インタビュー

第2回「真空の相転移で宇宙は始まった」(佐藤勝彦 氏 / 自然科学研究機構 機構長

2014.04.14

佐藤勝彦 氏 / 自然科学研究機構 機構長

「重力波で宇宙初期の急膨張が見える」

佐藤勝彦 氏
佐藤勝彦 氏

宇宙が誕生したときの猛烈に急激な膨張、インフレーションを裏付ける原始重力波の間接的観測に南極で成功した、と米国のグループが3月17日、発表した。事実とすれば、昨年のヒッグス粒子発見に続く大発見だが、別の複数のグループが観測を続けており、確定するには至っていない。ただ、年内にも決着するとみられている。物理法則で予言されたインフレーション理論の正しさも増してきた。この理論を提唱した自然科学研究機構 機構長の佐藤勝彦さん(68)にじっくり聞いた。最も信頼できる原始重力波発見の深い解説である。

1. カントのように宇宙初期を研究

―さかのぼって、インフレーション理論を思いついたころの話を聞きます。佐藤さんが30代半ばのころ、デンマークのコペンハーゲンで理論をつくったのですね。

 ニールス・ボーア研究所と隣接している北欧理論物理学研究所に客員教授として滞在していたころです。建物は同じです。正式には1980年にイタリアのシシリー島の国際会議で発表して、論文を投稿しました。論文の掲載は81年です。

―もとは、重力を除く3つの力、電磁気力、強い力、弱い力を統一する素粒子の大統一理論をヒントに思いついたのですか。

 ワインバーグ・サラム理論や大統一理論を学んでヒントは得ました。しかし、本質は真空の相転移です。まさに基本は南部陽一郎先生の話です。「自発的対称性の破れ」という真空の破れが宇宙で起きたということです。コペンハーゲンに行く直前の79年4月に素粒子論を宇宙初期に使って研究しているうちに、京都大で思いつきました。その年の6月にコペンハーゲンに行ったので、京都では論文を書けませんでした。宇宙初期の相転移を調べようとして、インフレーション理論を思いついたのです。

―アイデアそのものは、京都で誕生していたのですね。

 林忠四郎研究室(京大物理学教室)の小さなグループの会議で発表していました。コペンハーゲンには、超新星の業績で客員教授に招かれたのに、申し訳なかったけれど、宇宙初期の研究ばかりに没頭していました。

―義務がなかったから、時間はたっぷりあったでしょう。

 そう、18世紀のドイツの哲学者、カントのように規則正しい生活をしていました。毎朝、ラジオジャパンの放送を聞いて、8時には下宿先を出て研究所に行き、夜10時、研究所から帰る、という極めて規則的な生活をしました。妻子を京都に残して1人だから、まったく自由に、フルに時間を使って、宇宙初期のことばかりを考えていました。80年7月にコペンハーゲンから帰るまでの1年間、一生で最もぜいたくな時間でした。雑用はないし、妄念が起きないからね。

2. 素粒子の大統一理論が武器に

―当初から、ビッグバン理論の欠陥を説明しようと考えたのですか。

 素粒子の大統一理論という宇宙初期を攻める優秀な武器が手に入ったということでした。宇宙初期の素粒子論と、素粒子論を使っての宇宙の始まりを研究しようとしました。はっきり言えば、ものすごい武器があったのが先でした。これで攻めていける。何が解決できるか、という感じでした。

―コペンハーゲンでは、研究者同士の議論は役立ちましたか。

 頭の中で集中して、理論を展開したのがポイントでした。ただ、興味を持っている人たち、素粒子論で有名なホルガー・ニールセンというニールス・ボーア研究所教授らと議論はしました。この人は益川敏英さんに似て、よくしゃべりまくる人で、議論は刺激になりました。

―インフレーション理論はコペンハーゲンで完成したのですね。

 因果関係を持つ領域、地平線がインフレーションの急な膨張で広くなるということを、京都で認識していましたから、これを宇宙初期に使って、何が解決できるかという観点でしたね。80年3月のシシリーの国際会議までに、理論は完成していました。コペンハーゲンで3編の論文を書いていますが、初めの2編は80年2月に投稿して、それをシシリー島で発表しています。7月には1編書いています。みんなインフレーション理論の論文です。アメリカのアラン・グース・マサチューセッツ工科大学(MIT)教授は80年8月に論文を 投稿していますから、それよりは早い。

―「インフレーション」はグース教授の表現ですよね。提唱当初の80年代前半は、佐藤さんは「インフレーション」と言われるのを嫌っていましたね。

 最初は嫌だったねえ。私は「指数関数的膨張」と言っていた。「インフレーションなんて、“受け”だけを狙った、ちゃちな表現」と感じていました。基本粒子のクォークの命名もそうです。しかし、今はそういう“受け”を狙うのも重要だったと思っています。

―ビッグバンのいろんな問題を解決できるということですね。宇宙の年齢は138億年ですね。

 21世紀に入って打ち上げられたNASAのWMAP(ダブルマップ)や欧州のプランク衛星の観測結果からわかった数字です。始まりから38万年後に宇宙が晴れ上がったこともわかりました。138億年というように3けたで、宇宙論の話ができるとは20年前には考えられませんでした。観測の進歩、精度向上はすごいですね。

