インタビュー

第9回「科学技術リテラシーは、社会において自分で問題を提起し探究していくもの」(長崎榮三 氏 / 国立教育政策研究所 名誉所員、元 静岡大学 教授)

2015.02.03

長崎榮三 氏 / 国立教育政策研究所 名誉所員、元 静岡大学 教授

「科学コミュニケーション百科」

長崎榮三 氏
長崎榮三 氏

科学と社会をつなぐ科学コミュニケーションの課題や展望について、様々な分野で活躍する人にインタビューする「科学コミュニケーション百科」。今回は科学コミュニケーションセンターフェローの長崎榮三氏に、中学校の数学教員から教育の研究の世界に入り、科学技術リテラシーにかかわるようになったきっかけや、科学技術リテラシーに関する考え方について伺いました。

―長崎さんは、大学院卒業後に6年間中学校の教員をされて、その後研究者に転身されました。

 小学校、中学校の恩師が良い先生だったんですね。それで教育に関心をもち、大学院を出て、あこがれて数学の教員になりました。中学校では授業やクラブ活動とともに、数学教育史の研究や教材や指導法の研究、また、国際調査の委員などもやっておりました。

31歳のときに国立教育研究所(当時)の科学教育研究センターの数学教育研究室の研究員になりました。研究所では、PISAやTIMSSという国際学力調査にずっと関わり、一方で数学の指導法や数学教育史なども研究しておりました。

―教育学の研究に長く携わり、最近では科学技術リテラシーや科学コミュニケーションに関わっていらっしゃいますが、研究を続けてきた中で今につながっていることはありますか?

 科学技術リテラシーなどとの関わりは3点ありました。1つ目は、僕の専門は数学教育ですが、所属していた科学教育研究センターには、数学だけではなく物理や化学、生物、地学などの科学教育の研究室があったことです。そこで、それらの研究者と交流をしていて、科学教育を考えるのが当たり前になっていました。

2つ目は、研究所に入って2年目に、ユネスコの生涯教育研究の中心地であるハンブルグのユネスコ教育研究所に出向したことです。それまでは学校教育ばかりを考えてきたのですが、生涯を通じて教育を考えようと考えが変わりました。社会に出た時のことも考えて学校教育をしていこう、という視点を持つようになりました。例えば、学校だけだと入試が終われば数学はさようなら、という人が多い。そうではなくて、社会に出ても数学は自分の中に生きているんだと、そういうふうに思える教育とは何かと考え始めたんですね。

3つ目は、日本の生徒は海外と比べて成績はよいのに、学ぶ意欲や楽しさが低いことへの問題意識です。国際調査の分析をしていて、日本の生徒は成績は先進国の中ではトップクラスなのに、意欲や学ぶ楽しさが参加国の中で下の方ということに気付きました。これは1980年の第2回国際数学教育調査の分析で気付いたのですが、国内調査では数学を好きじゃないと答える生徒の割合は戦後からほとんど変わっていません。数学が好きと回答する中学生の割合は、日本では3割くらいですが、他の国だと5?7割くらいです。一方で数学の成績は日本の方がいい。そういう違いが見えてきて、なぜだろうと。

1991年に在外研究で行ったイギリスで、数学の教科書がぜんぜん違うことに気付きました。日本の教科書は、小中高と経るに従ってだんだんと現実問題から離れて理論ばかりになります。一方イギリスの教科書は、中学や高校でも現実の課題解決をする数学の問題がたくさんはいっている。

教育によって、子どもたちは楽しくなったり楽しくなくなったりします。日本人だから数学が楽しくないのではなく、教育のせいなのだと。そこで、数学教育で「日常的な」とか「社会的な」ということを強調しようとやってきました。小中高校の先生方と『算数・数学と社会・文化のつながり』(明治図書、2001)という本を作って、数学教育を変えましょうと言ってきたのですが、2000年頃はこういうことを言うと反発が大きかったですね。

