
今年もまたスギ花粉の季節がやってきた。テレビやネットでは桜の開花予想のごとくスギ花粉飛散予想が連日放送されている。昨年の日本アレルギー学会秋季総会での発表の中には、スギ花粉症の罹患率が日本人口の25%を超えたとの調査報告もあり、今後の対応が急務であることを再認識することになった。
現在、さまざまなアレルギー治療薬が病院で処方されるが、ほとんどすべてが症状を抑えるだけの対症療法薬である。重篤な患者さんには不十分で、なかには痒(かゆ)みがひどいので目玉を取り出して洗いたいとの声をお聞きすることもある。この状況を打破するためには、根本治療であるスギ花粉ワクチンが求められる。しかしながら、これまでに幾つかの製薬企業がスギ花粉ワクチンの医薬品化に取り組んだが、いずれも臨床試験を中止していて、いまだ決定的な治療法が確立されていない。その理由と今後のワクチン開発について以下に考察したい。
まず、スギ花粉ワクチン開発の変遷を振り返ると、「減感作療法」の改良を試みたことが理解できる。減感作療法はスギ花粉抽出エキスを長期間かけて段階的に濃度を高めながら皮下に注射していき、スギ花粉にアレルギー応答しない体質を獲得することを目的とする現存する唯一の根本治療であるが、その詳細な作用機序は明らかにされてはいない。
この減感作療法で解決すべき問題点は大きく三つある。第一には、長期間の通院を必要とする治療プロトコルが患者の大きな負担となっている、第二にはスギ花粉エキスの有効性成分(主要アレルゲンCry j1やCry j2抗原タンパク質)の濃度を高められないこと、そして第三にはスギ花粉エキスによるアナフィラキシー・ショック(注1)を誘発する危険性が挙げられる。
これまで、アレルゲン(注2)濃度を高めることと、アナフィラキシー・ショックの危険性を回避することを目的に、多糖類プルランとスギ花粉由来精製Cry j1およびCry j2タンパク質の複合体が考案された。天然由来のCry j1やCry j2タンパク質は、通常それらの立体構造を認識するIgE抗体(注3)が結合してアナフィラキシーが誘発されるが、プルラン複合体はIgE抗体との結合能を低下させて、アナフィラキシーを誘発しない安全な減感作抗原として期待された。しかしながら、スギ花粉エキスとの比較試験で有効性に統計学的な有意差が認められず開発が中止されている。その原因の一つとして、減感作療法の第一の問題点である治療プロトコルをそのまま踏襲したことが挙げられる。つまり、減感作療法の薬効メカニズムを解明できていれば、プロトコルを最適化することができていたかもしれないのである。
次に、人工アレルゲンとしてT細胞エピトープ連結ペプチドが開発された。T細胞をエピトープペプチドだけで刺激すると不応答(アナジー)が誘導される。そこで、スギ花粉症患者T細胞が認識するCry j1とCry j2上のエピトープ配列(5個または7個)を見つけ出し、それらを連結したポリペプチドを作製すれば、スギ花粉特異的T細胞にアナジーを誘導してアレルギー応答が抑制されることを想定したわけである。またT細胞エピトープ連結ポリペプチドは、天然型の立体構造を保持していないので、Cry j1やCry j2特異的IgE抗体とは結合しない。
以上のことから、T細胞エピトープ連結ポリペプチドは、既存の減感作療法の問題点を解決できる画期的なワクチンになることが期待されたが、臨床試験段階で中断されている。その原因として、T細胞エピトープ連結ポリペプチド以外のエピトープを認識するT細胞の存在が無視できない。HLAが多様な多くの患者さんに対する治療効果を考えた場合に、Cry j1またはCry j2抗原特異的T細胞エピトープ配列が5個か7個に集積されるとは考え難い。つまり他のエピトープに特異的なT細胞は存在しているはずなので、それらにはアナジーが誘導されず、逆に活性化されるためアレルギー応答が別経路で誘発されることになるのである。
一方、スギ花粉エキスを使いつつ、アナフィラキシー・ショックの危険性を軽減させる減感作療法として、近年、舌下免疫療法(sublingual immunotherapy: SLIT)に注目が集まっている。これは、スギ花粉エキスを自宅で舌下に滴下する治療であるため、通院の手間が省け長期間の治療でも継続することが容易である。また、皮下注射と違って舌下投与の場合、抗原がスギ花粉エキスであっても全身性のアナフィラキシー・ショックを誘発する危険がきわめて低い。もし、投与量を高められれば有効性を高められる可能性は高い。
