インタビュー

「温暖化防止をめぐる国際交渉の舞台裏」第2回「現場で直接学んだ国際交渉」(田中加奈子 氏 / 科学技術振興機構 低炭素社会戦略センター 主任研究員)

2015.05.12

田中加奈子 氏 / 科学技術振興機構 低炭素社会戦略センター 主任研究員

田中加奈子 氏
田中加奈子 氏

温室効果ガスの排出削減にむけ国際合意が急がれている。「京都議定書」に代わり、全ての国が参加する新たな枠組みを目指して「国連気候変動枠組条約(UNFCCC)第21回締約国会議(COP21)」が、今年12月にフランス・パリで開かれる。それまでの間、6月には国連気候変動ボン会議と先進国首脳会議(サミット、ボン)、国連・閣僚級リーダー会議が相次ぎ、9月には国連総会が開かれ、大きな道筋が作られていく。だが途上国と先進国の対立、産業振興と環境保全のズレ、科学的成果と国際政治の調整に加え、各国の事情も複雑に絡んでまだまだ混迷状態は続く。こうした国際交渉の動きはなかなか分かりにくいところがある。そこで国連の専門家組織のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)で実際に国際交渉の場への参加経験を持ち、現在も評価報告書などの代表執筆者、査読編集者として活躍しているJST低炭素社会戦略センター(LCS)の田中加奈子主任研究員に、その舞台裏の事情などを話してもらった。

―IPCC(気候変動に関する政府間パネル)とは、そもそもどんな組織なのでしょうか。

 国連環境計画(UNEP)と世界気象機関(WMO)が共同して1988年に設立しました。産業革命以降の人間の活動によって気候変化がどう進んだか、その影響と対策にはどんなものがあるかを、科学的、技術的、経済的、社会的な見地から把握し、包括的な評価などをするために作られました。

 科学者や政策担当者などの専門家による国連の学術的な機関です。数年おきに「評価報告書」を発行し、国際政治や各国の政策に大きな影響を与えています。

 議長、副議長と3つの作業部会のほか、温室効果ガスの国別排出目録を作成・普及する部門があります。

 第1作業部会は気候システムと気候変動の科学的根拠を評価します。第2作業部会は気候変動に対する脆弱性や、それによる悪影響、「適応」のありかたを、また第3作業部会は温室効果ガスの排出削減など気候変化の「緩和」をそれぞれ評価します。

 今ではIPCCに190カ国以上の政府が参加しています。いずれも先進国からの拠出金で運営し、事務所費や会場費、途上国からの参加者の旅費・滞在費などをまかなっています。ユニークな活動が高く評価され、2007年にノーベル平和賞を受賞したことはよく知られていると思います。

―重要な活動のわりには一般にあまり知られていないようですよ。東京都内の有名国立大学の授業で、IPCCを知っている学生がいなかったと、先生が嘆いていました。ところで気候変化の「緩和」と「適応」という言葉が出てきました。この2つの違いを分かりやすく紹介してください。適応策は最近になってよく耳にするようになりましたが。

 温室効果ガスを大気中に排出しないように削減、あるいは吸収するのが「緩和策」です。最も大きいのが燃焼時に二酸化炭素(CO2)排出量が多い燃料を使う発電から、少ないものへの転換です。例えば石炭からガス、あるいは再生可能エネルギーなどに変えることです。また省エネの取り組みの推進や、エネルギー効率の高い機械・機器の利用、CO2の吸収源対策として森林の働きを高めることなどがあります。

 一方、最善の緩和策を尽くしたとしても、すでに増えてしまった温室効果ガスの濃度を下げるにはかなり長い年月がかかります。進行している気候変動の影響や被害に備えたり、対処したりするのが「適応策」です。適応策はそのリスク回避・分散対策や、渇水対策、その逆の洪水対策、高温に強い農作物の新種の開発、熱中症の早期警告、感染症対策など広範に及びます。

―ところでこのIPCCに、田中さんがかかわるようになったのは、どんなきっかけからですか。

 中米コスタリカで開催されたIPCCの全体会合(1999年4月)に初めて参加しました。経済産業省関連の一般財団法人・地球産業文化研究所の研究員としてです。

 当時はIPCCが「第3次評価報告書」(2001年発表)の作成作業に入っていました。その第3作業部会は、温室効果ガスの排出削減と吸収のための対策を行う「緩和策」を担当している部門で、オランダとシエラレオネ(西アフリカ)が共同議長国でした。

