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科学ロマン、生命起源の研究はなぜ少ないか(中沢弘基 氏 / 物質・材料研究機構 名誉フェロー)

2009.02.12

中沢弘基 氏 / 物質・材料研究機構 名誉フェロー

物質・材料研究機構 名誉フェロー 中沢弘基 氏
中沢弘基 氏

 先日、生命の発生に必要な有機分子は40〜38億年前頃に激しかった隕石や小惑星の海洋爆撃によって準備されたであろう、とする研究発表をして少々世間の耳目を集めました。本邦の新聞諸紙やNHKだけでなく、論文掲載誌(Nature Geoscience)がフランス人研究者の解説記事を載せたり、米国のテレビや大衆紙からもインタビューを受けるなど、海外の反響も結構ありました。その中でサイエンスポータルからは、ニュースはともかく、生命の起源の研究が少ないと思われるがその理由を“オピニオン”に書いて欲しいとの要請を受けました。本稿はそれに応じた私見です。

 理由の半分、学術的な側面は、エルヴィン・シュレーディンガーがすでに、著書「生命とは何か−物理的に見た生細胞」(岩波新書、1951年、原著は1944年)の序文の中で述べています。「科学者はそれぞれの専門分野について、完全な徹底した知識を身につけて研究することを要求されるので、生命の起源のような総合科学は発達し難い」と。

 生命の起源は生物学や有機化学の研究対象だと思われるかも知れませんが、そのどちらであっても一専門領域で解ける謎ではありません。むしろ総合科学です。専門分野で活躍中の研究者にとってはなかなか取り掛かり難いのです。

 先日の研究発表は、筆者がかつて地球科学・物質科学の視点から、地球の軽元素が生命を構成するに至るプロセスを考察して提案した生命起源シナリオ(脚注1)の、最初の一部、“有機分子ビッグバン仮説”を実験によって確かめたものです。地球上に有機分子が出現したメカニズムとしては、雷の放電によって大気中で生成したとするS.L.ミラーの説(1953年)が長いこと信じられてきました。しかし、最近の地球科学は、同説の前提となるメタンやアンモニアが原始大気には含まれていないことを明らかにしていたのです。

 また生命の起源に関する有名な鶏卵論争、遺伝子が先にできたか酵素が先か、で現在はRNAが先であるとするRNAワールド説が優勢のようです。しかし、どちらが先だったとしても、そんな巨大分子がどうやってできたか、いかに海水中で加水分解を免れたかなど、化学の論理だけでは説明できません(脚注1)。あるいは、2004年のNature誌に、ゲノム解析で“究極の祖先”を求めたら、真性細菌も始原細菌も真核生物もみんな同一のゲノムの集合(The ring of life)から発していた、との論文が載っていますが、これは、ゲノム解析で“究極の祖先”は判らないこと告白したことになりました(脚注2)。これらは、化学や生物学の論理だけで生命の起源に迫ることはできないことを示す好例です。

 先日の新聞記事を見て書かれたブログの中に、「生命起源の研究って、考古学みたいなもんかぁ」という書き込みがありました。確かに、27〜40億年前の生物の出自を探る考古学です。哺乳類→爬虫類→魚類→…と化石の証拠に基づいて生物進化の歴史を遡ると、結局は約27億年前のバクテリアの集合組織であるストロマトライトの化石に至り、生命の起源は更にその先の、化石の残っていない世界になります。地球上最古(38億年前頃)の堆積岩に最初の生命の痕跡を見つけようとする研究が世界の競争になっています。生命は地球と共に進化して来ましたからその起源も地球史の一環であるはずです。しかし、これまで生命の発生に至る個々のプロセスと地球史上の個々の出来事との関係はあまり顧慮されて来ませんでした。古い冥王代の地球史が最近まで判らなかったからです。拙著(脚注1)は、地殻や海の発達に従って生命が深い地下で発生して海に出て適応放散したとする仮説を提案したものです。月や惑星を含む新しい地球科学が冥王代の地球史をどんどん明らかにしていますから、生命起源の研究は総合科学としてこれから進歩する先端分野になるだろうと期待されます。

 生命の起源は誰でも一度は考える謎であり科学ロマンの一つです。にもかかわらず研究する人が少ない理由は、社会の側にもあると思われます。社会は何でも一律に“市場価値”で評価して序列化したがります。大学や研究所はその“経営”のために、特許出願やベンチャー企業の立ち上げを研究発表以上に評価するようになりました。もちろん、科学の研究成果は産業、環境、福祉など社会のあらゆる面の原資になりますから、市場価値の高い研究成果が評価されても当然でしょう。社会にとって良いかどうかはともかく、評価に応じた対価を大学や研究者が受けること自体に問題があるわけではありません。問題は、価値観が市場価値に一元化されて、そこに競争原理が適用されると、“役に立たない”あるいは“判り難い”基礎研究はいろんな場面で不利になってしまうことです。

 基礎研究の多くは単純な“何が?何時?何処で?何故?どうやって?”と言う人類の疑問に答える研究です。去年のノーベル物理学賞の対象となった素粒子論はその典型でしょうし、生命の起源の研究もその範疇(はんちゅう)に入ります。科学は市場だけではない、人の多様な価値観で支えられています。しかも基礎研究の成果は、今はなくても将来は市場価値を持つかもしれないのです。隕石の海洋衝突でアミノ酸ができた、とする筆者らの研究発表も役に立たない部類の研究ですが、見方を変えれば、水と鉱物(石墨)だけからアミノ酸など生物有機分子を製造する方法ですから、将来、食料危機対応の一策とならないとは限りません。

 人にも社会にも様々な価値観があって、それらに依拠して皆が共存できるのが文明社会です。研究成果を市場価値で評価して相応の処遇や対価を与えようとする現況は、あえて清貧を好むわけではない研究者にとって悪い話ではありませんが、しかし一方で、市場価値とは別の価値観に基づいて研究する人もいます。いわゆる基礎研究の多くは、そんな人たちによって担われています。科学の成果を一元的に市場価値で評価して単純に競争原理を適用すると、そう言う人たちを徐々に淘汰(とうた)してしまいます。市場原理による高額な対価よりもむしろ、そこそこの処遇で研究者を遇し、多様な価値観に基づく研究を続けられる社会の方がきっと生命の起源のような基礎研究は発展しやすいだろうと思われます。

注釈)
(1) 中沢弘基「生命の起源・地球が書いたシナリオ」新日本出版社、2006
(2) Rivera, M. C. and J. A. Lake, The ring of life provides evidence for a genome fusion origin of eukaryotes, Nature 431, 152-154, 2004

物質・材料研究機構 名誉フェロー 中沢弘基 氏
中沢弘基 氏
(なかざわ ひろもと)

中沢弘基(なかざわ ひろもと)氏のプロフィール
1940年長野県生まれ。63年東北大学理学部卒、69年大阪大学大学院理学研究科理学博士。大阪大学産業科学研究所助手、科学技術庁無機材質研究所研究官、同総合研究官、東北大学大学院理学研究科教授を経て2004年物質材料研究機構フェロー、09年から現職。著書に「生命の起源・地球が書いたシナリオ」(新日本出版社)。

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