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「技術の人間化」目指し - 芸術工学と感性価値創造(森田昌嗣 氏 / 九州大学大学院 芸術工学研究院 教授、九州大学ユーザーサイエンス機構・感性価値クリエーション部長)

2008.08.27

森田昌嗣 氏 / 九州大学大学院 芸術工学研究院 教授、九州大学ユーザーサイエンス機構・感性価値クリエーション部長

九州大学大学院 芸術工学研究院 教授、九州大学ユーザーサイエンス機構・感性価値クリエーション部長 森田昌嗣 氏
森田昌嗣 氏

感性と技術の融合

 1968年に全国で初めて「芸術工学部」を有する大学として開学した九州芸術工科大学は、2003年10月に九州大学と統合した。九州芸術工科大学初代学長の小池新二先生が「芸術工学」の理念として掲げた「技術の人間化」は、統合後もなお新鮮な響きを持って踏襲されている。「技術の人間化」とは、「技術」をその本来あるべき位置に正しくとらえ、技術の発展自体を人間的基準(感性/デザイン)に立脚して進め、技術の発展を人類の福祉と人間生活の一層の充実に役立てることと位置づけられている。

 開学当時の20世紀中盤は、いまだ近代合理主義の下で問題を要素に分解して突き詰め、全体像を明らかにしようとする要素還元論が唯一の体系であり、その担い手が科学技術の進展であると信じられていた時代だった。しかし、このころから公害問題や民族問題など、要素に分解して解を得ることでは解決できない、またこれまでの要素単位の探求が人類や社会の体系に新たな問題を発生させるなど、科学技術の盲信的な進展だけでは対応できない人類への大きな課題が投げかけられた時代でもある。

 一方、当時の「デザイン」の一般的な解釈は、科学技術の成果に色やかたちなどの表層的な処理を行い、商業的成果に結びつける要素技術の一つとしてとらえられていた。そして40年余りが経過する中で、人類や社会の課題解決の一つとして「技術の人間化」が果たす役割が重視され、また「デザイン」には、表層的要素技術だけでなく人間生活のさまざまな事象を体系づける「技術の人間化」のための感性と技術を融合する役割が増大している。

 このことは、感性と技術を関係づける「技術の人間化」の理念を掲げ、その理念を実践できる専門家の不在をミッシングテクニシャンと称し、その専門家こそが「designer」であり、その学際的教育研究領域を「Design=芸術工学」に位置づけた小池学長の先見性の鋭さと洞察力の深さが立証されたともいえる。しかし小池学長が予想した以上に複雑化し多様化する現代社会の状況に対応するためには、単科大学の枠を超えて総合大学の知の体系と連携した「芸術工学」の新たな役割と価値を探究し明確化することが求められている。

 そこで統合後の芸術工学では、06年度に九州芸工大時からの大学院の1専攻(芸術工学専攻)から2専攻への再編を行い、デザインストラテジー専攻修士課程を設置した。デザインストラテジー専攻修士課程は、デザインの各領域を結びつけ制作の中核をなすデザインディレクター人材の育成に加え、事物のデザインコンセプトを決める構想力を持ちながら、それを実際に企画し、生産、知財化、流通、販売するまでのデザインビジネス過程を推進する能力をもつ新しい型の高度専門職業人である「デザインプロデューサー、デザインストラテジスト」の育成を目指している。

 そして08年4月から「独自の実践型デザインストラテジー方法論を構築し教育研究を担える高度なデザインストラテジー能力」を有する人材育成のための博士後期課程を設置し、同時に芸術工学専攻も4つのコースに再編し、芸術工学の基礎研究領域を受け持つ「デザイン人間科学」と社会の要請による3つのテーマ別専門研究領域に分けた「コミュニケーションデザイン科学」、「環境・遺産デザイン」そして「コンテンツクリエイティブデザイン」に再編した。

