」という根源の問いを明らかにするために、LHC実験が続けられます。そして、より精密な実験を行って素粒子の法則をさらに確定しようという、電子・陽電子の直線形衝突加速器「国際リニアコライダー(ILC)」の建設と稼働に、世界の研究者たちの大きな期待がかけられています。
KEKでは加速器を用いた研究を全国の方々にお伝えするために、出前授業プログラム「KEKキャラバン」を実施しております。この小文も高校や、公民館などでさせていただいたお話をもとに起草いたしました。素粒子や物質の構造の解明に興味をお持ちの方、最先端科学に関する生徒さんたちへのインプットをお探しの先生方、下記のURLにアクセスいただき、是非、ご相談をいただければと思います。「お届けします、科学に夢中。」
藤本順平(ふじもと じゅんぺい)氏のプロフィール
1988年、名古屋大学大学院 理学研究科博士課程終了、理学博士取得。日本学術振興会特別研究員を経て、89年高エネルギー物理学研究所助手として、トリスタン計画のTOPAZ実験グループに参加。97年から、組織改編に伴い、高エネルギー加速器研究機構素粒子原子核研究所・助手。2004年同研究所・研究機関講師。13年同研究所・講師。専門は高エネルギー物理学。現在は、LHC実験やILC実験での素粒子反応の断面積を標準理論や超対称性理論を用いて計算する「高次補正効果を含むファインマンダイアグラム自動計算プログラムGRACE」の開発に従事。最近はKEKが進める出前授業プログラム「KEKキャラバン」の推進も務める。著書に『小さい宇宙をつくる』(幻冬舎エデュケーション、2012年)。