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「核廃絶」と唯一被爆国 第3回「「核の傘」か「防衛の傘」か - 「無差別爆撃」は許さない時代に」(金子敦郎 氏 / 元大阪国際大学 学長、元共同通信記者)

2009.08.06

金子敦郎 氏 / 元大阪国際大学 学長、元共同通信記者

元大阪国際大学 学長、元共同通信記者 金子敦郎 氏
金子敦郎 氏

 「オバマの米国」は核を先には使わない(no first use)。では「ならず者国家」がもしも米国あるいは同盟国に核攻撃を加えたら、オバマ政権は報復あるいは制裁として核を使うだろうか。その場合でも、核は使わないと確信する。ブッシュ政権といえども多分使えなかっただろうと思う。

国際世論は「核の無差別攻撃」を許さない

 米国は核使用という「国家の犯罪」には報復・制裁を加える。その政権を倒し、新政権で置き換えるに違いない(レジーム・チェンジ)。国際社会もそれを支持し、協力するだろう。だが一般の国民にまで「政権の犯罪」の連帯責任を負わせ、数万から数十万にも及ぶ多数の生命と生活を確実に破壊する核攻撃を強行することができるのだろうか。使ってはならない核を使ったから核を使って報復(懲罰)するという自己撞(どう)着を別にしても、それは過剰報復であることは明白である。道義的に許されるとは思えない。犠牲になるのは同情すべき抑圧政治の被害者なのだ。核攻撃はまた「死の灰」を地球の広い範囲にまき散らし、無関係の周辺諸国に多大の被害を及ぼす。

 米国は核は使わずに、(燃料)気化爆弾や精密誘導兵器などの通常兵器でその目的を十分達成できる(こうした兵器が核より人道的といえるかどうかは別にして)。これは北朝鮮のケースに限らない。中東でもどこでも同じとみていい。北朝鮮の核攻撃からは米国が核で守ってくれる、それが「核の傘」だと思っているなら、「虚構」を信じ込まされているのだ。

 第2次世界大戦終結から4年後の1949年、戦争時における非戦闘員の保護のためのジュネーブ第4条約が結ばれた。しかし地域爆撃(都市への無差別爆撃)禁止条項は大国が拒否した。1977年ようやく地域爆撃禁止が追加議定書に盛り込まれたが、守られていない現実がある。だが、国際社会は変わってきた。一般市民を無差別に殺傷する対人地雷やクラスター爆弾を禁止する条約が、大国を置き去りにして成立した。08年末のイスラエルのガザ攻撃は多数の一般市民を犠牲にした「過剰防衛」と、かつてない批判が広がった。女性や子どもを含めた非戦闘員に対する無差別攻撃は許さないという国際世論が広がっている。核兵器使用はそうした無差別爆(攻)撃の最たるものだ。

 核兵器の使用および威嚇について国際司法裁判所は1996年、国際法や人道に関する諸原則、法規に一般的に違反するとの勧告的意見をまとめた。国家存亡にかかわる自衛という極端な状況においては違法か合法かの結論は出せないとの「ただし書き」は付いたが、「ならず者国家」の核使用に対する報復あるいは懲罰が「ただし書き」に当てはまるとは誰も考えないだろう。

「防衛の傘」

 核報復がないなら「核抑止力」は弱まり、「核の傘」の信頼性は揺らぐのだろうか。そうはならない。「核を使うかもしれない、使わないかもしれない」というあいまいさが抑止力だと言われてきた。そこには相手側が「使わない」と「誤解」する落とし穴がある。核は使わない。しかし通常戦力で必ず報復する。この方が分かりやすく、抑止効果は確実である。

