インタビュー

第6回「背景や立場の異なる人々の対話や協働を通じて、社会をつくっていく」(平川秀幸 氏 / 大阪大学 コミュニケーションデザイン・センター 教授)

2015.02.03

平川秀幸 氏 / 大阪大学 コミュニケーションデザイン・センター 教授

「科学コミュニケーション百科」

平川秀幸 氏
平川秀幸 氏

JST科学コミュニケーションセンターフェローで東京大学教授の佐倉統氏が、様々な分野で活躍する人を迎え、科学と社会をつなぐ科学コミュニケーションの課題や展望についてインタビューします。今回は同センターフェローで大阪大学教授の平川秀幸氏。社会と科学技術の間の問題について考える科学技術社会論の研究に携わる立場から、リスクの問題や背景や立場の異なる多様な人々の間の対話や協働を通じて社会をつくっていくためのこれからの取り組みについてお伺いしました。

―平川さんはもともとのご専門は物理学。そこから現在のご専門の科学技術社会論に移られたのはどうしてですか?

 大学院修士課程までは物理学をやっていました。大学院生のときに、数式よりも自然言語で考えるほうが考えやすく自分に合っていると気づき、文系の大学院で修士課程からやり直しました。サイエンスとかアートとか政治を縦横無尽につなぎながら論じる、フランスの哲学者のミッシェル・セールという人の文献に惹かれ、彼を理解するためにその師匠のガストン・バシュラールを読むことにしました。ガストン・バシュラールは20世紀前半から中頃にかけてフランスで活躍した科学史・科学哲学者なんですが、彼の文献を読んで修士論文を書いたのが科学論に足を踏み入れた最初の一歩です。

ガストン・バシュラールはすごくリアリスティックな科学像を示しました。英米の科学哲学の議論に登場する「科学」は、いわばバラバラに解剖して標本台に載せたようなリアリティのないものが多いのですが、バシュラールはもっとリアルに、実際の科学の現場に即していました。

しかしながら、科学に対して非常にリアリスティックなアプローチをする一方で、科学と社会の関係ということになると、ほとんど議論がなく、たとえば彼が第二次世界大戦後に原爆について書いたものはたったの1行しかないんです。これはいかがなものかと思い、修士論文の中でも問題提起しました。その問題を自分自身のものとして、科学と社会の関わりの問題を考えてみようということで、博士課程に進んだ段階で今の分野に入ってきました。

科学技術社会論では、考えるべき問題がたくさんあります。3.11後の原発事故、津波、地震の予知、BSE問題など、考えることを迫られることが次々とたくさん起きます。現実の事件として「面白い」と言ってはいけないのかもしれませんけれど、学問的な面から見たときに、考えるべき、深みと広がりのあるものがたくさんあることは、この分野の魅力です。

―これほどまで科学技術があふれる時代は、いまだかつてありません。これまでの哲学者や社会学者が言っていた「人間はこうあるべき」「社会はこうあるべき」というのがどこまで通用するのか、疑問に思うことがあります。

 生存の条件自体がテクノロジーで規定されています。かつての、テクノロジー抜きで考えていた社会や人間とはだいぶ違ってきます。そうすると人文系にとっても、科学や技術に関する知識や洞察は人文的素養の一部なんだろうと思います。

一方で、科学や技術だからといってそれをあまり特別視してもいけないと感じています。従来の人文的な視点から読み解いていくことも非常に重要です。両方が相互に浸透し合っている状況で、科学や技術について語ること抜きには現代の社会は語りきれないという思いはすごく強くあります。

ただ、おおざっぱに言えば文系的な見方と理工系的な見方のギャップ、あるいは「断絶」がいろいろな問題を生み出している。断絶があまりにもリアルに存在しているので、単純に架橋すればすむという問題ではなく、むしろ対立やすれ違い、話の噛み合わなさ、緊張関係をもっとちゃんと見ていかないと、架橋するにしても解消するにしてもなかなか難しいと思います。