以上のようにスギ花粉ワクチンの開発にはさまざまな試みがなされたが、いまだ医薬品化されたものがない。そこでわれわれは、既存の減感作療法やSLITに利用できる新規リコンビナントCry j1/2融合タンパク質を作製した。これは、Cry j1とCry j2のそれぞれの全成熟領域を遺伝子工学技術で直接結合させた融合タンパク質であるので、すべてのスギ花粉症患者さんのT細胞エピトープを保持していることになる。これをポリエチレングリコール(PEG)修飾した「リコンビナント・スギ花粉ワクチン」は、リコンビナントCry j1/2融合タンパク質の立体構造を天然型へ回復させない上に、PEG修飾による立体障害によりIgE抗体の結合を完全に阻害することができるので、全身に投与してもアナフィラキシー・ショックを誘発する危険性が極めて低いことが予想される。このワクチンは、理研のトランスレーショナル・リサーチ(TR)第1号として既に開発ステージに入っており、製薬企業との共同開発体制を構築中である。
もう1つは、リコンビナントCry j1/2融合タンパク質をリポソーム(注4)内腔に封入した「リポソームワクチン」である。リポソームには、ナチュラル・キラーT(NKT)細胞を活性化するα-ガラクトシルセラミド(α-GalCer)という化合物を埋め込んであるため、減感作作用に加えて、より積極的に免疫制御性細胞を誘導することが期待できる。この「リポソームワクチン」は平成20年度科学技術振興機構(JST)独創的シーズ展開事業・革新的ベンチャー活用開発「創薬イノベーションプログラム」に採択され、(株)レグイミューン(REGiMMUNE Co.)と理研のわれわれの研究チームで共同開発を開始した。製薬企業とのパートナリングを早期に成立させ、開発をさらに加速させることを目標にしている。
以上のように、今まで誰も成し得なかったスギ花粉ワクチンの医薬品化を目指し、われわれは「リコンビナント・スギ花粉ワクチン」と「リポソームワクチン」の開発を進めている。さらに第3、第4のスギ花粉ワクチンのコンセプトを創出するため、理研の免疫・アレルギー科学総合研究センターでは全研究チームが一丸となって取り組んでいる。
注釈)
(注1)アナフィラキシー・ショック:
アナフィラキシー・ショック:同一アレルゲンが2回目に体内に侵入した時に起きるアレルギー反応。1回目よりも急速で強く、ときに呼吸困難、めまい、意識障害などの症状を伴い、さらに血圧低下などによりショック症状を引き起こし、生命が危険な状態となることもある。
(注2)アレルゲン:
アレルギーを引き起こす原因となるもので、確認されているだけで200近くある。花粉、ダニの死骸、ホルムアルデヒドなど代表的なものだけでなく、寒さなどもアレルゲンとなる。
(注3)IgE抗体:
花粉などアレルギーを起こす抗原との接触を繰り返すうちに体内に蓄積される。蓄積がある量以上になると次に抗原が体内に浸入したときに、この抗原に結びつき、血管や神経を刺激するアレルギー症状が現れる。
(注4)リポソーム:
細胞膜の構成成分であるリン脂質を水中に分散させて種々の処理を加えて形成されるナノサイズの微小カプセル。生体膜に似ているため薬物輸送システムとしてさまざまな医療分野で実用化されている。

(いしい やすゆき)
石井保之 (いしい やすゆき) 氏のプロフィール
1986年東京工業大学理学部化学科卒、88年同大学院総合理工学研究科修士課程(生命化学専攻)修了。キリンビール医薬探索研究所研究員、米ラホヤ・アレルギー免疫研究所客員研究員、通商産業省工業技術院大阪工業技術研究所主任研究員、産業技術総合研究所ヒューマンストレスシグナル研究センター主任研究員、理化学研究所免疫アレルギー科学総合研究センターアレルギー戦略研究ユニット・ユニットリーダーなどを経て、2006年から現職。07年から千葉大学大学院 医学研究院免疫制御学講座・客員准教授も兼務。理学博士。