インタビュー

「自然は守るものです。自然を征服してはならない」—持続的土壌管理手法を確立し、「SDGs達成のためにも土壌問題は大切」と説く日本国際賞受賞者のラタン・ラル博士に聞く

2019.04.23

内城喜貴 / サイエンスポータル編集長、共同通信社客員論説委員

ラタン・ラル博士
ラタン・ラル博士(国際科学技術財団提供)

 2019年の日本国際賞(主催・国際科学技術財団)の授賞者に持続的な土壌管理手法を提唱・実践している米オハイオ州立大学特別栄誉教授のラタン・ラル博士が選ばれた。授賞理由は「食糧安全保障強化と気候変動緩和のための持続的土壌管理手法の確立」。ラル博士の功績は、人類の生存に欠かせない食糧生産を支えるために極めて貴重な土壌を守るだけではなく、大気中の二酸化炭素(CO2)の炭素を土壌有機物として隔離貯蔵することにつなげ、土壌を耕さないことを基本とする「不耕起栽培法」を確立したことだ。

 ラル博士は、2050年までに98億人に達するとされる全地球上の人口を養う食糧をいかに確保するかを念頭に、土壌劣化をいかに防ぎ、気候変動を軽減しつつ環境の質向上のための土壌管理のあり方を提唱、実践してきた。博士の研究業績は国連の持続可能な開発目標(SDGs)の達成にも資するものだ。

 4月8日に東京都千代田区の国立劇場で、天皇、皇后両陛下をお迎えして行われた授賞式を終えたラル博士に、受賞の喜びや、博士の提唱している手法の可能性などについて聞いた。

(4月11日、東京都千代田区のホテルニューオータニで)

「受賞は大変光栄。土壌科学が認知された」

—日本国際賞受賞おめでとうございます。天皇、皇后両陛下も出席された授賞式や祝宴での席を含めた感想はいかがですか。

 天皇、皇后両陛下もご臨席の下、これほど素晴らしい、威厳のある賞を頂いたのは初めてで大変光栄なことだと思います。また土壌科学の研究者がこの賞をいただいたのも初めてということで土壌科学が認知されたことは重要なことだと思います。私個人というより土壌科学者の代表としていただいたと思っています。

日本国際賞の受賞者を祝福される天皇、皇后両陛下(4月8日、国立劇場で)(国際科学技術財団提供)
日本国際賞の受賞者を祝福される天皇、皇后両陛下(4月8日、国立劇場で)(国際科学技術財団提供)
授賞式でのラタン・ラル博士(4月8日、国立劇場で)(国際科学技術財団提供)
授賞式でのラタン・ラル博士(4月8日、国立劇場で)(国際科学技術財団提供)

—博士は1970年代にアフリカの土壌劣化を調べて、耕さない「不耕起栽培法」が土壌保全に有効であることを立証されました。そうした研究のきっかけや経緯などをお聞かせください。

 アフリカで、いかにして作物を増やし、栽培システムを改善することでいかに生産量を増やすかをテーマに研究しました。(当時は)土壌に肥料を与えて(重機など)機械的なシステムで耕す方法でしたが、(アフリカの)研究の現場で豪雨があって耕地の土壌のほとんどが流されてしまいました。しかし、耕していないところは草が生えていて、そこは流されていなかったのです。そこでそれまでの土壌管理の方法は正しくないのではないか、耕さずに土壌管理をして作物を育てることができるのではないかと考えました。そして(マメ科などの)被覆作物を耕さない斜面で育てることから始めました。そのような栽培方法をしながらいろんな急な斜面で、雨量計も使って雨量と土壌流失、浸食との関係を調べました。すると(耕さない方法は)大雨でも浸食が起きないこと、雨は土壌にしみ込んでいき、土壌が雨粒の影響を防ぐことができることが分かったのです。土壌の温度も変わっていませんでした。雨季が終わり干ばつの季節になっても作物の生育の状況は好調でした。

 (注:国際科学技術財団の授賞者解説資料によると「不耕起栽培法」は (1)森林を伐採する際に表面土壌と根や切り株を残す (2)伐採後すぐに被覆作物を育てる (3)被覆作物が枯れたところに目的の作物の種をまく—というのが基本)

 私は土壌の肥沃(ひよく)の専門家ではなく土壌物理学が専門でした。どうしたら土壌を守るかに関心がありました。ですからいかにして浸食に強い土壌をつくれるか研究しました。土の粒が一緒に固まることで雨でもばらばらにならないようになるのです。そして土中で枯れた植物が変化した「腐植」と呼ばれる有機物、これらによって土壌の粒がくっ付いていることが分かったのです。土壌のさまざまなものが土の肥沃につながることが分かって「保全的な農業」という考え方になっていったのです。(耕さない「不耕起栽培」の方法は)急な斜面、広いところでも有効であることを実証しました。ですから森林伐採をするにしても土壌を守る方法で作物を育てる解決策があることが分かったのです。窒素やリンという肥料を与えることなく土壌自体を管理するという考え方です。

