インタビュー

「温暖化防止をめぐる国際交渉の舞台裏」第1回「各国の思惑うず巻く「要約」作り(1/2)」(田中加奈子 氏 / 科学技術振興機構 低炭素社会戦略センター 主任研究員)

2015.04.28

田中加奈子 氏 / 科学技術振興機構 低炭素社会戦略センター 主任研究員

田中加奈子 氏
田中加奈子 氏

温室効果ガスの排出削減にむけ国際合意が急がれている。「京都議定書」に代わり、全ての国が参加する新たな枠組みを目指して「国連気候変動枠組条約(UNFCCC)第21回締約国会議(COP21)」が、今年12月にフランス・パリで開かれる。それまでの間、6月には国連気候変動ボン会議と先進国首脳会議(サミット、ボン)、国連・閣僚級リーダー会議が相次ぎ、9月には国連総会が開かれ、大きな道筋が作られていく。だが途上国と先進国の対立、産業振興と環境保全のズレ、科学的成果と国際政治の調整に加え、各国の事情も複雑に絡んでまだまだ混迷状態は続く。こうした国際交渉の動きはなかなか分かりにくいところがある。そこで国連の専門家組織のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)で実際に国際交渉の場への参加経験を持ち、現在も評価報告書などの代表執筆者、査読編集者として活躍しているJST低炭素社会戦略センター(LCS)の田中加奈子主任研究員に、その舞台裏の事情などを話してもらった。

―気候変動をめぐる国際交渉の動きがいよいよ本格化してきました。こうした動きに大きな影響を与えるのが「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」です。その仕組みや作業はきわめて複雑で、一般の人が理解するのはなかなか大変です。まず温暖化防止にとって、IPCCにはどんな意味や役割があるのでしょうか。

 ひと言で表現するのは難しいですね。まずIPCCは、温暖化に関する最新の研究成果を評価し、対策技術や政策の実現性、その効果、またはそれがない場合の被害の想定結果などに関して信頼できるレポートを作り、公表しています。ひらたくいえば科学者、政策担当者らが作成に取り組んでいるからこそ、世界中の人々の関心をこれだけ集めることができ、つなぎとめることができたといえるでしょう。

 いや、それだけなら他の機関でもできるかもしれません。広報・発信力さえあればNGOでもできるはずです。国連機関としてのIPCCの最も大事なことは、「政府間パネル」という重みなのです。科学的な成果・報告を基にカンカンガクガクの議論はやりますが、最終的には各国政府によって承認される合意文書にまとめます。

 そして国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の国際交渉の場で合意した内容を公式に「参照」します。交渉によっては、各国に温暖化ガス削減の何らかの義務が生じることもあるわけです。

―昨年、IPCCの「第5次報告書」が発表されました。メディアにも盛んに取り上げられました。こうした報告書はたくさんの手続きを経て作られるようですね。

 そうですね。各作業部会の議長団は、各国政府からの推薦者と、広く公募して集めた候補者の中から、内容に適した専門の執筆者を選定します。代表執筆者らは数回の会合をもちながら具体的に執筆を進めます。この間、途中段階の草稿に対して専門家と政府からコメントをもらい、修正する機会が数回持たれます。

 例えば昨年の「第5次報告書」の第3作業部会を例にとると、執筆者は58カ国、235人に上り、これに対する専門家や政府関係者から出されたコメントは3万8,000件を超えるという膨大なものでした。第1、第2作業部会を含めると代表執筆者だけでも800人以上です。出来上がった報告書本編はそれぞれが数センチの厚さに膨れ上がりました。

―分厚い本編は読むのも苦労します。薄い「政策策定者向け要約」が便利ですが、要約にはどんな重要な意味あいがあるのですか。

 分厚い本編の報告書とは別に30ページほどの「政策策定者向け要約」(要約)には、各国が特段の関心を向けています。各国政府代表が集まる全体会合では、要約文章の段落ごと一文ごとに注意深く細かい審議がなされます。これが最終的に各国政府によって承認されるものなのです。

