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半導体技術革新のインパクト(牧本次生 氏 / テクノビジョン代表、元ソニー顧問)

2008.01.16

牧本次生 氏 / テクノビジョン代表、元ソニー顧問

テクノビジョン代表、元ソニー顧問 牧本次生 氏
牧本次生 氏

 過去40年における最重要技術は何であったか?

 これは04年に米国のIEEE Spectrum 誌が40人の有識者に行なったアンケートである。半数に近い19名もの人が「半導体」を挙げて断然のトップであり、2位「インターネット」の8名を大きく引き離した。

 本格的な半導体時代の幕開けは1947年12月23日、米国ベル研究所でのトランジスタの発明にあるといえよう。昨年末で還暦を迎えたことになるが、技術革新の勢いは今なお日進月歩である。

 しかしながら、半導体は内蔵品であり、目で見たり手で触れることもできないため、身近で起こっているさまざまな変化は半導体の技術革新がもたらしたという実感が湧かないのも事実であろう。ここでごく身近な事例をご紹介したい。

 日経新聞は昨年7月、十円玉など硬貨の流通数が減少していることを報じた。1年前に比べて0.25%の減であり、月次ベースでは過去最大のマイナスになった。なぜ、このような現象が起こったのだろうか?

 端的にいえば、半導体が硬貨に取って代わり始めたのである。日本における最初の電子マネーとしてEdyやSuicaが登場したのは01年である。昨年3月にはPASMOが登場し、4月にはセブン&ホールディングスがnanacoのサービスを開始した。

 一般の方には突如として表れたような印象があるかもしれないが、その背後には30年余に及ぶ半導体技術革新の積み重ねがあったのだ。「お金」に代わるためには「高度のセキュリティー、超高信頼性、低コスト、ローパワー」の技術開発が必要であり、チップに搭載されるマイコン、不揮発性メモリ、暗号処理プロセッサ、無線送受信回路はそのようなニーズを満たすべく、改善が続けられたのである。

 もう一つの事例は、目を見張るような進化を遂げた携帯電話である。それは単なる「電話」ではなく「動く万能端末」であるといえよう。私は一昨年、ホーチミン市を訪問の折、ベトナム戦争時代に使われた移動電話の実物を見る機会があった。まことに巨大で、重量は10Kgもあったが、その後約30年で百分の一にまで軽量化が進んだのである。これはまさに半導体技術革新の賜物に他ならず、その威力にいまさらながら驚嘆させられたのであった。

 将来を展望すれば、半導体のさらなる技術革新はコンシューマ製品のみならず、自動車の高度化(安全・快適・無公害)、医療・計測器分野の高度化、さらにはICタグの活用による物流分野の革新など広い分野にインパクトを与えるであろう。

 半導体技術革新の威力は「応用のイノベーション」による波及効果が極めて大きいことがその特徴である。即ち「てこの原理」によって、あらゆる産業分野の高度化と活性化をもたらすのだ。

 日本の半導体生産高は約5兆円の規模であり、GDP比では1%にすぎない。しかし、上記の理由により、GDP比でおおむね40%の産業分野がその高度化の基盤を半導体においているのだ。即ち「半導体は1%産業にあらず!」といった捉え方をしなければならない。

 さて、わが国にとって、それほどに重要な半導体分野の国際競争力はどうか?

 米国についで2位の地位にあった70年代から急速に競争力を増して、80年代末には世界市場の50%以上の市場シェアを取るまでになっていた。その勢いの激しさゆえに日米貿易摩擦に発展し、両国政府の介入を招き、86年に日米半導体協定が結ばれた。そして協定は10年にも亘って続いた結果、事業運営の自由度はかなりの制約を受けたのである。

 この間、米国はじめ欧州、アジアの諸国においては産官学の連携を核として、国を挙げて半導体の強化に取り組んだ。そして日本はなすすべもなく急速に競争力を失い、今日の市場シェアはピーク時の半分以下にまで落ち込んでいる。

 天然資源の乏しいわが国において、半導体はかけがえのない産業分野である。その競争力の低下は単に半導体分野だけの問題ではなく「てこの原理」が及ぶ多くの産業分野にボディーブローのように効いてくるだろう。

 今こそわが国においては、産官学の総力をもう一度結集し、重要な国家戦略として取り組まなければならない。科学技術に携わる多くの方々が半導体の重要性についての認識を共有することを願ってやまない次第である。

テクノビジョン代表、元ソニー顧問 牧本次生 氏
牧本次生 氏

牧本次生 氏のプロフィール
1937年鹿児島県生まれ。59年東京大学工学部卒業、66年スタンフォード大学電気工学科修士、71年東京大学工学博士、97年IEEE フェロー。59年日立製作所入社後一貫して半導体の道を歩む。86年武蔵工場長、89年半導体設計開発センター長、91年取締役、93年常務取締役、97年専務取締役、2000年退社。同年執行役員専務としてソニー入社、01年顧問、05年退社。同年テクノビジョン設立、代表に。チャータード・セミコンダクタ・マニュファクチャリング(シンガポール)取締役、エルピーダメモリ取締役、PDFソリューションズKK会長なども兼務。半導体産業における標準化とカスタム化のサイクル現象は91年にエレクトロニクス・ウイークリー紙(英)によって「牧本ウエーブ」と名付けられた。96年バンクーバにおける日米半導体協定の終結交渉で日本側団長として「世界半導体会議」の設立に貢献。03―05年エレクトロニクス実装学会会長。著書に「デジタル革命」(日経BP社)、「一国の盛衰は半導体にあり」(工業調査会)など。

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