空気中の窒素ガスからアンモニアを人工合成する技術「ハーバー・ボッシュ法」は、人類を食糧危機から救うとともに、化学の世紀を拓いた大発明だ。その製法は発明から100年たった今でも中核技術である一方で、世界のエネルギー需要の数パーセントをも消費するなど、省エネルギー化が大きな課題となっている。最近、その課題解決につながる画期的な合成法が、日本人の手によって発明された。
「空気からパンを創る錬金術」と称された画期的発明から一世紀を経て、新たなブレイクスルーへ。材料科学の研究者として、液晶ディスプレーで知られるIGZO(イグゾー)トランジスタの創製や鉄系超電導物質の発見などで世界の注目を集める細野秀雄(ほその ひでお)東京工業大学元素戦略研究センター教授に、今回の成果の背景を聞いた。
サイエンスニュース2015「アンモニア合成 一世紀ぶりの新発明(2015年9月18日配信)」より
―アンモニア合成の新メカニズム発見は、先生の研究テーマとして少し異質に感じたのですが、もともと先生の研究テーマだったのでしょうか。
僕が研究者としてやってみたかったのは、Essential for Lifeの研究です。本質的にそれがなければ人間が生きられないという研究ができれば一番いい。それはやっぱり「食べ物」。だから、(化学肥料に不可欠な)アンモニアの合成というのをどこかでできればいいなと昔から漠然と思っていたのですが、自分たちの手持ちの材料にいいのが無かった。FIRST(内閣府最先端研究開発支援プログラム)の研究の中で、セメントが超電導になった「C12A7エレクトライド」という物質にはアンモニアの合成触媒に非常に向く性質があると気付いて、何と言われようとやろうと決めたわけです。プロジェクトの本質からは外れるのですが。実際には、東工大の同じ研究所の同僚で触媒化学の専門家の原亨和(はら みちかず)さんの全面的協力を得て開始しました。
エレクトライドという言葉は聞き慣れないと思います。よく、エレクトロード(Electrode、電極)と間違われます。例えば、酸化物は酸素のマイナスになったのでOxygenにidがついてオキサイド(Oxide)。エレクトライド(Electride)は、電子=エレクトロン(Electron)にideがついて、電子化物と訳します。どういうことかというと、電子がマイナスのイオンとして働く結晶です。これを最初に作ったのはジェームズ・ダイ先生(Dr. James L. Dye)。しかし、有機物質だったので、あまりに不安定なため研究がほとんど進んでいませんでした。これを材料としての展開が可能な、あるいは物性が調べられるような、安定なエレクトライドを創ったのがわれわれの仕事です。
アンモニア合成法は、難しいのではなくて、やる人がもういなくなったというのが一番正確な言い方ではないかと僕は思っています。100年前に、高校の教科書にも出ているハーバー・ボッシュ法がもう確立しているものですから、今さらやることはなかなかないんじゃないかと。忘れられた課題の一つ。完成されたと思ったのかもしれない。それから時代が変わって、アンモニアを一カ所で大量に、たくさんのエネルギーを使って作るのではなくて、いまはいろんなところに水素があるものですから、それを使ってその場で小型プラントで作る、いわゆる「オンサイト合成」というのにニーズが出てきたわけです。地球の人口は70億から100億になろうとしていますので、アンモニアに新しいニーズがあるんですね。
―「もうやる人がいなくなった」アンモニア合成触媒に注目された理由は何でしょうか。
基本的に僕は人のやらないことばかりやっているものですから、テーマとして奇抜なことを考えたつもりはないんです。僕は触媒化学の専門ではありません。今はそれなりに詳しいですが、酸化物の半導体を始めたときも半導体の専門家ではなかったわけです。その物質・材料に適した応用分野があるはずで、それを求めて新しい分野に入るときはいつも半分アマチュアで入る。だから、面白いことが出るんだろうと思うんです。その分野にずっといればエキスパートになるし、素人が新しいことをやって勝てるかというと勝てない。だから半分アマチュア。
アマチュアの研究者とプロの研究者の違いは何だと思いますか。「興味があって、面白い」。それだけで動くのはアマチュア。プロはそれじゃ動かない、勝てなきゃ駄目です。勝つというのは、「世界的なオリジナリティが取れる」ということ。材料屋にとって、それは産業につながるということ。それがない限り、単なるサイエンス愛好家です。
―「産業につながる」というフレーズが出ましたが、IGZO(イグゾー)のように、C12A7エレクトライドの今後の産業応用はどのようなものだと考えていらっしゃいますか。
自分たちが源流になって学術が広がって産業につながっていくというのは、材料研究者として目指す部分です。ですが、僕はできもしないことは言わないようにしています。思っていても言わない。特許で相当苦労しているからです。特許の本当のことを知っている人、特許で血みどろの戦いをした大学の研究者はどのくらいいるでしょうか。特許というのは、僕も知らなかったけれども、裁判になるようなものじゃなかったら大きな産業的意味なんかない。本当に重要な特許というのは、特許つぶしがたちどころに現れて必ず係争になる。僕はそういう経験をせざるを得なかったので、特許に関してはセンシティブになりました。
ただ、大学というところは、知財と学術とどちらを取るかというと、確実に学術です。特許も非常に重要ですけれども、特許のために学術を犠牲にするということはやってはいけないことです。ただし特許がないと、企業がやってくれない。特許というのは、企業と共同研究をするための担保で、同時に法律なんです。特許に残った日付というのは、日付が一日でも早かったらそれは終わり。その怖さもあって、テレビでちょっと口走ったために特許が無効になるということもある。だから、本当に大事なことは特許が公開になる前に言わないんですよ。