 要約は簡潔で読みやすく、多くの人の目に触れやすいことから、書かれたメッセージは常に各方面から注目されます。各国が協調して決めたものだと国際社会にアピールできる点が、他のレポートとは決定的に違うところなのです。

 温暖化防止の国際的な枠組みを設定した「国連気候変動防止条約」の交渉にも正式に採用されます。国際政治の議論として安心して使えるものになるのです。だからこそ熱い議論も起こるわけで、舞台裏で利害丸出しになって紛糾するのも仕方がないことなのかもしれません。

 また温暖化防止への影響ですが、最終的には各国政府が承認して政策をつくり実行する義務を負いますから、そこに重要な意味があるのです。いくら理想論を持ち出しても、先進国や途上国が実際に動き出さなければ温暖化を食い止めることはできません。実行に移せる唯一の機会を国際社会に与えていると思います。

―今のところ、これが最も端的で、確実な方法というわけですね。

 「温暖化防止に世界の関心を集められる」「科学に基づいた温暖化情報を公表する」「各国政府が承認し、政策や国際的枠組みに応用でき、実行に移せる」という3つの要素がそろっているのは、確かにIPCCしかありません。

―IPCCの報告書は、1990年以来、数年おきに発行され、これまでに5次にわたって報告されています。どのように変化し、進化してきたといえるでしょうか。

 第1次評価報告書は1990年の発行で、「気象の科学」だけを扱っていました。第2次報告書(1995年)は「緩和と適応」の技術面の分析と、経済的社会的側面の評価が加わりました。第3次報告書(2001年)では「緩和」と「適応」が別々の報告書になり、経済的社会的な側面が重視されるようになりました。

 第4次報告書(2007年)から緩和策の中に「エネルギー」「交通」「産業」などのセクター別の評価が加わりました。産業界から業種ごとに専門家を招いた専門家会合が開かれ、査読にも参加してもらうなど産業界との関わりが増えました。

 セクター別の構成は日本にとっても好都合なのです。「交通」「産業」「エネルギー」部門は日本の技術力が高く、省エネも高度に進んでいて強みの発揮できるところです。専門家も自分たちの知識や経験を活かせるようになり、貢献しやすくなったようです。

 第5次報告書(2014年)は第4次の構造とほぼ変わりません。ただ、緩和策を扱う第3作業部会でいえば、第3次から始まった横断的課題の取り扱いが、より徹底したと感じました。不確実性の表し方や政策論、長期モデルの使い方など、報告書には多数の科学者がさまざまなトピックスで関わるため、筋の通った考え方、書き方が必要なのですが、その調整がシステマチックになされました。

 私が担当した「産業」の章の変化は、興味深いものでした。第5次は、よりサプライチェーン全体を見て、どこに緩和の機会がどれだけあるか、といった構成になりました。原料調達、製品製造、流通、製品利用と廃棄の段階における、さまざまな緩和の効率という観点で評価が進みました。

(科学ジャーナリスト 浅羽雅晴)

田中 加奈子 氏

田中 加奈子(たなか かなこ) 氏のプロフィール
東京学芸大附属高校卒、1994年東京大学工学部卒、99年東京大学大学院工学系研究科修了。工学博士。地球産業文化研究所、英国ティンダル気候変動研究センター、日本エネルギー経済研究所、国際エネルギー機関(IEA)省エネ政策アナリストを歴任。2010年から科学技術振興機構・低炭素社会戦略センター(LCS)主任研究員。1999年から気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書作成に関わり、「第3次報告書」から「第5次報告書」まで代表執筆者、査読編集者などを担当。専門は気候変動緩和策や省エネ・エネルギー効率性向上に関わる技術、システム、政策の設計と評価。内閣府エネルギー戦略協議会メンバー。共著に『電力危機』がある。

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