 私はまた、大気中の炭素を土壌が取り入れることはできないかと考えました。1982年のことです。どのくらいの速度で炭素を土壌に取り込むことができるか、の評価研究を始めました。(大気中の二酸化炭素の)炭素を貯留する研究でした。

サイエンスポータルのインタビューに答えるラタン・ラル博士(4月11日、東京都千代田区のホテルニューオータニで)
サイエンスポータルのインタビューに答えるラタン・ラル博士(4月11日、東京都千代田区のホテルニューオータニで)

持続可能な農業方法

—日本は自然に恵まれ、自然の恩恵を受けている半面、自然災害大国で、暴風雨などによる大規模な土壌流失も起こっています。日本でも「不耕起栽培」は有効と思いますが必ずしも普及していません。

 日本でも有効であるのは、おっしゃった通りだと思います。アジアでも中国では既に採用されています。中国からは私の研究所に25人来ています。中国以外からもいろんな国から問い合わせがあります。一つお伝えしたいのは、この方法は作物の収量を増やすこと、収量の最大化にはつながらないということです。あまり変わらない。収量が減ることもあります。しかし単純に収量だけを見てはいけません。土壌という資源を保全することができる。肥料を減らすこともできます。この方法は水田でも応用できるのですが、水質も改善できます。また大気中の二酸化炭素の炭素を土壌に戻すこともできるのです。持続可能な農業方法なのです。

 「不耕起栽培法」は、深刻な温室効果ガスであるメタンも減らすことができます。水の消費量も減らすことができます。収量が減ったとしてもいろいろな点で環境に優しい方法なのです。この方法は小麦育成に最も応用されていますが、他の穀物についても応用できるしその応用方法を考える必要があります。研究者には応用範囲を広める義務があると思います。

 (注:ラル博士は、地球上の炭素の循環データに基づいて解析し、土壌と環境や農業生産との関係を詳しく考察し、土壌をどのように管理すれば炭素の貯留・隔離量を増やせるかを研究。研究成果を2004年に科学誌サイエンスに発表している。この論文ではさまざまなタイプの土壌の適切な管理方法が提案され、これらによって世界中で毎年0.4〜1.2ギガトンの炭素を土壌に隔離できるとしている)

SDGsのロゴ(国連広報センター提供)
SDGsのロゴ(国連広報センター提供)

土壌の改良抜きにSDGsのいくつかの目標は達成できない

—博士の研究はSDGsの達成にも貢献できると思いますが。

 この方法(「不耕起栽培法」)は持続可能な生産性を維持することでSDGsの目標1である「貧困をなくす」ことにつながります。農家のむだを減らし、飢餓も撲滅することができます。干ばつなど過酷な環境でも作物を収穫できます。土壌の質も改善でき、そこからとれる作物の質も向上します。2の「飢餓をゼロに」にも関連します。13(「気候変動に具体的な対策を」)や15(「陸の豊かさも守ろう」)にも関係があります。ただしSDGsの目標には「土壌」という言葉が直接でてこない。残念ですが、さまざまな目標は土壌の改良抜きにいくつかの目標は達成できません。薬剤の元の多くは土壌から見つかりました。土壌が破壊されれば貴重な菌、微生物も死んでしまいます。(微生物を含めた)種を守るためには土壌を守ることは重要です。

(祝宴でご一緒した)天皇、皇后両陛下も土壌の重要性についてお話していました。皇后さまは「私たちは自然に属するものです」とおっしゃっていました。素晴らしいお言葉でした。自然は守るものです。自然を害していけない。自然を征服してはならない。私たちは自然との共存が何より大切なのです。一般の多くの方々も土壌の大切さを理解していただきたいと思います。そして土壌科学者になる若い人が増えてほしいと思います。

(聞き手:サイエンスポータル編集長 内城喜貴)

祝宴でのラタン・ラル博士(国際科学技術財団提供)
祝宴でのラタン・ラル博士(国際科学技術財団提供)
ラタン・ラル博士
ラタン・ラル博士

ラタン・ラル博士プロフィールと研究内容
1944年9月5日インドで生まれる。パンジャブ農業大学を卒業し、インド農業科学研究所で修士号を得た。その後渡米し、米オハイオ州立大学で博士号を取得。1970年にナイジェリアにある国際熱帯農業研究所(IITA)で土壌の浸食をテーマに研究を始めた。当時、アフリカのサブサハラ地域では森林伐採や耕作に重機が使用されたことなどから土壌が劣化し、雨や風で浸食が起こりやすく作物が十分に生育しない状況だった。こうした事態を受けて土壌浸食が起こる条件や土壌有機物が失われるメカニズムなどを明らかにした。また土壌浸食を防ぐとともに生物生産を安定化する方法として「不耕起栽培法」を考案し、母国インドのほか、ブラジル、オーストラリアなど世界各地でこの方法の普及に努めた。1987年にオハイオ大学の教授に就任。このころから土壌と地球環境問題の関係についての研究を進め、食糧生産と地球保全の両立のためには土壌の適切な管理が重要であることを明らかにした。専門は土壌物理学。現在、オハイオ州立大学特別栄誉教授/炭素管理・隔離センターセンター長

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