たとえば3.11以降の状況で放射線のリスクの問題を考えたとき、工学的な観点からは、リスクは損害の程度と発生確率の積であるという確率論的な理解をします。確率の大小によってリスクが大きいか小さいか、それによってそのリスクを引き受けるかどうかということが決まるという発想です。ただ実際には人にとってリスクはそれだけではなく、リスクを受け入れるか否かを自分で選択できるのかとか、自分にメリットがあるのかとか、公平かどうかとか、また被害が起きたときに誰がどう責任を取るのかなど、社会的、規範的な問題がさまざまあります。それが全部絡まった、複合的な認識としてリスクを受け入れるかどうかが判断されます。

心理学や社会学など文系的な視点からすると、リスクはまさにそういうものだと昔から言われてきました。しかし、リスクを巡って工学的な見方と文系的な見方を合わせて、総合的に考えるというのはまだまだ経験が浅く、さまざまな問題が生じています。

実際に3.11以降の放射線の問題でも、たとえば政府や専門家は、確率の大小をわかりやすくするために「放射線のリスクはたばこよりも小さい」「CTスキャンよりも小さい」という説明をしました。ところが、それで納得した人もいれば「いやCTスキャンは自分で選べる。病気を発見できるメリットがあるが、ばらまかれた放射線は自分で選んだ覚えもないし、メリットもない」と考え、それにもかかわらずCTスキャン、あるいはたばこと比較するとは何事かと、怒ってしまう人もいます。行政や専門家が工学的な見方ばかりで、文系的な見方を無視した形でリスクについて話してしまうこと自体が、不信や対立を生んだり深めたりする。それはなかなか埋めることができないギャップ、断絶です。

ギャップの本質は、単に知識のギャップではなくて、リスクをどう見るかという物事の枠組みのギャップです。ではどうしたらよいか。今生じているギャップの問題の本質を理解するには、最初はまずぶつかり合うこと、違いがあること、断絶があること自体を認識することから始まるのだと思います。

見方の違いの問題として僕がよく使う例は「統治者視点と当事者視点」の違いです。統治者視点は、確率論的、集合的、統計的な見方をする科学的な見方。当事者視点は、当事者それぞれの価値観を反映した視点です。どちらかに還元するのではなく、両方が共存せざるを得ない。どちらかに合意するのではなく、互いが両方を尊重する。例えば国全体としてリスクを管理するときには統治者的な視点、工学的な視点を取らないと全体をうまく管理できないと、当事者視点の人も理解するべきだし、反対に統治者視点の側のほうも、人間はそれだけでリスクを考えているわけではないということを理解しないといけない。人間の認識はもっと複雑で、当事者視点まで含めて配慮をする、例えば行政であれば、そこまで手当をする何らかの施策を取らなければいけないという、そういう両方からのアコモデーション(適応)が必要なのかなと思うんです。

―日本ではこれまで、統治者が良いようにやってくれるので、当事者はあくまでも当事者で、当事者と統治者の相互作用をあまり意識しなくても割とうまく来ていたところはあります。

 これからはなかなかそうはいかないですよね。3.11で露呈したことの一つは、「政府って、たとえ精一杯頑張ってもここまでしかできないよ」ということ。「公」は有能だからお任せでOKだと思っても、実はできないこともたくさんあると。震災から復興でも、「どうもお上だけに任せているとよくない」「待っていてもなかなか物事はよくならない」「もう自分たちで動き出さなきゃ」ということで、実際に動いている人たちはたくさんいると思います。

今は、変わるタイミングの1つなんだと思うんです。3.11以降、対話欲求とかコミュニケーション欲求というのが、すごく高まっているんじゃないかと。社会のこと、自分たちの未来のことを他の誰かと一緒に話してみたい、考えてみたい、他の人たちの考えを聞いてみたいという欲求は結構高まっていて、そういう運動の1つに「フューチャーセンター」を全国につくろうという動きがあります。

