インタビュー

第4回「価値観や意見が異なる人同士の対話の場をつくる」(八木絵香 氏 / 大阪大学 コミュニケーションデザイン・センター 准教授)

2015.02.03

八木絵香 氏 / 大阪大学 コミュニケーションデザイン・センター 准教授

「科学コミュニケーション百科」

八木絵香 氏
八木絵香 氏

JST科学コミュニケーションセンターフェローで東京大学教授の佐倉 統氏が、様々な分野で活躍する人を迎え、科学と社会をつなぐ科学コミュニケーションの課題や展望についてインタビューします。第4回目は同センターフェローで大阪大学准教授の八木絵香氏。意見や利害の異なるさまざまな人同士が対話・協働する場をつくる活動をしている八木氏のこれまでの活動や、「科学コミュニケーション」に対する考え方についてお伺いしました。

―八木さんは北村正晴先生(東北大学名誉教授)らと、青森県六ヶ所村や宮城県女川町で、原子力の問題について専門家と住民、もしくは地域の中で原子力について異なる知識や価値観を持つ人々が集う対話の場をつくる、という仕事にかかわられていました。その前はどんなお仕事をされてきて、どのようにして原子力の問題に携わることになったのでしょうか?

 自分のベースとなる学問分野は心理学です。心理学の中でも、「安全」にかかわる研究をしていました。人は間違いをするものだという前提にたち、いかにヒューマンエラーを低減するか、そのためにどのような教育が必要か、どのようなシステム設計が必要かということを研究する分野で「ヒューマンファクター研究」と呼ばれています。

 大学を卒業する直前に、阪神・淡路大震災が起こりました。それから2年ぐらいの間は、頻繁に神戸に通っていましたね。原子力発電所や航空機、鉄道システムというように、それまで対象としていた限定的な職業人を対象とした安全に関する分野から、自然災害まで含めた地域や社会の安全のようなことに興味を持ち始めたきっかけが、阪神・淡路大震災ですね。

 修士を修了したあとは、ヒューマンファクター研究も対象としつつ、防災にかかわる民間コンサルタントで働いていました。地域に入って、住民の方々と一緒に地域の防災計画をつくったり、訓練を行ったり、避難所の運営のための話し合いの場所をつくったりとかですね。民間企業にいた時には、国内外で災害が発生するとまずは現地に行く。これまでの災害現場から得られた教訓を現地にお伝えすると同時に、次々とうまれてくる現地の課題を解消するお手伝いをしたり、それを調査速報という形で発信したりしていました。

 このような経験を通じて「私たちはどのくらいのリスク、もしくはどのような被害までなら受け入れられるのか」「このような被害は受け入れられないとするならば、どのようにしてその対策のための負担を受け入るのか」というような問題に興味を持つようになりました。「How safe is safe enough?」という、どこまで安全だったら「安全だ」というふうに私たちは考えるのかということです。そういう意味で、私にとっての科学(技術)コミュニケーションというものは、科学の文脈というところよりは、どれだけ安全だったら私たちはそれを安全と呼ぶのか、それを誰がどのように決めるのか、という社会の方の文脈にあったということになりますね。

 どんなに努力をしても、残念ながら事故や災害はゼロにはならない。そのゼロにならないという事実を見つめ、それも含めて考えなければならないと思った時に、私たちが安全に暮らせるということはどういうことなのかとか、そもそもその安全とは何なのかというところに関心が動いていったんです。

 そんなことを漠然と思っていた中、実際に今のような専門分野に飛び込むきっかけになったのは、1999年のJCO臨界事故です。仕事の関係で地元へ伺って、いろんなインタビューや調査を行わせて頂きました。その時の経験を通じて、原子力問題について、よく言われているような二項対立ではなくて、もう少し意見や価値観が違っても顔を合わせて話し合うことができないだろうか、それを継続的にやることができないだろうか、と考え始めたのが2000年ぐらいですね。それがその後の活動につながっているということでしょうかね。

