
この夏、国内外を問わず、海で野生のクジラやイルカをみた方が少なからずいるのではないだろうか。また、水族館に出かけ、そこでイルカをみた方もいるだろう。そうした皆さんは、さまざまな視点でその動物たちをみてきたことと思う。人々は、なんとなく「鯨」と「イルカ」を区別している。しかし、動物分類学の上では、両者は同じ「クジラ目」(以下クジラ類とする)というグループに入り、形質(体の形や色、骨の数や形など)の上では両者の区別はできない。あえて言えば、「イルカ」にはすべて歯がある、といったぐらいのことだろうか(しかし、この逆は成り立たず、「クジラ」にはマッコウクジラのように歯があるものがいる)。クジラ類は現在世界で約90種弱知られており、哺(ほ)乳類全体に占める割合は2-3%程度の小さなグループである。
さて、日本ではこれらの動物の利用にあたってさまざまな意見があり、長い間、国際的な批判を受け続けてもいる。しかし、実際、クジラ類を現在の日本で人々がどのように利用しているかを知る人は意外と少ない。私が所属している三重大学のキャンパスは、グラウンドのすぐ向こうは伊勢湾だが、そこにスナメリという体長2メートルに満たないクジラ類が1年中生息していることを知らない学生はかなり多い。毎日、海に出て仕事をしている漁業者や海上作業従事者は別として、自分たちが生活している地域の海にクジラ類が生息していることを知らない一般の人の数が多いことは、他の地域でも十分予想される。
また、新聞やテレビで「調査捕鯨」という言葉を見聞きしたことのある人は多いだろう。だが、それとは別に「商業捕鯨禁止」といわれて久しい時代にあって、国内でもまだいくつかの地域でクジラ類を対象とした漁業が存続し、それらの肉が食用に供されていることを知る人も少ない。現在のわが国において、いわゆる「調査捕鯨」(実行主体の組織では、「鯨類捕獲調査」と呼んでいる)では、現在、計5種のヒゲクジラ類(ミンククジラ、クロミンクジラ、ナガスクジラ、イワシクジラ、ニタリクジラ)と1種のハクジラ類(マッコウクジラ)を年間合計約1,300頭の調査枠内で捕獲している。
また「調査捕鯨」には、現在、南極海で実施されているもの(秋から冬の約5カ月間)と北西北太平洋で実施されているもの(春から夏の約2カ月間)との2つがある。前者は調査母船と採集船からなる調査船団を組んでの洋上調査であり、後者は南極海と同じタイプの洋上調査のほかに、北海道釧路市(2009年9月下旬現在実施中)と宮城県石巻市(近年は、5-6月に実施している)を基地とした基地式調査からなり、これら2つの「調査捕鯨」の目的や方法も異なっている。
こうした調査活動以外に、和歌山県、静岡県、岩手県、宮城県、北海道などを水揚げ地として、異なる複数の漁法(小型捕鯨業、追い込み漁業、突きん棒漁業などと呼ばれる)により計9種、合計約2万頭のハクジラ類が捕獲されている(このうちの大半はイシイルカという種が占めている)。この捕獲個体(追い込み漁業で捕獲された分)のうちの一部が、水族館の飼育用に回され、国内外の園館での展示に供されている。現在、日本には80弱の水族館(日本動物園水族館協会加盟分)があり、そのうち半数弱の園館でクジラ類が飼育されているが、それらの個体の供給源の大半はこの漁業による捕獲である(飼育下での繁殖個体も最近増えつつあるが、その数はまだかなり少ない)。なお、筆者はまだ観てないが、今年、この追い込み漁業を題材としたドキュメンタリー映画『The COVE』(入り江)が海外で公開された。
