オピニオン

ストリートビューに多角的な議論を(五十嵐太郎 氏 / 東北大学大学院 工学研究科 准教授)

2008.11.14

五十嵐太郎 氏 / 東北大学大学院 工学研究科 准教授

東北大学大学院 工学研究科 准教授 五十嵐太郎 氏
五十嵐太郎 氏

 先日、ある雑誌から、日本でもサービスを開始したグーグル・ストリートビューに関するインタビューの依頼を受けた。かつて筆者が現代の情報テクノロジーを用いて監視社会に突き進む空間を批判的に論じた『過防備都市』(中央公論新書ラクレ)を執筆したからである。ゆえに、その雑誌は筆者のストリートビューを反対する言葉を期待していたようなのだが、考え始めると、そう単純に○か×かで割り切れず、問題の複雑さについて正直にコメントしたところ、結局、記事ではまったくコメントが採用されなかった。

 言うまでもなく、グーグル・ストリートビューは、インターネットの検索エンジンでよく知られるグーグルが新しく公開したサービスである。見慣れた道順がゲームのように画面の中で連続的に展開する映像は、情報化の時代にふさわしい便利なシステムだろう。グーグルは、世界のデータベース化を推進し、文字情報はもちろん、視覚のレベルでもすさまじい進化を遂げている。すでに地図だけではなく、地球上のほとんどの場所のかなり精度の高い人工衛星からの俯瞰写真を閲覧できることでも大きな衝撃を与えたが、ストリートビューでは地上の視線となり、網の目のようにネットワークされた道路からの眺めを連続的に体験できるようになった。

 ネット上でもすぐに反響があらわれ、純粋におもしろがるものから、自分の家の前を知らないうちに撮影され、ウェブ上で世界中から見られることに気持ち悪さを感じるといった反応まで、いろいろなコメントが寄せられている。もっとも、この問題がややこしいのが、テクノロジーをベースに切り開く新しい地平は、あらゆる思想や倫理よりも先に未曾有の事態を現実にもたらすことだ。

 クルマの上部に設置されたカメラから自動的に道路を撮影した写真は、個人の敷地内に侵入したわけではなく、公道から誰もが見ることができる風景だ。もしこれが問題ならば、住宅、あるいは建築の肖像権が成立するかもしれない。そのとき筆者が気になったのは、職業柄、いろいろな場所を訪れて、建築の写真を撮影するのだが、それも規制されるのだろうか?ということだ。実際、有名な建築家の設計した集合住宅を撮影して不審者扱いをされたり、ブランド建築の外観を撮影して警備員に止められた経験がある。前者はこどものセキュリティ意識が過敏になったことが原因だろう。一方、後者はあらゆるものに著作権を主張する風潮が影響している。だが、街の風景もコピーライトの対象になるのか?

 少なくとも公共の場所に向けて見える建築の正面に関しては、撮影の自由があるのではないか。なるほど、ストリートビューは特定の企業が将来の金もうけを見据え、大々的なプロジェクトを遂行しており、個人が撮影するのとは違う。また実際に問題とされているのは、むしろ自動撮影の際に映ってしまう個人のプライバシーである。顔はぼかされているが、近所の人が閲覧すれば、個人の特定は可能だろう。見られたくないシーンがたまたま写ることもある(要請すれば、削除されるようだ)。しかし、いったん公道からの建築撮影を規制する法律が確定すると、撮影の目的がどうであれ、システムはいつも平等に作動する。権利が肥大化すると、かえってわれわれの自由を束縛しかねない。

 ストリートビューが窃盗犯に活用されるという意見もきく。アジアの窃盗団がネットで街の弱点を下見をして、大挙して来日するというのだ。しかし、現状のデータを見るかぎり、主要都市しか対象になっていない。また(犯罪に重要な?)肝心の小道は網羅されていないし、なによりも画像の解像度が低い。現場でしか得られない情報が圧倒的に多いのだから、やはり現時点では泥棒にはあまり役立たないように思う。これで完ぺきな盗みができると本気で信じるならば、単にメディアのリテラシーが低いのか、ネット上にすべての知識があると信じている学生と同じレベルだ。もちろん、将来にもっと高解像度の画像が公開され、細かい路地のデータも整備されたら、状況は変わるかもしれない。

 興味深いのは、監視カメラでいつのまにか動画が撮影されることには慣れているのに、あちこちの場所にはりめぐらされたストリートビューで自分の家の静止画像が見られることがわかると不快に思う人が多いことである。なぜ公園に監視カメラが設置されるのは犯罪対策に役立ち、OKなのに、ストリートビューの存在は犯罪促進となり、NGになるのか? 通常、監視カメラの映像をわれわれが見ることがないのに対し、ストリートビューはネットで探すと、自分も見られていることがわかってしまうのが原因かもしれない。おそらく自分も見られている、つまり潜在的な犯罪者として扱われる不愉快さと、見ず知らずの人がその映像を見ることへの不安が喚起されるのだ(でも、全世界の人がわざわざあなたの家を見るほど暇なわけがない。せいぜい本人とその家族、幅を広げてもたかだか数名だろう)。

 ともあれ、ストリートビューが嫌ならば、なぜもっと監視カメラの反対運動が起きないのだろうか。しかし、逆に言えば、泥棒が利用するどころか、セキュリティに役立つという可能性もある。監視カメラは特定の場所に固定されている代わりに、時間の軸で映像を記録し、それがアーカイブとして蓄積される。一方、ストリートビューは空間の広がりをもつが、ある瞬間だけしか記録していない。それぞれ時間と空間において展開する相互補完的なメディアである。だが、例えば、電柱などを利用し、あらゆる場所にネットワーク化されたカメラを導入して、両者の技術が結びつけば、全世界のリアルタイム監視も構築できるだろう。われわれは、これを犯罪抑止のユートピアとして歓迎すべきなのか?

 新しい現実の世界への扉は開かれた。

 ゆえに、その先を想像し、今から議論しておくのは重要だろう。

東北大学大学院 工学研究科 准教授 五十嵐太郎 氏
五十嵐太郎 氏
(いがらし たろう)

五十嵐太郎(いがらし たろう)氏のプロフィール
1967年フランス・パリ生まれ。東京大学工学系大学院修了。博士(工学)。中部大学助教授を経て、2005年4月から現職。東京芸術大学、多摩美術大学/非常勤講師。著書に『終わりの建築/始まりの建築-ポスト・ラディカリズムの建築と言説』(INAX出版)、『新宗教と巨大建築』(講談社現代新書)、『戦争と建築』(晶文社)、『過防備都市』(中公新書ラクレ)、『美しい都市・醜い都市』(同)など。

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