―それで、北村先生のところへ行かれた。

 はい、社会人大学院生として東北大学の工学研究科に進学しました。

 「推進派」「反対派」と一口にいっても、その中にもいろんな考え方や価値観があるので、そういうふうにラベリングしてしまうことの難しさはありますね。原子力反対であってもいろんな反対の仕方があるし、何に対して不信を感じているか、違和感を持っているかはそれぞれ違うんですよね。そこで、北村先生と一緒に、もう少し丁寧に原子力についての考え方や意見を共有できる場をつくろうということを考えました。

 推進・反対だけではなくて、北村先生つまり、専門家・立地町村に住んでいる人という形のコミュニケーションもありましたが、そもそも誰と誰がどのようなコミュニケーションをしたらよいのか、どのような情報が求められているのか、ということすら最初はわかりませんでした。一番難しかったのは、なぜこういうことをやりたいのか、うまく説明できなかったことなんですよ。専門家と住民の人が価値観や意見を共有できる対話の場をつくりたい、と地域の方にお願いにあがったとき、いろんな人から「何がしたいんだか、分からない」と言われましたね。その後に「本当は、北村先生は原子力を進めたいんでしょう?そのための新しいPA(Public Acceptance)でしょう」と言われたりするわけです。「いや、そうじゃなくて…」と言うと今度は「えっ、じゃあ反対している専門家なのか?」と言われて、「いや、そうじゃなくて…」という繰り返しで。

 前例があれば「こういうもの」ともっと共有しやすい形で説明できたのかもしれませんが、それもできなくて。ただ、今から振り返れば、私の方も想いが先行しすぎていて、まだ言語化できるレベルに至っていなかったのだと思います。でも、回を重ねていくにつれて、続いていく対話があって。そして、だんだん、対話の場から何を持って帰るかは1つの形ではない、参加者それぞれがそれでいいと思えればいいんだ、という雰囲気になった。結論は出さない。そこで学ぶことも感じることもそれぞれ。それを共有できることに意味がある。そういう形が1つのあり方だということに、私も事後的に気付いた感じですね。

 原子力を進めるとか反対するとか、そういうことの合意を取るわけでもない。いろんな意見が出て、そして「反対だと言っている○○さんは、こういう背景をもって反対しているんだな」とその背景が理解できたり、「推進している○○さんは、実は、あそこで強く推進と言うにはこういう意味があったのか」という言葉が出てきたりして。それぞれの、推進・反対という意見だったり、自分がそう判断する基準だったりは変わらないかもしれないけれど、でもその意見の背景にあるものは変わるというか。意味がより自分の中で腑に落ちる形になるとか、そういう場をつくりたかったのかなと。結果としてそういう場になったのかなという気はしていますね。

 決めることを目的に、合意形成をすることを目的に、対話をしているわけではなくて。ちゃんと決まらなくてもいいし、途中で抜ける人がいてもいいし、戻ってくる人がいてもいいしという、語り続ける場みたいなものをつくれたらいいなというのが、きっと最初に言語化できなかったけれど思っていたことで。結果として、実際そういう形になっていったのかなとは思いますね。

―伺っていると、コミュニケーションが成り立つ場を耕すというイメージですね。

 そういう部分はあると思います。

 少し話は違うように聞こえるかもしれませんが、原子力とは異なる分野の事故の「被害者」と呼ばれる方々と活動をともにすることもあって。そういう中でも、結論よりはそのプロセス、心身が回復するプロセスが重要で。そういうプロセスを一緒に歩むことができたり、想いを共有する場が必要だったりという声は聞かれます。そこで対話した結果としてどこに到達するのかは、個々人が決めることだ、というのは皆さん共通しておっしゃっていて。その決めるプロセスの途中で、自分だけで悶々と悩んで決めるのはしんどい。同じような体験をした人と対話する場があったり、専門家にフランクに相談できたり。対話を通じて自分の考えや生き方を定めていくプロセスが重要で。それは私が思う科学(技術)コミュニケーションの根っこにあるものです。

―どちらかというと技術をメインにやってこられた八木さんから見て、科学コミュニケーションはどのように見えますか?

