オピニオン

若手をいかに育てるか(井上明久 氏 / 東北大学 総長)

2007.07.27

井上明久 氏 / 東北大学 総長

東北大学 総長 井上明久 氏
井上明久 氏

 東北大学に奉職して30年あまり。そのほとんどの時間を金属材料研究所(金研)で過ごしてきた。金研はKS鋼の発明で知られる鉄鋼の父、本多光太郎(ほんだ・こうたろう)博士を創始とし、実用材料の開発に取り組む一方、基礎研究にも力を注ぎ、アモルファス金属や、それを発展させたバルクガラス金属など先端的な材料を生み出し続けている。

 現在、一研究者から大学全体を考える立場になり、私たちの大学の総合レベルを世界のリーディング・ユニバーシティへと発展させるための行動計画を今春まとめた。その柱のひとつが若手研究教育者の育成策で、特務教授や若手研究者ポストの新設、異分野融合教育を目指した組織の創設などを盛り込んだ。多くの方の意見を参考にしたが、私自身の学生時代、さらに学生を指導する身になってから悩み考えたことも下敷きになっている。

 豊かな実績を持つ伝統ある研究室から、優れた研究教育者が生まれ出る確率は高いといわれる。意欲や素養のある学生が、優れた指導教員を慕い集うことが要因としてあげられる。だが私が指摘したいのは、そうした研究室では研究資金や先端的な実験装置が充実し、各メンバーの研究に取り組む積極姿勢を尊重する雰囲気が醸成されていることだ。

 学生は学位論文をまとめる段になって初めて、苦労して得た多くの実験データの大半が役に立たず、ほんの一部の重要なデータのみしか使えないことに気づく。そして無駄になったデータを得るのに費やした膨大な時間や経費について考えるようになる。こうした教訓を学生自身が学び取ることを許す懐の深さを、こうした研究室は備えている。

 実際、私が学生を指導するときに留意したのは、学生の興味がどこにあるのかを把握し、学生との合意のもとに研究テーマを決めた後は、実験の安全上の問題がない限り自由に研究を行わせるようにしたことだ。早急に成果を求めず、学生の意志である限りは回り道と思える研究も黙認した。

 博士号を得て、独り立ちできるようになったときに研究テーマを変えることも重要だ。私が大学院時代、金属材料研究所で取り組んだのは「鉄鋼中セメンタイト炭化物の変形と破壊」。研究所の源流につながる伝統的なテーマだった。それが助手になると「アモルファス金属の超伝導研究」に変わり、サブテーマは「アモルファス金属の結晶化研究」だった。なじみ親しんだ鉄鋼の世界を離れて、私にとっては海のものとも山のものともわからない先端材料分野に飛び込んだ。

 この大転換は研究室の教授交代によるもので、博士論文のテーマを深めたいと思っていた私は相当悩み戸惑った。だが、これがきっかけで視野が金属に関する物理・化学分野へと大きく広がった。当時、アモルファス金属の超伝導や結晶化の研究は国際競争が激しく、海外での学会発表や海外論文誌への投稿の機会を得たことも独り立ちするのに役立った。この助手時代の研究が、現在の私の主テーマであるバルク金属ガラスにつながっている。

 最初の研究テーマは与えられたものでも、その中から方向性を見いだし、それを発展させようとする研究姿勢と熱意を持ち続けられることが、若手が成長するために重要だと感じている。

 こうした状況を実現できる許容力を持った環境を作り出すことが研究室単位ではなく、大学全体として求められる。私が信じることを反映した行動計画が実り、次代を担う人材が輩出することを期待している。

本記事は、「日経サイエンス誌」の許諾を得て2007年8月号から転載

東北大学 総長 井上明久 氏
井上明久 氏
(いのうえ あきひさ)

井上明久(いのうえ あきひさ)氏のプロフィール
1975年東北大学大学院工学研究科金属材料工学専攻博士課程修了、90年東北大学金属材料研究所教授、2005年副学長などを経て、06年11月総長に就任。アモルファス金属、ナノ結晶金属、ナノ準結晶金属、バルク金属ガラスなどの材料科学・工学的研究を行い、特に、バルク金属ガラスは新しい金属として世界的な注目を集めている。

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