また、これらとは別に、近年、データの収集体制が進み、その実態が明らかになりつつある現象に、沿岸でのクジラ類の座礁・漂着がある。今年5月、和歌山県田辺市の田辺湾という細長い小さな湾に、体長16メートルの大きなマッコウクジラが迷い込み、衰弱しながらも約20日間そこに滞留し、さまざまな追い出し作業にはほとんど反応しなかったあと、自力で外洋に出ていった「事件」があったことは記憶に新しい。こうした漂着・座礁(これをストランディングと呼ぶ)などの記録と、漁具に絡まって(これを混獲と呼ぶ)海洋投棄される死体との区別が難しいことはしばしばあるが、近年では、ほぼ毎日1頭近くの割合で日本のどこかの海岸にクジラ類の死体があがっていることも、人々にはあまり知られていない。ちなみに、先にも述べた伊勢湾では、スナメリの漂着が年間少なくとも30頭以上あり、その報告数は、日本で一番多い種と地域となっている。
捕鯨、「調査捕鯨」、イルカ漁業、水族館、座礁・漂着とごく簡単に触れたが、もうひとつのこれらの動物の利用形態にホエールウォッチング産業(野生のイルカと泳ぐスイムプログラムも含む)がある。北海道から沖縄まで、現在の日本には10カ所以上の商業的ウォッチングスポットがあり、そこを訪れて野生のクジラ類を初めてみる人も多くなってきた。水族館では、ハンドウイルカやカマイルカなどの種を観るのが一般的だが、ウォッチングスポットでは、それぞれに海の環境が異なるので、みることのできるクジラ類の種類にもかなりの地域性がある。出かけていけば必ずそこに動物がいる水族館とは違い、船で沖に出ても動物にあえないこともあるが、「それもまた自然」と割り切ることが、ウォッチングに出向くときの一つの心得である。しかし、このウォッチングも、ボートの数の増加や客にあまりに動物をみせようとするあまり、接近しすぎて動物の行動や生活に影響を及ぼしている事例があることもまた事実である。
私はこれまでの約30年、上に書いたクジラ類をとりまくさまざまな場面、フィールドに出かけ、そしてそこでそれらにかかわる人々と話をするだけではなく、ともに仕事(研究)をする機会を多く得てきた。商業捕鯨が中止され、「調査捕鯨」に「移行する」時期、そして、クジラを「捕る」時代から「観る」時代に変わる時期に筆者の20-30歳代があった。場面や時が違えば、対象とするクジラ類への考えはそれぞれで異なり、現場に自分の身を置くことによって、その違いや論理にも納得するものがあった。
商業捕鯨の再開や「調査捕鯨」の是非、クジラ類の飼育の是非、ウォッチングを取り巻く課題の解決など、これら動物を取り巻く問題はなお多い。しかし、その是非を判断するのは必ずしも研究者ではなく、最後は多くの人々であり、その判断材料を与えるのが、われわれ研究者の役目である。国内のクジラ類の研究者は、ひところに比べて少し人数が増えたが、まだごくわずかである。クジラ類の研究分野も例に漏れずに多様化する中、水産学の立場から、単に「クジラ」や「イルカ」のためでなく、「クジラやイルカと人」のために、このあとに自分に残された時間で何ができるかを最近あらためて模索している。

(よしおか もとい)
吉岡基(よしおか もとい) 氏のプロフィール
1982年東京大学農学部水産学科卒。91年東京大学大学院農学系研究科博士課程修了、農学博士。国立科学博物館動物研究部、財団法人日本鯨類研究所などで鯨類の調査・研究活動にかかわり、イルカ類の混獲問題に絡み、北太平洋漁業国際委員会科学委員会、国際捕鯨委員会科学委員会に出席。日本学術振興会特別研究員などを経て、94年三重大学生物資源学部助教授。2006年から現職。東京大学大学院農学生命科学研究科非常勤講師(海産哺乳動物学)、国際海洋生物研究所(鴨川シーワールド)客員研究員、太地町立くじらの博物館学術顧問、瀬戸内海西方海域スナメリ協議会顧問なども。鯨類の繁殖生理学に関する基礎的研究および国内初のイルカの人工授精の成功(日米の水族館との共同研究)で日本水産学会奨励賞、日本動物園水族館協会古賀賞受賞。著書に「イルカとウミガメ」(岩波書店)、「新版・鯨とイルカのフィールドガイド」(東京大学出版会)、「日本の哺乳類学Ⅲ-水生哺乳類」(東京大学出版会)(いずれも共著)など。
三重大学のメールアドレス:motoi@bio.mie-u.ac.jp