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先端研究施設の役割(上坪宏道 氏 / 高輝度光科学研究センター 副会長)

2007.02.26

上坪宏道 氏 / 高輝度光科学研究センター 副会長

高輝度光科学研究センター 副会長 上坪宏道 氏
上坪宏道 氏

 非常にシャープで輝度が高いX線などの光を生み出す放射光施設は、基礎科学から産業応用まで幅広い分野で利用できる先端研究施設だ。世界各地で稼働しているが、その中でも、私が携わる大型放射光施設スプリングエイト(SPring-8)は光の波長範囲や制御性、安定性、偏光特性などの点で人類が手にした最も優れた光源といえる。

 巨大なリング状の高エネルギー電子加速器を使って光を作り出す仕組みで、SPring-8には光の取り出し口(ビームライン)が63カ所あり、同時に50近い研究チームが独立に実験している。今年10月に供用開始から満10年を迎える。

 日本では,先端大型研究施設は共同利用研究機関が建設と運営にあたり、ユーザーとなる研究者コミュニティーがそれを支える仕組みが制度化されている。SPring-8でも透明性を確保するため、運営主体の高輝度光科学研究センターには、学識経験者が運営や実験課題採択の基本方針を検討する諮問委員会があり、共用ビームラインの選定や実験課題の審査でもコミュニティーの声が反映されるようになっている。

 それが供用開始翌年の1998年、意外なことから、研究者コミュニティーの枠を越えた新しい利用分野が開拓されることになった。和歌山毒物カレー事件だ。1998年も押し詰まったある日、東京理科大学の中井泉(なかい・いずみ)教授から、新たに考案した「重元素不純物の存在比の精密測定から、物質の産地や過去の処理の来歴を調べる方法」によって毒物ヒ素の鑑別を行わせてもらいたいとの申し出があった。

 世界でもSPring-8が生み出すX線でしかなしえない高度な分析方法で、その手法の確立は新しい研究分野の開拓につながるとの判断から、「緊急課題」として実験が認められた。事件現場で採取された資料の分析は成功裏に終わり、社会的に大きな話題になった。これを機に科学捜査だけでなく、新しい利用分野が急速に拡大していった。

 供用当初、産業界の利用も限定的で、実験を手がけた実績を持つ有力企業だけが使っていた。そこでコーディネーター制度を新設、産業利用に特化したビームラインを建設した。支援体制も強化し「お試し利用」のプロジェクトを始めると、放射光とは無縁だった産業分野の企業の利用が急増した。

 2005年には延べ1万500人が実験のためSPring-8を訪れ、うち産業界のユーザーは170社、延べ2200人に上る。実験課題の選定方法も多様化した。SPring-8は今や「放射光の研究者コミュニティーの施設」ではなく、不特定多数の研究者・技術者が必要に応じて利用する「先端的分析・計測の社会インフラ」へと変身を遂げた。

 私は現在、佐賀県が建設した中型放射光施設「佐賀県立九州シンクロトロン光研究センター」の所長を兼務している。2006年5月から3本のビームラインで供用を開始した。同年末までに約500時間の実験を行ったが、その60%が九州大学など大学研究者の利用で、残り40%は企業チームだった。佐賀県窯業試験センター(佐賀県は有田焼などの焼き物で知られる)も実験するなど,県の試験研究機関による利用もこれから本格化しそうだ。

 放射光施設の汎用性が認知されるにつれ、他の地方自治体でも放射光施設計画が検討されている。できればこれらの中小型放射光施設がSPring-8などと連携し、一般病院・診療所と先端医療機関の関係のような「先端的計測・分析ネットワーク」を作り、社会に必要とされるインフラの役割を果たしたいと思う。

本記事は、「日経サイエンス誌」の許諾を得て2007年3月号から転載

高輝度光科学研究センター 副会長 上坪宏道 氏
上坪宏道 氏

上坪宏道 氏のプロフィール
1961年東京大学大学院数物系研究科博士課程修了、71年理化学研究所サイクロトロン研究室主任研究員、76年東京大学原子核研究所教授、89年日本原子力研究所・理化学研究所大型放射光施設計画推進共同チームリーダー、92年理化学研究所理事、98年財団法人高輝度光科学研究センター副理事長兼放射光研究所所長、2003年理化学研究所和光研究所長兼中央研究所長、06年理化学研究所特任顧問。重イオン加速器「リングサイクロトロン」建設、大型放射光施設「SPring-8」の建設でそれぞれ中心的な役割を果たした。

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