 「科学コミュニケーション」と言ったときに、たとえば科学の素晴らしさを伝えるような要素もすごく重要だと思います。ただ私は、リスクの問題を扱いたい。それもリスクをわかりやすく伝えるという方向ではなくて、不確実なリスクを含む問題をどのように解決していくのか、その時に必要な情報を、個々人が抱える価値観や関心を、どういうふうに専門家と専門家ではない人との間で共有できるかということに、関心があるんだと思います。

 科学コミュニケーションに対するいろんな考え方があっていいと思っています。「これが科学コミュニケーション」と決める必要もなくて、多義的なものだと思いますし、むしろその多義的なものであることを、自分も含めた科学コミュニケーションと呼ばれるコミュニティにいる者こそが自覚するべきだと思います。こっちは違う、あっちは違うというのを私たちが内部でやっているのは、科学コミュニケーションの蛸壺化というか。お互い共有できるものがあるならすればいいし、すみ分けるものはすみ分ければいいと思います。どれか一部のパーツだけで成立するものではないので、全体をどう整理していくのかという視点は非常に重要ですね。外の人に対して「意見の違う人や価値観の違う人で対話しましょう」とか言っている私たちが、科学コミュニケーションと呼ばれる狭い分野の中ででも対話できていないのでは?と感じることは多いです。

 専門家と市民の対話が必要なのではなくて、「専門家の中で、もっとちゃんと対話して」とよく言われますよ。「専門家同士の真剣な対話を公開して見せてくれたら、その専門家たちの意見の幅の中で、自分はこちらの専門家のほうが共感できるなとか、これは嫌だな、違うなということを判断できる」と。まさに本当にそのとおりだなと。

 専門家が対話するのを見せるのが大事だと。専門家の議論を通じて、どうするかを決めるのは、それを見ている社会の側。「A先生が正しい」もしくは「B先生が正しい」というようにどちらが正しいかではなくて。その両方の意見を聞いたうえで、自分はこう思うというような、そういう判断の仕方というか。例えば「推進派の○○先生がこのくらいと言っているのだったら、この情報はこのくらいに見積もれるだろう」という判断の仕方もありますよね。逆に、「反対派のこの先生ですら、このくらいしか危ないと言わないんだったら、そこまでは危なくないのかな」という判断の仕方もある。幅のある情報を、幅のある形で見せる仕組みをつくっていく必要があるんですよね。それもただ羅列するだけだと情報の洪水になってしまうので、ある程度、整理というか、知的加工のようなものが必要でしょうし。その対話の仕方、ファシリテーションのあり方もなかなか難しい、難しかったですけれどね。

 東日本大震災の直後にそういう試みが機能しなかったのは、専門家集団への全般的な不信というものもその理由ですが、そもそもその前から、専門家こそが異なる文脈や価値をもつ専門家と議論する機会を持たなかった。全然練習もせずに、突然「はい、どうぞ」と言われても上手くいくはずがなかったんですよね。その意味では、専門家と市民のコミュニケーション以前に、異なる分野の専門家同士で議論する場をつくっていくのも、科学コミュニケーションのひとつの役割なんだろうと思います。

(2012年12月4日にインタビュー実施)

(続く)

八木絵香 氏
(やぎ えこう)

八木絵香(やぎ えこう) 氏 プロフィール
大阪大学 コミュニケーションデザイン・センター 准教授
2005年 東北大学大学院工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。
早稲田大学大学院人間科学研究科修了後、民間シンクタンクにおいて、災害心理学研究に携わってきました。2002年に東北大学大学院に、社会人大学院生として進学した後は、社会的にコンフリクトのある科学技術の問題について、意見や利害の異なる人同士が対話・恊働する場の企画、運営、評価を主な研究テーマとしています。2005年より、大阪大学コミュニケーションデザイン・センターに勤務しています。

佐倉 統 氏
(さくら おさむ)
佐倉 統 氏
(さくら おさむ)

佐倉 統(さくら おさむ) 氏 プロフィール
東京大学大学院 情報学環 教授
1960年東京生れ。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。三菱化成生命科学研究所、横浜国立大学経営学部、フライブルク大学情報社会研究所を経て、現職。
専攻は進化生物学だが、最近は科学技術と社会の関係についての研究考察がおもな領域。長い人類進化の観点から人間の科学技術を定位するのが根本の興味である。

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