オピニオン

光と感動、そして芸術と科学(黒川 清 氏 / 日本学術会議 会長)

2006.10.02

黒川 清 氏 / 日本学術会議 会長

日本学術会議 会長 黒川 清 氏
黒川 清 氏

 インドの物理学者ラマン(Chandra-sekhara Raman)は33歳(1921年)のとき地中海を旅し、ブルーオパールの海の輝きに魅せられた。なぜ地中海は自分を感動させるのか。その謎を解き明かそうと光の散乱現象を研究、1928年、振動する原子や分子で光が散乱されて波長が微妙にずれる「ラマン効果」を発見し、1930年にノーベル物理学賞を受賞した。

 19世紀から20世紀にかけてフランスの彫刻と絵画でそれぞれ活躍したロダンとカリエール。2人の間には深い交流があり、美に関する哲学と感動を共有していた。それは「光」だ。光として目に入る事物は時々刻々変化する。その感動を彫刻という3次元、絵画という2次元の世界にどのように表現するか、2人は生涯を通じて追究した。

 人間の脳には視覚や聴覚、触覚、嗅覚などを通じて常にさまざまな刺激が入ってくるが、とりわけ視覚だ。だから光は私たちに強い印象や感動を与え、感動はときに人生の目標を与える。感動を受けるから楽しいし、うれしい、夢中になる。感動を追究する道は人それぞれで、光の本体を知りたい人は科学者に、光を形に表そうとすれば彫刻家に、絵で描きたければ画家になる。小説家や詩人、作曲家なども皆、それぞれに感動を追究する。

 芸術と科学の根源は感動であり、それによって社会は豊かになる。ラマンの感動がきっかけとなって発見されたラマン効果は分析技術として普及し産業を発展させ、ロダンとカリエールの作品は時と場所を隔てた私たちを感動させる(今春、東京・上野の国立西洋美術館で開催された「ロダンとカリエール展」には10万人を超える人が足を運んだ)。

 ラマンやロダンのような「感動する」「ときめく」資質は大学教育で育つとは思えない。それは子供のころ、もっと言えば、お母さんのおなかの中にいたときから潜在していて、育成されてくるのであろう。

 子供にとって毎日は不思議なことばかりだ。だから「なぜ」という言葉を発し続ける。「この人はだれ?」「なぜ夜は暗いの?」「なぜ星が光るの?」「花はなぜ咲くの?」と問いかける。大人の答え次第で子供はうれしくなり、考え、好奇心を伸ばす。

 実際、科学は子供が発する「なぜ?」に答える形で発展してきたようなものとも言える。なぜ太陽は毎日ある一定の方向から出てくるのか? その回答を得ようとして天文学が誕生した。初期の成果は例えば4500年前にできたエジプト・ギザのピラミッドに見ることができる。ピラミッドの底辺は正確に東西南北を向いている。

 こうした知的活動の蓄積の上に現代文明は築かれたが、ここ100年の変化は、その速さ、規模ともそれ以前の1000〜2000年とは比べようもない。ライト兄弟の初飛行(1903年)やアインシュタインが3大論文(特殊相対性理論と光量子仮説、ブラウン運動の理論)を発表した「奇跡の年」(1905年)から約100年、今の時代の到来をだれが予想できただろう?

 科学の急速な進歩で多くの「なぜ?」に答える方法もデータも増えた。しかし、次代の科学者となる子供たちの「なぜ?」に対して「変な質問ね、当たり前でしょ」では子供はうきうきしない。内に秘めた才能は目覚めない。「子供の科学離れ」が話題になるが、これは単に「大人の科学離れ」を示すものだ。なぜこのようなことになってきたのか、大人たちに自分の過去を客観的に見つめながら、よく考えてもらいたい。

(日経サイエンス誌の許諾を得て2006年11月号から転載)

日本学術会議 会長 黒川 清 氏
黒川 清 氏
(くろかわ きよし)

黒川 清(くろかわ きよし) 氏のプロフィール
1962年東京大学医学部卒、69年東京大学医学部助手から米ペンシルベニア大学医学部助手、73年米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医学部内科助教授、79年同教授、83年東京大学医学部助教授、89年同教授、96年東海大学医学部長、総合医学研究所長、97年東京大学名誉教授、2004年東京大学先端科学技術研究センター教授(客員)、東海大学総合科学技術研究所教授等を歴任。この間、2003年日本学術会議会長、総合科学技術会議議員に就任、日本学術会議の改革に取り組むとともに、日本の学術、科学技術振興に指導的な役割を果たす。2006年9月10日、定年により日本学術会議会長を退任。
詳しくは黒川 清 氏のホームページ

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