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「核抑止の虚構-その終わりのときが始まった」現実を見ない現実論、現実を見つめる理想論(金子敦郎 氏 / ジャーナリスト、大阪国際大学 名誉教授)

2010.04.21

金子敦郎 氏 / ジャーナリスト、大阪国際大学 名誉教授

ジャーナリスト、大阪国際大学 名誉教授 金子敦郎 氏
金子敦郎 氏

 3月の核戦略見直し(NPR)と米ロ新戦略核削減条約(新START)、4月の核安全保障サミット。5月には核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれる。「オバマの核廃絶」が動き始めた。現実は何も変わっていないという冷笑、核抑止力を弱めるだけだとの反対、期待外れとの失望などと、反応はさまざまだ。広島・長崎から65年、世界は核抑止というフィクションに支配されてきた。その呪縛(じゅばく)から抜け出すのは容易ではない。だが、オバマの現実主義は妥協を強いられながらも、基本姿勢は貫いて目標に向けて大事な一歩を踏み出した、と思う。

核の役割を減らす

 「核戦略見直し」には「核兵器の役割を減らす」という公約がいくつか盛り込まれた。NPT条約に加盟しその条件を順守している非核保有国に対しては核攻撃をしない。化学・生物兵器による攻撃に対する報復に核兵器は使わない。核実験禁止条約(CTBT)を守り、新しい核兵器の開発はしない。核抑止のみに依存するのではなく通常兵器による抑止も組み合わせる。

 「核放棄」要求を突っぱねている北朝鮮と独自のウラン濃縮をやめないイランは、この新戦略の例外とされた。しかし新戦略によれば、北朝鮮が万一核を使ったとしても米国が核兵器で報復するとは考えられない。それは金正日総書記の独裁政治に苦しめられ、「核暴走」には何の責任もない北朝鮮の一般市民に連帯責任を負わせ、数十万から百万人単位で殺戮(さつりく)することになる。そんな「過剰報復」を人道主義を掲げる米国や国際社会が許すだろうか。米国は精密誘導兵器などの強力な通常兵器によって、報復の目的を十分に達成することができる。

 核戦略見直し(NPR)には失望感もある。(1)核兵器を保有する「唯一の目的」を(潜在敵国の)核使用の抑止に限定するという戦略も、その延長として(2)核は先には使わないとする先制核使用の放棄(no first use)も、打ち出すことはできなかった。(1)はキッシンジャー(元国務長官)、シュルツ(同)、ペリー(元国防長官)、ナン(元上院軍事委員長)の「4賢人」をはじめ米外交・軍事専門家が広く主張し、期待も高まっていた。(1)から(2)へと進めば、核廃絶へ基本条件が整う。

 米ソは冷戦時代、地球を何十回も壊滅させるほどの膨大な核兵器を抱え込み、互いに相手の先制核攻撃の幻影におびえながら、「抑止」の装いの下で実は先制核攻撃態勢をとっていた。核戦争には勝者も敗者もありえないのに。オバマ政権内や議会には時代の現実に目を向けずに、この「恐怖のシナリオ」のとりこになったままの人たちが生き残っているのだ。オバマ政権の登場で米ロ関係は「リセット」されたはずだが、新START条約にもそれが投影されている。

 米ロは戦略核弾頭数を7年以内に1,500発以下に削減する、と合意した。1,000発まで削減されるのではないかとの期待は甘かった。しかも核弾頭数の数え方にも抜け穴があって、実質的には「削減の痛み」はほとんどないといわれる。それにしても1,500発と1,000発とで何が違うのだろうか。数百発までレベルを下げても相互抑止状態は変わらないという軍事専門家も少なくない。それでも新START合意は核廃絶への環境をつくり出す必要条件だから、歓迎できる。

 核安全保障サミットは、国際社会が直面する最大の危険はテロ組織による核テロだとするオバマ米大統領の呼びかけによって開かれた。47カ国の首脳ないし政府代表が参加して、核兵器および核兵器につながる核関連物質や技術がテロ組織などに流出しないよう、国際的な管理体制を固めることで合意した。「政治ショー」に過ぎなかったとの冷淡なコメントもある。だが、核テロが起こるとすればその標的になる可能性が一番高い米国にとって、「核テロ封じ込め」へ国際社会の意識を高めるという目的は果たせたといえる。

 「核テロ」の脅威を喧伝(けんでん)することは同時に、国家間の核戦争の危険性は極小化し、「核抑止」の中身が変遷を遂げて、「核廃絶」が理想(夢)から現実の目標になったとの認識を広めることにつながっている。この意義の方が実は大きいかもしれない。

