オピニオン

虚の世界をどう見るか(長尾 真 氏 / 国立国会図書館 館長)

2007.07.04

長尾 真 氏 / 国立国会図書館 館長

国立国会図書館 館長 長尾 真 氏
長尾 真 氏

 自然科学は“世界”を客観的に眺め、そこに内在する因果関係を発見し、法則として定立する営みである。哲学の認識論においては、“世界”はすべて個々の人間の頭の中に組み立てられた観念であるとしてきた。そこに第3の世界が入ってきた。それはコンピュータとコンピュータネットワークにおける“世界”である。

 今日科学の多くの分野においてシミュレーションが必須の技術として使われている。外界世界がコンピュータの中にモデル化され、そこでいろんな条件に対してどのような動きや変化をするか、どのような現象が起こるかといったことが調べられ、それが現実世界に存在することとして発表されたりしている。

 今日のコンピュータネットワークの世界は現実世界と同様な広がりと発展をしている。これを“虚の世界”と名付ければ、虚の世界にもあらゆる商店が並び、商品が売られ、また外国旅行も楽しめる。このように虚の世界は実の世界と同等の力をもつ大きな存在となってきており、今後ますます発展してゆくだろう。

 しかし、この虚の世界は目に見えないが故に、実世界以上に種々の混乱を招きやすい。嫌がらせや犯罪も起き、人はしばしばだまされる。虚の世界は全世界的で瞬間的なものであり、個人には手に負えない情報過多で、目に見えないためface-to-faceでかろうじて保たれている実世界での相互信頼性が欠如している、などの問題点がある。

 したがって、実世界が法によって一定の秩序が保たれているように、虚の世界にも全世界的レベルで民法、刑法等を含む法の体系(サイバースペース法)を作り、規律のある世界、安心して利用し活動できる世界を構築することが必要であろう。

 一般の人々にとっては、実の世界と虚の世界とはできるだけ同じような感覚で生活できる空間であるべきで、実の世界と虚の世界との間に存在するギャップを減らし、両世界の間の接続ができるだけスムーズとなる工夫をすることが必要である。例えば次のようなことがらなどは大切である。

  • 個人にとって不要な情報を排除し、膨大な情報を集約し、大切な情報だけを伝える。
  • ある情報がどの程度信頼できるか、その情報の信憑性はどうかについての情報をシステム側から利用者に示すとともに、質問に対する答えには、反対の内容をもつ情報(否定情報)の存在をも示し、一方的な判断が行われないようにする。
  • 情報のやりとりや情報の取得など、ネットワーク上での種々の行為が人間的速度でも行われるようにする。
  • 情報の信頼性を担保するために、ネットワーク上でもface-to-faceの情報交換を実現する。

 いずれにしても、虚の世界をもっと健全なものにしてゆく努力がなされねばならない。

 科学技術の世界も今日、虚の世界なしには発展を期待することは難しい。インターネットは研究者の世界において必須のものだし、巨大な能力をもつスーパーコンピュータの建設競争が世界的に行われているのもその証拠である。したがって、一般社会において虚の世界とつきあうときと同様の注意が科学技術の世界においても必要なことは明らかであろう。

本記事は、「日経サイエンス誌」の許諾を得て2007年7月号から転載

国立国会図書館 館長 長尾 真 氏
長尾 真 氏
(ながお まこと)

長尾 真(ながお まこと) 氏のプロフィール
1936年生まれ、59年京都大学工学部電子工学科卒業、61年京都大学大学院修士課程修了、66年京都大学から工学博士号取得、73年京都大学教授、97年京都大学総長、2004年情報通信研究機構理事長、2007年4月から現職。研究開発業績も自然言語処理・画像処理、情報工学、知能情報学の多分野にわたる。

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