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スーパースターはアインシュタイン(引野 肇 氏 / 東京新聞・中日新聞 科学部長)

2007.10.31

引野 肇 氏 / 東京新聞・中日新聞 科学部長

東京新聞・中日新聞 科学部長 引野 肇 氏
引野 肇 氏

 学生のころ、ひまそうに町中を歩いているとよく、「あなたは神を信じますか?」と、宗教の勧誘で声を掛けられた。宗教に関心がなかった私は、そのたび「私の神様はアインシュタインです」と断った。でも、神様だったわりには、当時、私のアインシュタインに関する知識は、高校で習ったE=mc2の数式だけだった。大学で教わった記憶もない。いや、ローレンツ変換とかシュレディンガー方程式とか、そんな言葉がかすかに頭の片隅にへばりついているので、それなりに物理の授業で教わったのだろう。ただ、私の興味を引くこともなく右耳に入り、そのまま左耳から出て行った。

 30代になって、エンジンの設計技術者から新聞記者に転職した。科学記者となったので、仕事上必要だろうと、何気なく一般向けの相対論の本をぱらぱらとめくった。光速近い速度で走る列車の思考実験から、E=mc2がいとも簡単に導かれることを知り、驚いた。いや、それ以上に、時空が伸びたり縮んだりすることに感動した。その後、一般相対性理論、素粒子論、統一場理論へと興味が進んだ。「いったい私は大学で何をしてきたのか」と呆然とした。いまは一段落して、生命とは何かというテーマで、分子生物学に関心が向いている。

 もし、20代の時、きちんとアインシュタインと出会っていれば、私の人生も変わっていたかもしれない。物理学が私の職業だったかもしれない。まあ、私にはとてもそれだけの能力はないが、でも巨大な重力が光すら曲げるように、私の人生もアインシュタインという巨大な重力で、少しは方向が変わったかもしれない。

 ところで、アインシュタインを知って、ほんとうに人生が変わってしまった人がいる。「オール1の落ちこぼれ、教師になる」(角川書店)の著者、宮本延春さんだ。九九の暗算すら言えなかった24歳の青年が、一大発起して夜間高校に通い、一発で名古屋大学理学部に合格。大学と大学院で物理学を心ゆくまで学び、教師の道を選んだ。彼の人生を根底から変えたきっかけが、妻からもらったNHKスペシャル「アインシュタインロマン」の6本のビデオだった。

 アインシュタインは間違いなく、20世紀が生んだ物理学のスーパースターだ。スーパースターには人の人生を変える力がある。その人が身近にいればいるほど、その影響力は絶大だ。これは簡単なニュートンの万有引力の法則だ。もしアインシュタインがまだ生きていたら、もしアインシュタインが日本人だったら、もしアインシュタインが大学の先輩だったら・・・・。もしそうなったら、日本は物理学者であふれかえったことだろう。

 いま、日本で若者の科学離れが叫ばれている。国もいろいろと対策を打ちつつある。でも、私がいま一番願っているのは、日本の科学のスーパースター誕生だ。若者の目を、憧れで釘付けにするくらいのスーパースターだ。日本人のアインシュタイン、日本人のワトソンとクリック、日本人のビル・ゲイツが出てきてほしい。科学記者になったその日から、私はいつも願ってきた。科学実験のおもしろさ、ものを造ることの楽しさ、自然のからくりを数字と実験で解き明かすことの快感。人が科学を好きになる動機はさまざまだ。でも、スーパースターの魅力には勝てない気がする。それは、人の生き方までも変えてしまうからだ。

 日本中の若き技術者、研究者、科学者たちに聞きたいことがある。「あなたに憧れのスーパースターはいますか?」。そして、あなたたちにお願いしたいことがある。「がんばって、輝いて、若い人たちのスーパースターになってほしい」。それが、いつの間にか科学の道を踏み外してしまった私の、あなたたちへの質問と、お願いです。

東京新聞・中日新聞 科学部長 引野 肇 氏
引野 肇 氏
(ひきの はじめ)

引野 肇(ひきの はじめ)氏のプロフィール
1976年東京大学工学部航空学科卒業、同年、大手機械メーカーに入社、ディーゼルエンジンの設計に従事 79年から81年フランス留学、86年中日新聞社入社、科学部、社会部、宇都宮支局長を経て現職。

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