
科学技術政策研究所が、科学技術基本計画をフォローアップした調査研究報告書「政府投資が支えた近年の科学技術成果事例集」と「大学・公的研究機関の多様な成果事例集」を公表した。
その検討委員会のメンバーの1人として、事例研究に参加した立場から、感じたことを述べてみたい。
第3期科学技術基本計画の政策目標は3つの理念で構成され、それぞれに2つの大目標を設けている。
理念1 人類の英知を生む
大目標1 飛躍知の発見、発明
大目標2 科学技術の限界突破
理念2 国力の源泉を創る
大目標3 環境と経済の両立
大目標4 イノベーター日本
理念3 健康と安全を守る
大目標5 生涯はつらつ生活
大目標6 安全が誇りになる国
理念4 健康と安全を守る
それらに該当する事例として選んだのが次の12例だ。
大目標1 iPS細胞の創出
脳科学の展開
大目標2 地球と宇宙の探査、観測技術
X線自由電子レーザーと大型放射光施設
大目標3 次世代蓄電システム
希少金属回収技術
大目標4 次世代画像表示技術
ユビキタス社会を支えるメモリと高速無線通信ネットワーク
大目標5 動脈硬化予防・治療法
放射線によるがん治療技術
大目標6 新興・再発感染症の制御技術
自然災害の減災システム技術
政策目標そのものの論議はさておき、1のiPS細胞と脳科学の展開が注目を集めたのは、21世紀が生物の世紀、つまり細胞と脳の時代であることを示唆して当然の結果であるといえよう。
その他についても、蓄電システムや希少金属回収技術など、エネルギーや資源の枯渇への対応がいかに重要かを示すテーマだし、新しい感染症や自然災害への対策も国民生活に与える影響の大きさをあらわしている。
いずれの事例も、わが国ならびに世界全体にとって重要な課題であり、その成果進展のために国の支援の必要性は当然のことである。ただ、国の支援は、単に資金や設備の提供だけでなく、研究者の環境や心理状態さらには資金運用の法制度などにまで配慮した施策が大切であることを留意しなければならないと思う。
選定の基準は、国の支援がどうあるかによってではなく、事例それぞれが多くの人々にとって直接、間接にかかわりが強く、それゆえ、たくさんの人々に関心を持っていただきたいものを優先したつもりである。
さて、政策目標に従った12の実例の選定よりも、われわれがより注目したのは具体的な成果事例だ。189の大学や公的研究機関に対して行ったアンケートを通じて集まった1,052件の事例の中から、シビアな議論をふまえて39件を選んだのである(「大学・公的研究機関の多様な成果事例集」 参照)。
かなりテーマとして重複するところのある具体例のなかから、どの機関のどの研究を選び出すかということと、選び出した具体例について、その内容や意義を一般の人々にどう表現したらよりよく伝わるかということが、われわれの留意点だったのである。
鉄系超伝導物質の発見は高温超伝導研究に新たなフロンティアをもたらし、世界中に大きな衝撃を与えている。
無線による送電システムの実現はエネルギー問題の解決に道をひらく可能性を示す。
サイレントな超音速飛行機の実現、地球温暖化の実態をあばいた日本の南極観測、宇宙生活を快適にする船内服の研究、アルツハイマーの原因物質の解明、自殺予防の研究等々、たくさんの人々に関心の深いテーマがいくつもある。
政治や軍事ではなく、経済と科学技術が世界を動かすといわれる今日、科学や技術の社会に与える影響は極めて大きい。こうした時代に、科学技術進展に対する国の支援は、当然のこと大きな比重を持つ。
したがって、その実態を一般の人々にわかりやすく伝えるのは大切なことであり、十分に意義のあることといえよう。ただ、こうした広報活動の場合、いつも問題になることがある。一つは視点のおき方であり、表現のわかりやすさについてである。
国や公的機関の広報は、これまでともすれば「よく聞け、伝えてやるぞ」式の、上から下へもの申す態度のものが多かった。表現もお役所ことばの独特なまわりくどさを含み、理解するのが難しかった。こうした上から視点の難解な広報では、一般の人々を納得させられない。一人一人の生活感覚に合った視点が要求され、わかりやすさ、納得性が必要なのである。
と同時に、科学に対する一般の人々の方にも問題があることを指摘しておかなければならない。私たちは、科学や技術の成果を、あまりにも無防備に、または感情的に受け入れ(または拒絶)過ぎてはいないか。