抑止-後付けの正当化

 「核廃絶」への道程に立ちはだかっているのは「核抑止」の呪縛であることも浮かび上がった。「核抑止」とは何か。そのからくりを明るみに引き出す必要がある。第2次大戦中、米国が原爆開発を進める中で、科学者や政府首脳の一部はソ連が2-3年で追いつき、恐怖の核軍拡競争が始まり、人類・地球は破滅に瀕(ひん)すると、原爆の不使用、国際管理を強く訴えた。トルーマン大統領らは科学者の意見を軽視、ソ連が追いつくには10年や20年はかかると安易に判断して広島・長崎に原爆を使い、原爆独占による「覇権」へと走った。ソ連は4年で追いついた。トルーマンらはパニックに陥り、水爆開発に向かった。このときもオッペンハイマーらはソ連もすぐに水爆を持つと警告したが、トルーマンはソ連に水爆開発はできないと見くびっていた。

 抑止論はこうした経過の中で、核兵器の保有・増産を後付けで正当化する理論として編み出された。失敗を覆い隠すためにさらなる失敗を積み重ねる、という好例だ。この「核抑止」によって広島・長崎以後、核は一度も使われなかった—と信じさせられてきた。

 冷戦が終わったとき、P.ニッツェは「核兵器はゴミ箱へ?」と題して「核兵器が使われなかったのは米国の指導者がその巨大な破壊力を認識していたからだ」「湾岸戦争の例にみるように地域紛争には核抑止力は働かない」「通常兵器による抑止に転換すべきときがきた」と論じた。ニッツェは圧倒的な軍事力で威嚇してソ連を押さえ込むという対ソ戦略を主導した「冷戦のゴッドファーザー」とも言うべき人物である。米核戦略の主柱、戦略空軍司令官を退任したばかりのL.バトラー元将軍も「核抑止論とは米国社会の基盤となる価値観に反する兵器を開発し、二度も使い、国家の存亡をゆだねてきた道義的苦痛を和らげるために考えだした神話である」と核抑止戦略からの脱皮を訴えた。

 ベルリン危機、朝鮮戦争、台湾海峡危機、ベトナム戦争、中東紛争などに際して米政府・議会の一部や軍部は核兵器使用を迫ったが、大統領は結局これを退けた。なぜか。そのいきさつを詳細に検証した研究書が米国でこの数年、相次いで刊行された。それらによれば、それぞれに複合的な理由があったが、総じて最大の理由は核攻撃があまりにも大きな破壊を伴うという認識だった。水爆の破壊力は広島・長崎原爆(キロトン)の千倍の単位(メガトン)で計る。それは非戦闘員である一般市民の大量虐殺を意味する。

 米国ではスターリンも毛沢東も「狂気」だから核を持ったら大変なことになると恐れたが、心配された事態は起こらなかった(金正日総書記もアフマディネジャドも同じように見ているようだ)。核兵器はその巨大な破壊力のゆえに、事実として「使えない兵器」になったのである。これを「使わない兵器」にする。その次に「廃絶」する。これはオバマの核廃絶だと思う。

 恐ろしい兵器だから持ってはならない。使ってもいけない。そういいながらもし使ったら核兵器で報復・懲罰する。先に使おうが後に使おうが、一般市民の大量虐殺という点では同じである。オバマ戦略は「廃絶」に至るまでの期間は十分な核抑止力を維持するとしている。これは当面はやむを得ない。しかし、核抑止戦略の帰結がこういうものなら、それは許されない。

NPTの権利と義務

 米海兵隊が沖縄から引き下がると「核の傘」が弱まり、すぐにも北朝鮮や中国が攻めてくる。台湾海峡で危機が発生して米中戦争になり日本も、巻き込まれる—。そんな「抑止論」が横行しているようだ。荒唐無稽(むけい)だと思うが、そうした「不安」が存在している現実がある。

 5月には核拡散防止条約(NPT)の5年ごとの再検討会議が開かれる。核保有を放棄した加盟国はその見返りに、核保有国から核による威嚇あるいは攻撃を受けたときは米国など核保有国の安全保障を受ける。この非核加盟国の権利と核保有国の義務は、NPTの基本構造である。日本に差し掛けられている米国の「核の傘」は米国の「恩恵」ではない。オバマの核廃絶が米国の「核の傘」を弱めると心配するならば、再検討会議で唯一被爆国として非核加盟国の先頭に立って、この「権利と義務」を明確化させる努力をすることだ。

ジャーナリスト、大阪国際大学 名誉教授 金子敦郎 氏
金子敦郎 氏
(かねこ あつお)

金子敦郎(かねこ あつお) 氏のプロフィール
麻布高校卒、1958年東京大学文学部西洋史学科卒、共同通信社入社、社会部、サイゴン支局長、ワシントン支局長、国際局長、常務理事などを経て、97年大阪国際大学教授、2000年同大学国際関係研究所長、2001年同大学学長、06年名誉教授。08年からカンボジア教育支援基金(KEAF‐Japan)会長も。共同通信ワシントン支局長時代の1985年、支局員とともに現地の科学者、ジャーナリストの協力を得て米国立公文書館などから約200点もの米政府内部資料や関係者の日記などを入手、多くの生ニュースと連載記事「原爆-四〇年目の検証」を出稿した。著書に「壮大な空虚」(共同通信社、1983年)、「国際報道最前線」(リベルタ出版、1997年)、「世界を不幸にする原爆カード-ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた」(明石書店、2007年)など。

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