フューチャーセンターとは、いろんなテーマに関して、そのテーマに関連するあるいは将来関係するかもしれないいろんな人たちがそこに関わって対話をすることで、何が問題なのか、何が求められているのかを探りながら、いろんなアイデアを出したり、実際に問題解決をしたり新しいモノを生み出したりする人や組織のつながりが生まれていく場です。

―平川さんご自身の活動についてお伺いできますか。

 科学コミュニケーションのこれからの目標は、フューチャーセンターとかも含めて、背景や立場の異なる多様な人々(マルチステークホルダー)の間の対話や協働を通じて社会をつくっていく、変えていくことに寄与していくことだと考えています。そういう活動をしている人たちは、まちづくりなどさまざまな領域ですでにたくさんいます。これをいかに科学技術が関わる問題・課題についても広げていくか。たとえばパーソナルゲノム医療では、1人8000円、1時間で自分のゲノム情報を読めるサービスが登場すると言われています。将来、ある難病にかかる確率までわかってしまう。その結果、さまざまな問題が生じてくると思うんですが、じゃあそういう技術に対して我々はどのように対応するのか、どのように利用したり、どのように規制をかけたりするんだということをみんなで議論してみようと。

そういう営みを、私たち、科学コミュニケーションに関わっている側が場を用意するだけでなく、他の分野ですでにそういった対話的な活動をしてきた人たちにお願いして「このテーマで議論してもらえませんか」「そのアウトプットをみんなで共有しませんか」というように広げたりしていきたいです。そうすることで、科学コミュニケーションという旗の下で集まってくる人たちとは違ったクラスターの人たちともつながれるようになりますし、医療や福祉、環境、教育、地域経済など、もっと社会とか生活の視点から科学技術の研究開発や利用の仕方についての意見や見方が顕在化してくる可能性もあります。科学や技術の問題を、社会や生活の現場の視点から捉え直してみるという科学コミュニケーションを広げていきたい。そのために今までの科学コミュニケーションとは違うけれど、対話的な活動をしている人たちとのネットワークとつながっていきたいと考えています。

もうひとつは、社会の課題やニーズを拾い上げて、研究者が持っているシーズとマッチングさせていく取り組みが求められており、そこでフューチャーセンター的な役割がすごく重要になってくると思っています。理系、文系だけでもなく、非専門家と専門家だけでもない、いろんなタイプの人たちがいろんなコミュニケーションをしていくことがすごく大事になってくると思います。そういうコミュニケーションの場を作り出して、整理しながらみんなで共有していくようにすると、従来の研究者や産業界の主導ではなく、ソーシャルな形でのイノベーションへと変えていけることができると考えています。そういうところにまた科学コミュニケーションの新しいフィールドがあると思っています。

(2013年1月21日インタビュー実施)

(続く)

平川秀幸 氏
(ひらかわ ひでゆき)
平川秀幸 氏
(ひらかわ ひでゆき)

平川秀幸(ひらかわ ひでゆき) 氏 プロフィール
大阪大学 コミュニケーションデザイン・センター 教授
1964年東京生まれ。2000年国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程博士候補資格取得後退学、京都女子大学現代社会学部講師、同助教授を経て現職。博士(学術)。専門は、科学技術社会論(科学技術ガバナンス論、市民参加論)。

佐倉 統 氏
(さくら おさむ)
佐倉 統 氏
(さくら おさむ)

佐倉 統(さくら おさむ) 氏 プロフィール
東京大学大学院 情報学環 教授
1960年東京生れ。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。三菱化成生命科学研究所、横浜国立大学経営学部、フライブルク大学情報社会研究所を経て、現職。
専攻は進化生物学だが、最近は科学技術と社会の関係についての研究考察がおもな領域。長い人類進化の観点から人間の科学技術を定位するのが根本の興味である。

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