はじめに
発展途上国では視覚障害の原因は白内障や角結膜炎などが上位を占めるが、先進国ではそれらの治療が進み、大部分は網膜と視神経による視覚障害である。眼球の奥にあり、光を受け取る網膜が障害されると、眼鏡や薬、手術などの治療によっても視機能が回復しない。我々は中枢神経の一部である網膜の失われた機能を細胞移植によって再生しようとしている。数種類ある網膜細胞の中でも最初に光を受け取る「視細胞」と、視細胞を維持するために必要な「網膜色素上皮(RPE)細胞」のみが現在の治療対象細胞である(図1)。
図1. 網膜 正面図と断面図 |
加齢黄斑変性
RPEの障害により引き起こされる疾患は数多くあり、視力障害の大きな割合を占めている。RPEは通常、生涯を通じて置き換わることがないとされており、軽度の傷害は修復可能であるが、大きな傷害や老化に対しては修復することができないために細胞移植で置き換える治療が必要である。そのような疾患の代表例が「加齢黄斑変性」(Age-related Macular Degeneration:AMD)である。
加齢黄斑変性は、いくつかの遺伝子の型(SNPs)が発生に関与していることが報告されているが、「黄斑部」(網膜の中心部)のRPEの老化が大きな要因となって引き起こされる。RPEが委縮すると、接している視細胞を維持することができず、2次的な視細胞変性が起こる。加齢黄斑変性は、RPEの萎縮のみで新生血管のない「非滲出型加齢黄斑変性」(dry type)と、網膜色素上皮細胞よりもさらに外側にある脈絡膜からの新生血管が形成される「滲出型加齢黄斑変性」(wet type)に分けられる(図2)。
図2. 加齢黄斑変性 |
加齢黄斑変性の患者数は多く、欧米では視覚障害の最も大きな原因で半分を占める(図3)。欧米ではdry typeが多く、wet typeの10倍の患者がいるのに対し、福岡県の地域住民を対象とした疫学調査「久山町スタディ」(※1)によると、日本ではdry typeが少なく、Wet AMDの患者は50歳以上の0.67%(33.4万人)、Dry AMDは0.2%、前段階が13.6%を占める。さらに9年間の累積発症率は1.4%と、日本でも増加傾向にある。
図3. 世界の視覚障害の原因 |
加齢黄斑変性の治療
現在wet typeの脈絡膜新生血管抑制を目的として、光線力学療法と抗VEGF抗体薬2種が認可されているが、dry typeに対する治療は全く存在せず、また新生血管以外のRPEや視細胞の障害に対する治療もないのが現状である。
wet typeに対する治療も長らくなく、一度発症すると確実に高度の視力低下をきたすのを、ただ観察するだけの時代が続いた。1980年代になり、脈絡膜新生血管に対してレーザー光凝固治療が行われるようになった。しかし、熱凝固では新生血管の上に位置する神経網膜も凝固されるため、治療部分の視覚は犠牲になるなどいくつかの問題点があった。1990年代には光感受性薬剤である「ビスダイン(Visudyne)」を静注後、薬剤が貯留しやすい脈絡膜新生血管を弱いレーザーで凝固することで、神経網膜には障害を与えずに新生血管のみを治療することが可能となり、適応症例も大きく広がった。さらに2000年代に入ってからは、新生血管の増殖維持に必要な「VEGF蛋白」に対する抗体医薬(抗VEGF剤)が出現し、一挙に加齢黄斑変性を治療可能な疾患へと変革したのである。
その他の手術治療として、1990年代に「新生血管抜去術」が登場した。これは、線維性膜を形成している脈絡膜新生血管を一塊として網膜下から抜去する手術で、術後早期に滲出液が消失して安定状態になる治療である。
現在の治療の問題点
抗VEGF剤は、初期の新生血管には効果も高く画期的な治療である。しかし、効果が長く続かないために、1カ月ごとの眼球注射が推奨されている。1回の薬剤料が17万円と、繰り返すことによる費用が大きいこと、頻回の眼球注射によって眼内炎などの合併症の頻度が増加することが問題である。また、抗VEGF剤が奏効して治療離脱できるのは全体の3割程度で、再発が多く、新生血管の線維性膜形成がある症例などでは効果が限定的である。
一方、新生血管抜去術は一回の手術で病勢が落ち着き、抗VEGF剤に比べ再発が少ない利点があるが、手術後のRPE欠損によって視力の大幅な向上が望めないという問題があった。
そこで我々は、抗VEGF剤の効果が限定的であったり、離脱できない症例に対して、新生血管抜去術を行うと同時に患者自身のiPS細胞由来RPEを移植することで、両者の問題点を解決できると考えた。実際最近では、患者自身の網膜周辺部からRPEおよび脈絡膜を切除し、黄斑部網膜下に移植する手術の7年後の結果が報告され(※2)、移植部分のみに網膜感度が残り、中には回復視力0.6という良好な結果を得ている症例もあった。