ユーザー感性学の確立へ

 九州芸工大と九大との統合を期に、04年度、文部科学省科学振興調整費・戦略的拠点育成プログラム(通称・スーパーCOE)「ユーザーを基盤とした技術・感性融合機構−九州大学ユーザーサイエンス機構(以下USIと呼ぶ)」が採択され、今年度までの5カ年のプログラムを推進している。USIの目的は、人々の真の幸福を生むためのユーザー(生活者、社会など)の視点から感性と技術の融合を推進し、知の創造と利用を図る従来にない研究開発システムと、それを支える人材を育成していく教育システムを確立し、世界初の教育・研究開発拠点を構築することと位置づけている。

 研究着手の初期段階(04-05年度)は、九州大学の各専門領域を横断する感性と技術の融合のためのパイロットプロジェクトを推進し、06年度から今年度にかけては、USIが独自に開発した研究開発システムの骨幹を成す「感性テーブル」の基本概念を設定し、パイロットプロジェクトによる感性テーブルの検証を進めている。本事業の最終年度(08年度)は、感性テーブルの運用システムに基づく研究開発システムを完成させる予定である。

 USIにおける感性とは、感性を知の利用と活用を基調に考え、感性を「より良く(適応的に)生きるための機能」ととらえ、感性を支援する3条件として (1)生活保証のための「安心・安全」 (2)環境に対する生物学的・文化的適応のための「適応性・利便性」 (3)よりよく意欲的に生きるための「心地・感動」- と定義している。この考え方は、芸術工学の「技術の人間化」の理念と相互に深い関係を有し、「感性」を切り口に芸術工学、人間環境学、工学、医学、農学、経済学等々の諸学問領域を融合することを意図している。

 そして、その融合のための運用システムの中軸となる「感性テーブル」と、そのサブシステムとなるデザイン評価診断システム「クオリティカルテ」の開発を進めている。感性テーブルは、ユーザーのニーズを感性の次元で把握し、それと大学の知識シーズ(感性知)とを結びつけ構造化するツールである。感性テーブルには、感性軸と知識軸からなるマトリクスで構成される。マトリクスのセルにはニーズに対応した知が位置づけられ、ユーザーニーズ(潜在ニーズを含め)に対応した解決のための知識シーズを選び出し、それらを相互に結びつけることで知の融合のシステムを構成する。

 クオリティカルテは、ユーザーを、経営者や営業マンなどの「送り手」、デザイナーや技術者などの「作り手」、エンドユーザーなどの「受け手」に分け、これら3者のユーザーグループが同じ評価指標を用いて、製品や空間を評価した際に、その評価結果に現れる各ユーザーグループ間に存在すると考えられるデザイン評価のズレを明らかにする感性テーブルにおける評価ツールである。クオリティカルテは、このズレが感性面でのユーザーニーズであり、そのズレの要因をデザイン開発に活かすことが目的である。

 来年度設置予定のユーザー感性学専攻は、感性の基礎学となる「感性科学コース」、子どもの感性を核とする「感性コミュニケーションコース」、そして上述の感性テーブルとクオリティカルテを活用した感性価値創造の方法を構築する「感性価値クリエーションコース」の3つの専門コースと社会との連携のためのユーザーサイエンスセンターで構成され、総合大学である九州大学の知をユーザーのための感性に統合する新たな感性学の確立を目指す。

九州大学大学院 芸術工学研究院 教授、九州大学ユーザーサイエンス機構・感性価値クリエーション部長 森田昌嗣 氏
森田昌嗣 氏
(もりた よしつぐ)

森田昌嗣(もりた よしつぐ)氏のプロフィール
東京芸術大学大学院修士課程修了後、GK設計・環境設計部長を経て1992年九州芸術工科大学助教授、2000年同教授、03年現職。芸術工学博士。専門はパブリックデザイン、生活空間デザイン。東京都の銀座・晴海通りや西新宿地区、福岡市の西中島橋、箱崎駅周辺計画などのパブリックデザイン、サインや照明などのストリートファニチャー、家具開発、素材開発等などのエレメントデザインなどでグッドデザイン賞など受賞多数。最近の産学官連携プロジェクトにおいては、ショッピングセンターや集合住宅,博物館などのユニバーサルデザイン、ブランドデザイン、日韓パブリックデザインプロジェクト、また感性価値創造のための感性テーブルおよびデザイン・感性価値評価診断システム(クオリティカルテ)の開発などのプロジェクトに携わっている。

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