オピニオン

南極観測の新たな50年(本吉洋一 氏 / 国立極地研究所 副所長)

2007.03.05

本吉洋一 氏 / 国立極地研究所 副所長

国立極地研究所 副所長 本吉洋一 氏
本吉洋一 氏

 南極の存在と研究の意義が十分に伝わっているとは言いがたい現状に、自戒をこめて、情報発信の大切さを痛感している。これから始まる50年は南極からの“情報発信”の時代にしたい。

 2007年1月29日は、日本が南極観測の拠点として昭和基地を開設してちょうど50年目にあたる。これを記念し、国立極地研究所は「オープンフォーラム南極」を開催。1月7日〜16日には、フォーラムの3人のパネラーである宇宙飛行士で日本科学未来館館長の毛利衛さん、登山家で医師の今井通子さん、作家の立松和平(わへい)さんを昭和基地にご招待した。同行した私は、南極新時代の始まりを強く感じた。

ぐっと近くなった南極

 今回の南極行きは空路を使ったので、日本を出発して5日で昭和基地に到着した。船で約1カ月かかる1万4000キロの道のりを5日で行ってしまうことを考えれば、南極はぐっと近くなったといえる。

 これからは、科学者や技術者に限らず、作家、画家、学校の先生などさまざまな視点を持った人たちが、南極を訪れるようになるだろう。このことは、現場の研究者にとってもいい刺激になるだろうし、情報発信という点でも重要である。

 今回も、昭和基地では毛利さんたちと隊員との間に、観測の意義や目的について、率直な議論が沸き起こっていた。「あなたはなぜこの研究をしているのですか」という問い掛けに、隊員たちは改めて自分の研究の意義を考えたことだろう。

 3年前にインターネットがつながったときも南極が近くなったと感じた。一昔前、南極に滞在する1年間はほとんど外部からの情報が得られず、浦島太郎状態になって日本に帰った。それが今ではさまざまな情報がリアルタイムで入ってくる。

 南極でも、通信革命、輸送革命が確実に起こっているのだ。

情報発信の50年に

 この50年間、南極は距離的にも時間的にもどんどん近くなった。しかし、南極を身近に感じ、理解してくれる人は増えているのだろうか。講演などを行うたびに感じるのは、日本が南極に基地をもち観測を行っているのは知っていても、実際にどんな研究が行われ、それが自分たちの生活にどうかかわっているか、あまり知られていないということだ。

 たとえば、日本の観測隊が発見したオゾンホール。毎年のようにその拡大が報道されているが、オゾン層とは何なのか、いつ地球にできたのか、穴が開くとどうなるのか、正しく理解されていないのではないだろうか。

 南極は人間活動の影響をほとんど受けないので、地球環境観測の絶好の地である。また、南極条約によって、軍事的利用や資源開発が禁止され、世界が協力して科学研究を行う地球上の特異な地域でもある。こんなことも皆さんにぜひ知ってほしい。

 今後50年に向けて、南極観測と研究の意義が十分に伝わるような“情報発信”の大切さを改めて痛感している。(談)

本記事は、科学技術振興機構(JST)の広報誌JST News3月号のコラム欄から転載

国立極地研究所 副所長 本吉洋一 氏
本吉洋一 氏

本吉洋一 氏のプロフィール
1954年千葉県生まれ、78年北海道大学理学部地質学鉱物学科卒業、86年北海道大学理学研究科博士課程修了、87年オーストラリア・ニューサウスウエールズ大学研究員、88年国立極地研究所助手、94年助教授、2001年教授を経て、06年10月から現職。南極観測歴は、第23次夏隊(1981-82)、第24次夏隊(82-83)、オーストラリア隊(87-88)、第33次越冬隊(91-93)、第40次夏隊(98-99)、第42次越冬隊(観測隊長;2000-02)、第46次夏隊(04-05)、南極フライト(07)

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