iPS細胞由来RPE移植
我々は早くから幹細胞を用いた網膜再生医療研究を続け、さまざまな幹細胞を検討していた。その結果、“replacement therapy”としての細胞治療に適した質(機能)と量を満たす細胞源を探して、2000年代初頭からES細胞研究を手がけていた。理化学研究所の笹井研究室とともにヒトES細胞からRPEや視細胞を分化誘導する方法を開発し(※3)、2004年には「霊長類ES細胞をin vivo疾患モデルで治療に使える」という初めての報告をしている(※4)。
現在我々のグループでは、iPS細胞からRPE細胞へと分化誘導し、純化する方法を臨床用に整え、品質評価基準の設定、細胞培養センター(cell processing center)の整備を終えた。さらに培養の標準作業手順書(SOP)、臨床プロトコールを「ヒト幹細胞を用いる臨床研究に関する指針」にそって作成し、厚労省に提出準備をしている。これまでの研究結果から「安全性は確保されている」と考えるが、さらに、実際の臨床研究と同様の手順で作成したiPS細胞由来RPEの最終産物について、最も過酷な条件(腫瘍増殖因子とともに免疫不全マウスに移植する)での安全性試験を行い、その最終確認でも安全性の高さが証明されつつある。
海外の状況
アメリカのACT社のES細胞由来RPEによるプロトコールは、欧米に多いdry type加齢黄斑変性と遺伝性黄斑変性の一種である「スターガルト病」に対するものであり、RPE細胞の浮遊液を移植する(※5)。
ACT社は「ES細胞由来RPEは移植しても拒絶反応は少ない」と報告しており、術後数カ月の軽い免疫抑制のみで網膜と血管との間のバリアが比較的保たれているdry typeでは、生着に影響はないとしている。しかし、網膜血管バリアが破綻し、免疫租界が崩れているwet typeでも同様であるかは疑問である。実際、過去に提供眼や胎児から得られたRPEのwet typeに対する移植では、拒絶反応と思われる炎症所見が出現し、移植細胞も早期に白く瘢痕化することが知られている(※4)。そこでは「自家iPS細胞」が有利である。これは、新生血管膜を手術で抜去した後の欠損したRPEを、自分のiPS細胞から作った新しいRPEで置き換えるという根本治療が可能となるのである(図2)。
ES細胞由来RPE移植を計画している企業はすでに米国、イギリス、韓国で治験中のACT社や、ロンドン大学と共同するファイザー社、イスラエルのCell Cure Neuroscience社などがある。iPS細胞由来RPE移植は、大学などアカデミアの研究グループはいくつか研究しているが、企業として治験を計画しているのは今のところ我々の「日本網膜研究所」(Retina Institute Japan;RIJ)のみである。生体と同質のRPE細胞シートは、ES細胞由来でもiPS細胞由来でも、最終製品としての品質は同じであるが、製造コストから考えると、自家iPS細胞からの移植では採算が合わないことも考えられ、組織適合性抗原のHLAをマッチさせるためのバンクを作りやすいことが利点となるであろう。
おわりに
「再生医療」という言葉はすべてを元通りに復元するような印象を与えるが、実際の再生医療は「細胞を補う細胞移植治療」である。細胞移植に関しては、眼底をみて移植細胞を直接観察できること、小さな臓器であるということで必要な細胞数が少ないなど「眼球」は好条件である。角膜移植や人工レンズという人工臓器、抗体医薬など先進的な治療が眼科領域でまず成功したように、細胞移植治療も、角膜をはじめとする眼科領域でまず推進され徐々に広がり、将来は大きな医療分野になることと思われる。
参考文献
※1 Ando M, et al. Ophthalmology 116:2135-2140, 2009
※2 van Zeeburg EJ, et al. Am J Ophthalmol. 153:120-7, 2012
※3 Osakada F, Ikeda H, et al. Nat Biotechnol. 26:215-24, 2008
※4 Haruta M, et al. Invest Ophthalmol Vis Sci. 45:1020-5, 2004
※5 Schwartz SD, et al. Lancet. 379:713-20, 2012
高橋 政代(たかはし まさよ)氏のプロフィール:
80年大阪教育大学付属池田高校卒業。86年京都大学医学部卒業。86-87年京都大学付属病院眼科勤務、88-92年京都大学大学院医学研究科博士課程卒業。92-2001年京都大学医学部眼科助手、95-96年米国ソーク研究所研究員、2001-06年京都大学附属病院探索医療センター開発部助教授、06年10月から現職。神戸市立医療センター中央市民病院 眼科非常勤医師。