NASAのWMAP衛星が観測した宇宙背景放射の詳細な地図を持つ佐藤勝彦 氏
NASAのWMAP衛星が観測した宇宙背景放射の詳細な地図を持つ佐藤勝彦 氏

3. 自信あったが観測は予想せず

―当初からインフレーション理論に強い確信はあったのですか。

 私はトップダウンの人間だから、「物理法則ありき」です。「それから世界がどうなるかを言える」という立場の人間です。ドジを踏むこともあるけれど、ブラックホールも予言された通りだった。そもそも宇宙は火の玉で始まり、残っている背景放射の電波があるというのは、ガモフのビッグバン理論から予言されたことでした。やはり、理論の偉大さ、物理学の醍醐味はそういうところにあります。

―では、自信はあったですね。

 発表したときは「かなりいける話だ」と思いました。しかし、それが観測にかかるかは別です。現在のように、確実に観測できるとまでは思っていなかった。

―当初から、「インフレーション理論はよくできたお話にすぎない」という冷ややかな見方は多かったでしょう。

 まあね、宇宙が始まって10のマイナス36乗(1兆分の1のさらに1兆分の1のそのまた1兆分の1)秒後にインフレーションが始まって、10のマイナス34乗秒後ぐらいには終わったというような話をするでしょう。138億年の宇宙史でほんのわずかな瞬間の話です。気が遠くなるような、ときめきの瞬間です。それが観測にかかるなんて、誰も予想しませんよ。当時、信じる人が少なくても、当然だと思いました。

―これは相対性理論を念頭に置いた理論ですか。

 素粒子の大統一理論と一般相対論を組み合わせてつくった理論です。

4. 理論のモデルもインフレ気味

―佐藤さんらがインフレーション理論を提唱してから、たくさんの理論モデルが出ています。インフレーション理論自体がインフレ気味ですね。

 今では、100を超えていると思います。私自身とても全部を知りません。米国のグループが南極で原子重力波を観測したというBICEP2の結果を聞いて、翌日にインフレーションの新しいモデルを出したという人もいます。それくらい多い。残念なことに、大統一理論が最初の単純な理論が否定されて、「何でもありき」で、いろんな理論が出ています。その理論のモデルごとにバリエーションがありすぎます。

―雨後のタケノコのように出てくるインフレーション理論にはあまり関心はないのですか。

 細かなことは興味がありません。理論の分類には関心があります。素粒子の超ひも理論では、宇宙がたくさんできたというマルチバースを予言しています。

―佐藤さんの理論では、多重宇宙論も言っていますね。

 そうです。京都に帰ってからの仕事です。「宇宙はたくさんできた」というのは、私が最初に指摘したけど、その後、いろんな人が言っています。インフレーションは、遠く離れたところでは、でこぼこだらけで、宇宙はほかにもいっぱいある、とみています。

―宇宙初期の研究は素粒子論とともに今後も発展しますか。

 重力波の観測が精密化してくると、エネルギーがわかり、重力波のスペクトルが見えてくるとか、将来の観測の進歩は期待できます。まずは電波の中に、揺らぎのでこぼこを見つけて、次には偏光を見つけて、直接、重力波を測定することです。日本ではデサイゴ衛星の計画があります。欧米では人工惑星を3個打ち上げて重力波を直接観測しようとするLISA計画が検討されています。LISAは10年以上前から提案されていますが、お金が出ない。今回のBICEP2の結果を受けて今度は予算が付く可能性もありますよ。

5. 宇宙の始まりの現場を見たい

―では、佐藤さんが生きている間に、インフレーションの直接の証拠である原始重力波を見ることができますね。

 私が生きている間に、宇宙空間から観測した原始重力波の結果が見えてくる可能性はあると思いますよ。人工惑星の間でレーザーの光をやりとりするわけです。日本も神岡で観測する重力波望遠鏡KAGRAのプロジェクトが終わったら、衛星打ち上げを検討してほしいと思っています。日本の観測スタッフは優秀ですから、期待しています。

―今回の南極での結果から、これからの観測が楽しみですね。

 始まりから38万年後の宇宙を見て、そのなかに仕込まれていた原始重力波の変形を観測したということです。ほかのグループの結果を待たないと、結論は出せません。ほかの観測も進んでいますから、半年から1年で決着はつくでしょう。そうすれば、さらに細かい観測も進みますから、インフレーションが始まった時期とかを、重力波の観測でわかる時代になってくると思います。私の夢は、原始重力波で、現在の背景放射のデータのような地図を描いてほしいことです。それはまさに10のマイナス36乗秒とかいうときの姿です。直接、原始重力波の全天の地図を写真として見せてほしい。ビッグバン宇宙をつくったインフレーションの現場の写真です。これは夢ですが、さすがに私が生きているうちは難しいでしょう。でも、21世紀中には、人工惑星からの観測で実現するんじゃないかと思います。科学の進歩は素晴らしいからですね。

―宇宙の約70%を占めるというダークエネルギーは宇宙の始まりのインフレーションと関連していませんか。

 もちろん関係しているはずですよ。私はそう思っています。しかし、今のところ、関連させる理論はなかなか難しい。関連する余地は当然あります。

(ジャーナリスト 小川明)

(完)

佐藤勝彦 氏
(さとう かつひこ)
佐藤勝彦 氏
(さとう かつひこ)

佐藤勝彦(さとう かつひこ) 氏 プロフィール
1945年香川県坂出市生まれ。京都大学理学部物理学科卒。同博士課程修了、理学博士。宇宙論が専門。宇宙の始まりの猛烈な急膨張を示すインフレ- ション理論の提唱者。国際天文学連合宇宙論委員長や東京大学理学部教授、ビッグバン宇宙国際研究センタ- 長、理学部長、日本物理学会長などを歴任。2010年から自然科学研究機構 機構長。インフレ- ション理論で仁科記念賞や日本学士院賞などを受賞。13年から日本学士院会員。

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