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セキュアマテリアルの提言 -安心安全な材料を目指して(石川正道 氏 / 東京工業大学 統合研究院 教授)

2008.04.23

石川正道 氏 / 東京工業大学 統合研究院 教授

東京工業大学 統合研究院 教授 石川正道 氏
石川正道 氏

 材料開発は、絶えず日本経済を牽引する役割を担ってきた。21世紀の開発現場においては、それまでの性能や経済性の追求のみでは許されず、環境との調和、さらには社会や個人に安心と安全を与えることが求められるようになってきた。ならばいっそのこと社会が言うところの安心安全の価値観から出発して、材料の開発目標を決めることはできないのか。これが、私たちが考えた安心安全の材料学、セキュアマテリアルの発想である。

 これまで物を扱う材料屋が、社会の価値観を大上段にとらえて材料開発をすすめようという発言はなかったと思う(あったとしてもせいぜい研究の意義を説明するための枕言葉程度が関の山だ)。しかし私たちは、社会が真に望む安心安全の価値観に従って、材料を考えようという草の根活動を始めることとした。

 これまで2回の国際ワークショップを開催した。第1回目(2007年3月22日)では、村上陽一郎氏(国際基督教大学)、C.T.ヒル氏(ジョージメースン大学)をはじめとする人文、理工系の専門家を交えてセキュアマテリアルのあり方を討議し、次のような提言を行った。安心安全な社会は、規制をよりどころとする社会ではなく、自発的に自らを律することによって互いの信頼を得られるような社会である。科学技術が社会に浸透し、高度化するにつけ、社会に生起するリスクは多様化(マルチリスク化)し、個人的また主観的な要素が作用して科学技術に対する不安が醸成される。このため、基準や規制といった客観的な指標による評価が難しくなる。科学技術の専門家は、技術開発が社会と同じ価値観を共有しつつ行われるものである限りにおいて社会の信頼が得られるということを強く自覚する必要がある。すなわち、社会の人々は専門的な知識そのものを理解することによって安心安全を得るわけではない。専門家が何を重視して、何を実現しようとしているのか、そういった根底にある価値観を共有しあうことによって信頼が生まれるのであり、相互理解を触媒する場と仕組みを作り出す努力が必要である。

 これらの提言は別に材料開発に限って言われたことではなく、科学技術の専門家が等しく心にとめるべきことである。それではマテリアルの側面からこのような命題を解釈するとどうなるか。これに答えるために、「モビリティ(自動車)社会の安全と安心」と題して、第2回目の国際ワークショップを開催した(2008年3月25日)。特にモビリティ社会を取り上げたのは、自動車技術の発展が我が国の材料技術の発展と表裏一体の関係にあったこと。さらに、自動車の普及に伴う大気汚染による深刻な健康被害、交通事故、石油および資源価格の高騰など、現在においても社会の安心安全の重要な問題を引き起こし続けていることによる。

 第2回目の議論において興味深い内容は、安心安全に関わる全くスケールの異なる2つの軸が材料開発に関連して浮き彫りになったことである。この2つの軸とは、1つは、二酸化炭素の排出に伴う地球温暖化問題、石油および希少資源の枯渇など世界の持続的発展の障害となるグローバルな軸であり、もう1つは、自動車社会がもたらす交通渋滞、交通事故および都市に住む市民の健康を脅かす大気汚染問題など、地域の安心安全を脅かすローカルな軸である。

 21世紀の社会は、人が望む時にあらゆる地域を自由に行き来できる社会であることは間違いない。このような社会を実現しようとすれば、先に述べた2つの軸の問題が同時に発生する。この2つの軸は、現在の学術体系では同時に扱うことが困難で、それぞれ別々に議論せざるを得ない状況にある。現在、新興のアジア諸国に対してこのような問題への対処が迫られるようになっている。

 それでは、セキュアマテリアルにはこのような分裂した社会状況を克服する可能性があるのか。一つの有望な例は、軽量、リサイクル、安全を同時に満たす樹脂系複合材料の大幅導入である。最近の自動車には10%程度の樹脂系材料が使われており、さらにこれを増やす新材料が開発されれば、軽量化による燃費向上、排出ガスの低減、車体リサイクルによる資源需要の削減、さらには衝突速度に応じて変形、破壊を制御するなど交通事故時の人へのダメージを軽減することができる。しかもこれは決して夢の技術ではない。

 ところで私たちには、セレンディピティという思いがけない宝物を発見する能力があることをご存じであろうか。日本人技術者は特にこれに優れていると言われる。大なるものを前にして、小なるものの価値を感じとる、日本人特有の気づきの文化がこれを支えていると思う。私たちは、専門家と非専門家を結びつけるセキュアマテリアルが、社会の課題解決に光を与えるよう気づきの場を作る活動を続けるつもりである。

 最後に、ここにまとめた内容は、セキュアマテリアルの名付け親である近藤建一氏(東工大)と、ワークショップに参加された方々との交流があってはじめて生み出されたものであることを付け加えたい。

東京工業大学 統合研究院 教授 石川正道 氏
石川正道 氏
(いしかわ まさみち)

石川正道(いしかわ まさみち)氏のプロフィール
1955年愛知県生まれ。78年東北大学理学部化学科卒業。83年東京工業大学大学院総合理工学研究科博士課程終了、工学博士。株式会社三菱総合研究所に入社。同先端科学研究所長を経て、2004年東京工業大学物質科学創造専攻教授、05年から現職。社会課題を解決するために大学の知の統合を目指すソリューション研究を提案し、大型研究プロジェクトの企画立案に取り組んでいる。これまで、宇宙航空研究開発機構と共同して国際宇宙ステーションを利用した基礎科学研究を推進。厚生労働省による医療機器開発推進研究事業(ナノメディシン)の評価委員も。専門は、材料科学、ナノテクノロジー。主な著書に、「マイクログラビティ」(培風館)、「ナノテク&ビジネス入門」(オーム社)などがある。94年技術・科学図書文化賞(日刊工業新聞社)受賞。

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