 実はその前年の98年に第3作業部会の共同議長国選挙があり、日本の地球産業文化研究所の清木克男(せいき かつお)専務理事も立候補したのです。共同議長国に決まると「技術支援ユニット」をつくり、議長を支えて報告書の作成や交渉が必要になります。私はそのためのユニットの主要メンバーとして雇われました。

 ところがあいにく選挙で負けてしまいました。結局、日本は副議長国に収まり、清木氏が副議長に就きましたが、私が就任する前に逝去されるという不幸がありました。

 それまで日本チームは事情通の清木さんの熱意と迫力で動いてきただけに、しばらくは戸惑いもあったようですが、新副議長の東京大学工学部教授(当時)の谷口富裕(たにぐち とみひろ)氏のサポート役として仕事を始めたのです。

―「サポート」とは具体的にどんな仕事ですか。

 副議長と一緒にさまざまな会議に出席し、情報を集め、副議長の出すコメントや文書を作成し、各国間の根回しなどで汗をかく裏方役です。

 第3次評価報告書から横断的課題についての取り組みが始まりましたが、副議長はそのとりまとめ担当でした。そのための会議開催などもありました。第1から第3作業部会のキーパーソンとのやり取りも多く、ネットワークも格段に広がりました。

 途中からIPCCの公式資料の編集や報告書の執筆にも参加させていただくなど、いろいろなことが経験できて大変実り多い時期でした。この仕事を通して気候変動関連の詳しい知識と独特の国際交渉のノウハウなどを学ばせていただきました。

―大学院での研究は化学工学でしたね。IPCCの活動とはどのようにかかわっていますか。

 博士論文のテーマは「環境調和型都市の構築」です。日本では太陽光発電装置や家電製品の高効率化、省エネ化、燃料電池、ハイブリッド自動車、LED照明など、世界に誇る優れた環境関連技術を次々と実用化しています。

 こうした先進技術の中で太陽光発電と燃料電池に着目し、実際の都市や地域にシステムとして適用した場合に、温室効果ガスを効果的に減らすにはどのような使い方をすればいいか、そのための技術開発をどのように進めれば経済的で合理的な対策が取れて、さらに技術開発が進むかなどを吟味するものです。

 いわば「科学技術」と「都市・生活」の“橋渡し”のための研究といえるでしょう。温暖化対策でいえば「緩和策」に近い研究分野です。気候変動の科学そのものが専門ではありませんが、IPCC関連の仕事に就いてから「気候変動」や「緩和策」、「影響評価」の専門家らと活発な意見交換をさせていただき、幅広く勉強する機会に恵まれました。

 また化学工学との関連でいえば、化学工学はシステムの中で多様な要素のつながりと流れをみる学問だと思っていますが、それは地球環境問題をみる時にも役立っています。

―大学での研究から、突然、国際交渉の現場へと足を踏み入れたわけですね。

 博士課程を終え、就職した直後にIPCCのコスタリカ会合が開かれ、いきなり出張命令を受けました。右も左もわからぬままに飛び込んだため、派遣されていた各省庁の担当者や国立環境研究所、気象庁気象研究所などの研究者にたくさんのことを教えていただき、本当に助かりました。

 以前から科学技術の知識をベースにして、どこか国際機関で働きたいと考えていました。科学技術を人類社会に役立てられるような仕事をしたかったのです。IPCCには温暖化に関する最先端の科学的成果や情報が入ってきますので、幅広い勉強や経験ができたと思っています。

(科学ジャーナリスト 浅羽雅晴)

(続く)

田中 加奈子 氏
田中 加奈子 氏

田中 加奈子(たなか かなこ) 氏のプロフィール
東京学芸大附属高校卒、1994年東京大学工学部卒、99年東京大学大学院工学系研究科修了。工学博士。地球産業文化研究所、英国ティンダル気候変動研究センター、日本エネルギー経済研究所、国際エネルギー機関(IEA)省エネ政策アナリストを歴任。2010年から科学技術振興機構・低炭素社会戦略センター(LCS)主任研究員。1999年から気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書作成に関わり、「第3次報告書」から「第5次報告書」まで代表執筆者、査読編集者などを担当。専門は気候変動緩和策や省エネ・エネルギー効率性向上に関わる技術、システム、政策の設計と評価。内閣府エネルギー戦略協議会メンバー。共著に『電力危機』がある。

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