ケイタイやパソコンはたしかに便利な機械だ。しかし、ケイタイにしろパソコンにしろ、ほとんどの人はそれを使っているのではなく使わされている。
たとえば、ケイタイの持っている機能のすべてを十分に活用している人がどれくらいいるだろうか。また、ケイタイを購入するときの値段が、あまりにも安いのに疑問を持つ人がどのくらいいるのだろうか。あのハイテクのかたまりが、1,000円や2,000円で売られているなんて、どう考えてもおかしいではないか。
パソコンの値段は、先端技術の進歩によるところではあるが、そうした技術は、必ずしも人々のために活用されているのだとは言えない。こまかい議論は省くが、この場合、技術は一部の企業やグループの利益のために使われているのである。
こうした技術は、個々人すべての利便に資するという技術本来のあり方からはずれ、その文化性を失っているとはいえないだろうか。
私たちはすべて、技術のあり方に対して、しっかりとした目を持つべきなのである。科学技術万能の世の中にあって、一人一人が人間的なくらしを確保するためには、科学や技術に対するある程度の理解力がぜひとも必要であり、今度の調査も、その一助となることが最大の役割といえるのではないだろうか。
「39の成果事例」(かっこ内は研究テーマに関係の深い第3期科学技術基本計画の大目標番号)
- 鉄が名乗りを上げた(1) 東京工業大学
- エネルギーは空から(1) 京都大学
- 養殖から完全養殖へ(1) 水産総合研究センター
- 関節炎の根治に光明(1) 京都大学、大阪大学
- 氷が語る過去の地球(1) 北見工業大学
- 光を自由自在に(1) 京都大学
- 光で脳回路を見てみよう(1) 生理学研究所
- 月の起源と進化に迫る(2) 宇宙航空研究開発機構
- 音を追い越す静かな飛行機(2) 東北大学
- 海底下7,000mの地層まで(2) 海洋研究開発機構
- 極地で測る地球温暖化(2) 国立極地研究所
- 風を集めたレンズ(3) 九州大学
- CO2フリーで生産(3) 北見工業大学
- 廃棄物から有価物へ(3) 大阪府立大学
- バイオエタノールをプラスチックにも(3) 東京工業大学
- トンネル内はホカホカです(3) 福井大学
- 漢字の文字をデジタルで(4) 東京大学
- ロボットとあうんの呼吸(4) 岡山県立大学
- 音楽をカタチに、話を歌に(4) 関西学院大学
- 加熱のいらない硬い膜(4) 産業技術総合研究所
- 日本初、強靱になった合金(4) 熊本大学
- エネルギー革命は蓄電技術から(4) 関西大学
- 日本のきめ細やかさを宇宙生活に(4) 日本女子大学
- 細菌がナノ磁石を作る(4) 東京農工大学
- 来るべき宇宙時代に備えて(4) 宇宙航空研究開発機構
- からだの酸化が見える(5) 九州大学
- 遺伝子組み換えで薬を作る(5) 三重大学
- ワクチンでがんを治す(5) 東京慈恵会医科大学
- アルツハイマー病の謎に迫る(5) 理化学研究所
- 肝不全の完治に向けて(5) 山口大学
- コンピュータで薬をデザイン(5) 京都薬科大学
- 災害の映像をリアルタイムに(6) 情報通信研究機構
- 過去の地震の痕跡から(6) 産業技術総合研究所
- ゲリラ豪雨をいち早く(6) 防災科学技術研究所
- 大きな揺れが来る前に(6) 気象庁気象研究所
- 執念のマグロ養殖(6) 近畿大学
- 自殺が減った秋田のアプローチ(6) 秋田大学
- 大学発の技術でベンチャー上場(6) 名古屋工業大学
- ストップ・ザ・パンデミック(6) 東京大学

(えとり あきお)
餌取章男(えとり あきお) 氏のプロフィール
1958年東京大学教養学部卒、日本教育テレビ(現テレビ朝日)、日本科学技術振興財団(現テレビ東京)で科学番組の制作、演出を担当した後、日本経済新聞社に移り「日経サイエンス」編集長を16年務める。日経サイエンス取締役、三田出版専務、東京大学先端科学技術研究センター客員教授を経て、現在は日本科学技術振興財団理事、科学技術館副館長、江戸川大学社会学部名誉教授。「ナノテクノロジーの世紀」(ちくま新書)、「メイキング・オブ・ハイテク・ニッポン 日本の産業をリードした13人の技術者」(三田出版会)、「ちょっとトクする『にんげん』のはなし 人間をめぐる50の物語」(三田出版会)など著書多数。