この3つが僕にとっての原体験です。

―その後、数学教育だけでなく科学技術リテラシーに関わるようになったのですね。

 2002年から文部科学省からの研究所への委嘱研究で、「日米理数教育比較研究」というのに実質的な責任者として関わりました。この研究では、理数教育だけではなく技術教育も含めて日米の比較研究を行いました。このプロジェクトの一環として、アメリカで出版された科学技術リテラシーの本であるアメリカ科学振興協会(AAAS)の『すべてのアメリカ人のための科学』をプロジェクトの参加者で翻訳出版しました。それから科学技術リテラシーに関わり始めました。

その後、日本学術会議・理科離れ特別委員会委員長をされていた北原和夫先生とお会いしました。そして、その委員会で僕が国際比較などの話をしたことがきっかけで、いろいろな人と科学技術リテラシーの話をするようになりました。

―そこから「科学技術の智プロジェクト(*1)」(日本人に身に付けてほしい科学技術リテラシーについて取りまとめた報告書を2008年に作成)につながっていく。

 科学技術の智プロジェクトでは事務局長としてプロジェクト全体に関わりました。そこでは、科学者、技術者、教育者、そして多様な人々が科学技術リテラシーについて本当に真剣に議論をしていました。科学技術の智プロジェクトの報告書は、出発点だと思っています。完成品ではなく、たえず改訂していくものです。改訂していくこと自体が重要だと考えています。関わる人たちが科学技術リテラシーとはなにかを常に考えていくことが重要だからです。改訂の場には科学や技術の専門家や教育関係者だけでなく、自分たちの問題を持っている人も入ってくる。問題を解決するという意味で一般の人が抱えている問題にどう科学技術が関わっているかを専門家と一緒に考える場になるとよいと思うのです。

ここで定義している科学技術リテラシーは、学校教育を出た成人を対象としたものです。それは、まさしく生涯教育、生涯学習の範疇です。ところが、成人の科学技術リテラシーについて議論していると、話が学校教育に及ぶことがたびたびでした。成人の科学技術リテラシーは学校教育のあり方と切り離せないのですね。

そこで、科学者や技術者と教育者をつなげられないかと、ずっと考えてきました。そこがつながると科学技術リテラシーがもっと社会に入っていくのではと。

―なぜ、科学技術リテラシーは必要と考えられますか?

 科学や技術の発展やそのコミュニティにとって必要という側面と、個人にとって必要という側面があると思います。僕はもっと個人にとって必要というのが分かりやすくなるとよいと思っています。それは、個人が生きていく上で実際に必要という面と、実用とはあまり関係なくても楽しみとして必要という面があると思います。そして、そのような個人にとって必要な科学技術リテラシーが実は民主的な社会、持続可能な社会の発展につながっていると思うのです。

ただし、そのためには、たえず問題意識や探究心を持つという生き方を、学校教育の段階から目指していく必要があると思います。

小中高大の教育を通して、そして大人になっても、社会において自分で問題を提起し探究していく。科学技術リテラシーというのはそういうものではないでしょうか。

*1. 科学技術の智プロジェクト:日本人が身に付けるべき科学リテラシーを検討した「日本人が身に付けるべき科学技術の基礎的素養に関する調査研究(2006・2007年度科学技術振興調整費「重要政策課題への機動的対応の推進」による、日本学術会議と国立教育政策研究所が共同で行った調査研究プロジェクト。略称「21世紀の科学技術リテラシー像~豊かに生きるための智~プロジェクト」

(2014年12月23日にインタビュー実施)

(続く)

長崎榮三 氏
(ながさき えいぞう)
長崎榮三 氏
(ながさき えいぞう)

長崎榮三(ながさき えいぞう) 氏 プロフィール
国立教育政策研究所 名誉所員、元 静岡大学 教授
公立中学校・東京学芸大学附属中学校教諭を経て、1980年度から2008年度まで国立教育研究所・国立教育政策研究所の研究員。国立教育研究所では科学教育研究センターの数学教育研究室長、科学教育研究室長を経て、その後、国立教育政策研究所では教育課程研究センター総合研究官。研究所では、国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)、OECD生徒の学習到達度調査(PISA)の数学担当責任者などを務めた。以降、2009年度から2013年度まで静岡大学大学院教育学研究科(教職大学院)教授。 専門は科学教育、特に数学教育学。

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