
人生の4分の1を英米で過ごしたが、彼らの、限られたリソースを共用し融通しあって効率を上げる賢さと、それを支える公共精神は、まねすべきものがあると思う。バイオ研究では、公共的なCore Facility(コア施設)がその例である。日本で大学や研究所単位のコア施設は多数あるが、組織の敷居を越えた公共のコア施設は無いと思う。
昔の私事で恐縮であるが、1980年代半ば、マサチューセッツ工科大学(MIT)がんセンターでDNA合成施設を運営し、タンパクシークエンサーを改造したDNA合成機で、毎月80本ほどオリゴヌクレオチドを合成し、そのころ入手困難なオリゴを、皆が自由に使えるようにした。この仕事の最も重要な点は、ユーザーのコンサルテーションであった。毎朝、研究者たちが私の扉のところで相談の順を待つようになったが、実に面白かった。当時、MIT生物科はピアレビュー評価で全米大学院ランク第1位となったが、いささか貢献できたものと思っている。同じがんセンターには、米国立衛生研究所(NIH)の施設として100リットル細胞培養槽が数台フル稼働していた。ハーバード大学の故ワイリー博士が、免疫学の謎MHC(主要組織適合遺伝子複合体)について、タンパク質X線回折で解明できたのもここの施設のおかげである。
ある日、大学院生のP.M.君が、おまえのオリゴは不良品だと飛び込んできた。オランダ・ユトレヒト大学医学部首席卒業、MIT大学院生物学首席である。彼の実験ノートを見ていて、はたと気がついた。配列が逆向きなのである。彼のプライドをへし折らないよう、非常に気を遣いながら、DNAには、5’末端から3’末端への方向性があり、二本鎖DNAは逆平行であることなど、時間をかけてレビューしたことはいうまでもない。教科書レベルの知識と、実務レベルの知識と乖離(かいり)している例は、よく見るものである。
1990年、NIHは、National Center for Research Resources(NCRR)を設立して、医学のためのコア施設の資金供与と運営のトレーニングを全国規模で開始した。同じころ、各施設の職員たちがAssociation of Biomolecular Resource Facility(ABRF)を設立して、コア施設の技術レベルの向上、経営力強化に向けての活動を始めた。コア施設は、機器購入資金や軌道に乗るまでの運営費をNCRRに頼るが、いずれ経常経費について自立する。ABRFは、毎年3月に年会を行っており、2006年に参加したが、自己評価用基準サンプルを作製配布したり、技術教育のノウハウを集積して供与したり、施設の能力向上の諸活動を積極的に行っている。この学会で注目されたのは、各施設の経済的自立のためには、ユーザーに対する教育能力が最重要との調査結果であった。PI(主任研究者)にしてみれば、良い結果が出る施設には出費を惜しまないということであろう。なお、NCRRは2011年予算が13.09億ドル(約1,178億円)であり、この国策の規模が伺い知れる。
ヨーロッパでは、今世紀に入って欧州ライフサイエンス情報基盤計画コンソーシアムが、EU(欧州連合)の科学技術基本計画FP-7(2007-2013)を展開し、異分野融合とシステムバイオロジーを中心に、欧州全体のサイエンス推進戦略を遂行しているという(理研八尾徹 氏欧州近況報告)。昨年夏、スイスのコア施設Functional Genomic Center Zurich(FGCZ)を見学した。私のテクニシャンをしていたヴェトナム人のフン君が、現在チューリッヒ大学分子生物学大学院生で、隣接のスイス工科大学(ETH)と両キャンパスの境に位置するこの施設の院生研究プロジェクトに採択された。施設の利用者としての彼からその実際が伺えたが、施設の職員がつきっきりで指導しており、その教育の質の高さには感服した。FGCZは、地域の研究者(ETHやチューリッヒ大以外の施設や私企業も含む)が利用でき、ゲノム学、網羅的転写産物解析、プロテオーム解析、代謝産物解析およびバイオ情報学をその守備範囲として、13台の高性能の質量分析機などの大型機器がフル稼働していた。
欧米のコア施設では、研究を愛し実験に長けた経験者たちが、若者を大切に育てて、PIたちの先端研究の土台を支えている。私と同じ老人もまだ指導の最前線におり、彼らに育まれて、フン君たちはすくすく伸びている。先日、くだんのP.M.君が訪日した折、「おれのことを覚えているか」と聞いたら、「You were my teacher」と言ってくれた。彼は、今やドイツの著名研究所の所長である。

(たかがき ようたろう)
高垣洋太郎(たかがき ようたろう) 氏のプロフィール
私立栄光学園高校卒、70年東京大学農学部農芸化学科卒、75年東京大学大学院農学系研究科博士課程修了、日本学術振興会奨励研究員、国立遺伝学研究所微生物遺伝学部、マサチュ-セッツ工科大学生物学・化学科、同大学がんン研究センター研究員、三菱化成生命科学研究所主任研究員、同分子免疫学研究室室長を経て、95年北里大学医学部分子生物学単位主任教授。2006年から現職。専門領域:タンパク質化学、遺伝子学、比較ゲノム学、免疫学、細菌学。日本生化学会評議員、日本免疫学会評議員、日本食品免疫学会評議員。