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研究のモードの変化(井村裕夫 氏 / 先端医療振興財団 理事長)

2007.09.04

井村裕夫 氏 / 先端医療振興財団 理事長

先端医療振興財団 理事長 井村裕夫 氏
井村裕夫 氏

 研究は、それが基礎研究でも、応用研究であっても、かつてはきわめて個人的な営みだった。個人の創意と努力、ひらめきが新発見に到達し、新技術を生み出した。万有引力の法則の発見も、電燈の発明も、それぞれニュートン、エジソンという一人の天才の創造力によってなされた。研究に個人の創意が重要なのは現在も変わらないが、研究のモードは20世紀半ばから次第に変わってきた。

 その一つに組織をつくって行う研究の増加が挙げられる。例えばアポロ計画は、人を月に送り込むことを目的とした壮大な応用型の研究だった。このような研究では、強力なリーダーのもとに、さまざまな分野の科学者、技術者が集まって組織をつくり、互いに協力して研究を推進することが求められる。アポロ計画には比すべくもないが、私が専門とする医学の分野でも、同タイプの研究が大きな流れになりつつある。そのことは臨床研究において顕著に見られる。

 臨床研究では患者さんの協力を得て、新しい医薬品や医療機器の有効性や安全性を評価する。また遺伝子治療や再生医療などの先進治療技術を患者さんに施し、貴重な臨床データを得る。研究を進めるには医師、研究者のみならずリサーチナース、臨床研究コーディネーター、データマネージャー、生物統計家などと呼ばれる専門家がチームをつくって取り組む必要がある。

 だが残念ながら、我が国の臨床研究は欧米に比べて著しく遅れていることを認めざるを得ない。特に、多くの患者さんのデータを扱う大規模な臨床研究で遅れが目立つ。基礎生命科学における日本の研究が近年、世界的な注目を浴びていることと大きな明暗をなしている。

 医学に限った話ではないが、日本では同一分野の研究者が共同研究をすることには慣れているものの、異分野の研究者が協力し、一つの目標に向かって研究を推進することは、はなはだ不得手だ。それが大規模な臨床研究が阻害されている一因になっている。一方、成果があがっている基礎生命科学は、研究者個人の創意と努力によって行われる側面が強いが、今後変化していく可能性がある。

 基礎研究の成果を臨床に展開する重要性は我が国でも理解されており、それに従事している人も少なくない。しかし基礎研究の成果を臨床に生かして一定の結論を得、学会発表や論文ができると、そこで終わり、産業化したり一般の診療に広く応用できるようにするまで至らない場合が多い。

 私たちは今、基礎研究から臨床研究、一般医療までの流れを途切らせることなく、かつ速める方策として、ICR(Integrative Celerity Research;統合化迅速研究)を提言している。これは基礎研究のみでなく臨床疫学に基づいて早い段階でゴールを定め、実用化に至る各段階を迅速に、そして統合的に進めようとするものである。

 それには行政、倫理、法律など社会的な視点がきわめて重要で、医療経済の専門家など、従来の臨床研究よりもさらに広範な分野の人々との連携が求められる。ゲノミクスなど新技術の導入や国際的なハーモナイゼーションも進めなければならない。

 こうした新しい型の研究システムを構築するのは容易ではないが、高齢化の進む日本にとって是非とも実現しなければならない。そのため特に若い優れた人材の参加が求められる。今後、社会の要請によって同様な新しいモードの研究が増加していくことも考えられるので、モデルケースとして臨床研究を発展させていくことは必要であると考える。

本記事は、「日経サイエンス誌」の許諾を得て2007年9月号から転載

先端医療振興財団 理事長 井村裕夫 氏
井村裕夫 氏
(いむら ひろお)

井村裕夫(いむら ひろお)氏のプロフィール
1954年京都大学医学部医学科卒業、62年京都大学大学院医学研究科博士課程修了、京都大学医学部附属病院助手、65年京都大学医学部講師、71年神戸大学医学部教授、77年京都大学医学部教授、89年京都大学医学部長、91年京都大学総長、97年京都大学名誉教授、98年神戸市立中央市民病院長、科学技術会議議員、2001年総合科学技術会議議員、2004年から現職。稲盛財団会長、研究開発戦略センター首席フェローも。日本学士院会員、アメリカ芸術科学アカデミー名誉会員 専門領域は内分泌学。

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