―物質・材料研究機構(NIMS)が発行するオープンアクセス誌“Science and Technology of Advanced Materials”に超電導特性を示さなかった約700種を含む1,000種もの物質リストを収録したレビュー論文を出された*ことに非常に驚きました。特許と裏腹に、これはどういった心からでしょうか。
これはもともとやってみたかったことでした。“Journal of Failure Science”というのを作りたかったくらい。「失敗の記録」というのは残っていないんです。なぜ残っていないか。公開できる失敗というのは、専門家がなるほどこういうアプローチがあったのかと感心するアイデアと、それを徹底的に実験で検討したという研究でないと無理です。たまたま成功した研究よりも難しいものだと思います。
超電導の場合、「どういう物質を狙ったか」で、この分野の専門家はその研究者の力量がかなりの程度分かります。あの論文を出したときのチームメンバー9人は本当に日本のエース級です。そのエースで、成功確率3〜5%。プリンストン大学の専門家の先生にその話をしたら「3%、それは高いな」と言う。そのくらい新しい超電導の探索は難しい。試した物質のリストを作ったとき、僕は「これを公開しよう」と提案したんです。一瞬みなさん戸惑ったけれども、賛成してくれた。みなさん一流の専門家なので、公開しても恥ずかしくない。普通のチームには絶対に公開できない。あの量と質はね。
―研究者は自らの実験の軌跡を公開するのは好まない傾向にあるように思います。
僕があれを公開した理由の一つに、FIRSTでお金をもらっていたからというのもあるね。うまくいったこともあればうまくいかない部分もある。ファンドが大きかったものですから。そして、あれを公開しておくと超電導の場合は、後の研究者の労力が減るんですよ。新超電導物質の探索を行う研究者が世界的に極めて少なくなっています。超電導は、現象は極めて明瞭ですが、電子が瞬間的に対をつくる必要があるので、通常のバンド理論では歯が立ちません。そのため、半定量的にでもTc(臨界温度)を予想できる理論がいまだに存在しない。そのため、リスクが高く、したがって研究費も付きにくいからです。ですから、誰かが新物質の報告をすると、ワッと人が群がるということが繰り返されています。
でも、この探索こそがエッセンス。そのためには、研究者が失敗例も公開してそれを共有することで無駄が省けると考えたわけです。でも、あの論文はよく見ると、どういう作り方をしてどういう狙いだったかということは一切書いていない。そこまで書くと実験ノートを公開するのと同じだからね。ただ、化学式のリストだけは載せてみようと。プロとしてのプライオリティも確保してある。それを全部海外に出して何のメリットがあるか。見る人が見れば分かりますが、作り方を書いていないから、そう簡単に活用することはできないかもしれない。
―細野先生を紹介する形容として「常識を徹底的に疑う」という表現をよく聞きますが、研究に対する価値観といいますか、哲学についてお聞かせください。
やっぱり、オリジナリティがクリアで、社会の役に立つという二つです。人のまねをしたらオリジナルにならない。非常に単純なこと。ということは、孤独を恐れないということです。はじめは一人か二人しかいない状態でやるわけだけど、それに慣れちゃうとそのほうが楽なんですよ。大勢いる中に入っていくのは面倒。これは個人の好みなのかもしれないね、本当のことを言うとね。哲学なんてもんじゃない、好き嫌いだよね。
―材料科学者として目指す姿をお聞かせください。
僕は3つが満足できればいいと思っています。まず「学術のブレイクスルー」。平たく言えば、Nature、Scienceに出るということですね。二つ目は、社会的困難の解決や産業化につながること。材料の場合は、この二つがマストです。これらが満足されない限り、材料ではない。3つめは、大学にいる限り、こういう過程を通じて「志の高い研究者が育つ」ということです。この3つが同時に満足されたとき、僕は材料研究として理想だと考えています。
(サイエンスニュース事務局 寿 桜子)
細野秀雄(ほその ひでお) 氏のプロフィール
1982年東京都立大学大学院博士課程修了(工学博士)、名古屋工業大学助手、88~89年米バンダービルト大学博士研究員、90年同大学助教授、93年東京工業大学助教授、99年同大学教授。99年~2004年科学技術振興機構(JST) ERATO「細野透明電子活性プロジェクト」総括責任者、02年~07年3月文部科学省 21世紀 COE 東工大「産業化を目指したナノ材料開拓と人材育成」拠点リーダー、04年~10年JST ERATO-SORST「透明酸化物のナノ構造を活用した機能開拓と応用展開」研究総括。10年から内閣府 最先端研究開発支援プログラム(FIRST)「新超電導および関連機能物質の探索と産業用超電導線材の応用」中心研究者。11年から JST さきがけ「新物質科学と元素戦略」領域総括、13年から JST ACCEL「エレクトライドの物質科学と応用展開」研究代表者。
*Exploration of new superconductors and functional materials,and fabrication of superconducting tapes and wires of iron pnictides
Published 8 May 2015 ? ?2015 National Institute for Materials Science ? Science and Technology of Advanced Materials、 Volume 16、 Number 3
http://dx.doi.org/10.1088/1468-6996/16/3/033503
関連リンク
- サイエンスニュース2015「アンモニア合成 一世紀ぶりの新発明(2015年9月18日配信)」
- 科学技術振興機構・東京工業大学 共同発表「アンモニア合成の大幅な省エネ化を可能にした新メカニズムを発見」
- 科学技術振興事業団報 第340号「室温・空気中で安定なエレクトライドの合成に成功」