 北朝鮮の「核」にもっとも強く脅威を感じる韓国の李明博大統領は6月訪米、オバマ大統領から米国の「核の傘」を含めた「拡大抑止」を強化するとの約束を取り付けたとされている。だが、米国は核兵器の配備や使用について明言しないという基本的な立場をとってきた。オバマ大統領が北朝鮮の脅威に対して「核使用」を約束したとは考えられない。「核抑止」と限定はせずに、「拡大抑止」の傘を提供するという「一般論」である。クリントン国務長官は7月訪問先のタイで、米国はイランの「核」の脅威に対して周辺諸国の防衛を引き受けると述べたさい、「核の傘」とは言わず「防衛の傘」(defense umbrella)という表現を使っている。

 1960年の日米安保条約改定時に「核を作らず、持たず、持ち込ませず」の非核3原則の陰で、日米両国政府の間で「核持ち込み」を容認する密約が結ばれていた。この事実は1980年代以降、米国の元高官発言や公式文書によって度々確認されたにもかかわらず、日本政府は「密約は存在しない」と強弁を続けてきた。最近、何人もの元外務次官らが相次いでメディアに密約の存在を認めたことから、北朝鮮の核保有に対応して核持ち込みを公式に認めさせよう(つまり「核の傘」の強化)とする政府や外交関係者のキャンペーンではないかとの疑いも浮上している。そうだとすると、「時代錯誤」というほかはない。

 米国は冷戦時代に戦術核を世界各地に広く配備した。ブッシュ(父)大統領は冷戦終結に伴い、戦術核の拡散配備は思わぬ事態の展開によっては核戦争の引き金になるとして米本土への撤収に取り掛かった経緯がある。オバマ政権のもとで、欧州などに残されている戦術核はいずれ引き揚げる方向にある。戦術核を搭載した艦船や航空機が日本を出入りする時代ではない。

「核廃絶」に追随を

 唯一の被爆国である日本が担うべき役割は、冷戦思考から脱却したうえで、オバマ大統領が掲げた「核廃絶」に積極的に「追随」することだ。いいことでの「米国追随」は結構だ。米議会にCTBT早期批准を働きかけることに始まり、2010年のNPT再検討会議へ向けて、核保有国と非保有国の間をつないで核削減と拡散防止への国際機運を高め、核兵器用物質生産禁止(カットオフ)条約交渉を促進し、日本が事務局長に選ばれた国際原子力機関(IAEA)の機能強化に取り組む、など日本にできることは多々ある。こうした「核廃絶」への環境つくりが、硬直している北朝鮮やイランの核問題を解きほぐすことになる。

 彼らはなぜ核を欲しがるのか。北の場合、一番怖いのは米国のレジーム・チェンジ。核を持てばこれを抑止できる、米国と朝鮮戦争の和平条約を結び、現体制を存続することもできる—こう考えている。だが、「核カード」を振りかざす瀬戸際外交は逆効果をもたらしただけだった。自らを追い込んで万が一にも核を使えば、それは政権の自殺行為だ。

 パニックになることこそ、北朝鮮の思うつぼだ。欲しいものは核放棄でしか得られない。「独り相撲」はもうやめなさい—こう辛抱強く北朝鮮説得に努めるのも唯一被爆国の立場だと思う。

元大阪国際大学 学長、元共同通信記者 金子敦郎 氏
金子敦郎 氏
(かねこ あつお)

金子敦郎(かねこ あつお) 氏のプロフィール
1954年麻布高校卒、58年東京大学文学部西洋史学科卒、共同通信社入社、社会部、サイゴン支局長、ワシントン支局長、国際局長、常務理事などを経て、97年大阪国際大学教授、2000年同大学国際関係研究所所長、2001年同大学学長、06年名誉教授。08年からカンボジア教育支援基金(KEAF‐Japan) 会長も。共同通信ワシントン支局長時代の1985年、支局員とともに現地の科学者、ジャーナリストの協力を得て米国立公文書館などから約200点もの米政府内部資料や関係者の日記などを入手、多くの生ニュースと連載記事「原爆-四〇年目の検証」を出稿した。著書に「壮大な空虚」(共同通信社、1983年)、「国際報道最前線」(リベルタ出版、1997年) 「世界を不幸にする原爆カード-ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた」(明石書店、2007年)など。

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