「重力波で宇宙初期の急膨張が見える」
宇宙が誕生したときの猛烈に急激な膨張、インフレーションを裏付ける原始重力波の間接的観測に南極で成功した、と米国のグループが3月17日、発表した。事実とすれば、昨年のヒッグス粒子発見に続く大発見だが、別の複数のグループが観測を続けており、確定するには至っていない。ただ、年内にも決着するとみられている。物理法則で予言されたインフレーション理論の正しさも増してきた。この理論を提唱した自然科学研究機構 機構長の佐藤勝彦さん(68)にじっくり聞いた。最も信頼できる原始重力波発見の深い解説である。
1. 南極や高地でミリ波観測
―原始重力波の観測がニュースとなりました。佐藤勝彦さんらが提唱したインフレーション宇宙論が証明されたと沸き立ちました。事情を一番わかっているのは理論の元祖の佐藤さんでしょう。今回の観測は南極点に設置された電波望遠鏡ですね。BICEP(バイセップ)2と呼ぶ観測です。なぜ南極ですか。
電波でも、ミリ波、サブミリ波の電波を使った観測です。波長が短い。もう少し、短くなれば、遠赤外線になるくらいの波長です。これが地上に届くためには、大気に水蒸気があると、全然駄目なのです。水蒸気がまったくないようなところに行かないと、観測できません。特にサブミリ波が日本で唯一できるのは冬の富士山頂です。
―南極は水蒸気が少ないのですか。
そうです。寒いと、空中に水があったとしても、氷となって落ちてしまう。だから、すごく寒いところは乾燥していて、水蒸気がないのです。サブミリ波、また、サブミリ波に近いミリ波を観測しようとすると、南極か、あるいはチリのアタカマ砂漠でも観測できます。もう10ぐらいのグループが原始重力波の観測を試みています。日本の高エネルギー加速器研究機構の羽澄昌史(はずみ まさし)教授らもアタカマ砂漠で観測しています。
―日米欧が協力してアタカマ砂漠に建設したアルマ望遠鏡とは違うのですか。
巨大な電波望遠鏡群のアルマとはまったく違います。この原始重力波の観測は、1台の電波望遠鏡で見るだけです。水蒸気が少ない南極とか高地に、ミリ波、サブミリ波の望遠鏡を持ち込んで、「Bモード」と呼ぶ電波の信号を観測しています。
2. 衛星と地上観測が競い合う
―インフレーション後のビッグバンから徐々に冷えてきて、原子ができて、光が飛び交うようになり、宇宙が晴れ上がった38万年後の観測が狙いですね。
原始重力波だけでなく、38万年後の宇宙の姿を細かく見ようというのが目的です。1990年に打ち上げられて、ノーベル賞をもらったNASAのCOBE(コービ)衛星や2003年のNASAのWMAP(ダブルマップ)衛星、最近では欧州が2009年に打ち上げて昨年、運用を終えたプランク衛星が宇宙背景放射を観測しています。プランク衛星はデータを解析して、今年夏に成果を発表する予定です。衛星は全天を観測しています。
―地上の電波望遠鏡と衛星の観測が競い合っているんですね。
南極や高地の砂漠の電波望遠鏡は、宇宙の狭い領域の背景放射を細かく観測します。細かな揺らぎを見つけるためだけの装置です。そうすると、細かな構造がたくさん見えてきました。そして、素晴らしいことに、原始重力波の痕跡が、インフレーション理論の予言する細かな構造と一致していたんです。大きなスケールでは、COBE衛星がインフレーションによるでこぼこを見つけました。さらにWMAPは30倍細かく見て、プランク衛星も宇宙誕生から38万年後の姿をさらに細かく捉えています。
―衛星の観測でインフレーション理論はほぼ正しいと既に言えるのでしょう。
そうです。COBE、WMAP、プランクと衛星の観測が精密になりましたが、きれいにインフレーション理論と合っています。今回は、重力波が宇宙の3K(絶対温度3度)背景放射に影響を及ぼして、原始重力波がインフレーションで発生していることが予言通りだったということです。より強力な裏付けになります。
―これは、重力波の間接的な観測ですか。
あくまで間接的証拠です。宇宙の始まりの急膨張、インフレーションはスカラーモードで密度の揺らぎをつくります。それと同時に、重力波の揺らぎがテンサーモードで発生することが予言されています。面白いことに今、雨後のタケノコのように、インフレーションのモデルがあります。そのモデルごとに、密度と重力の揺らぎの比(r)が違う。密度の揺らぎははっきりしていて、値も決まっています。問題は、重力波の揺らぎがどれくらい残っているかです。
3. 重力波の直接観察は必要
―直接、重力波を観測しないのですか。
当然、重力波を直接観測するのがベストですが、まだできていません。日本では、デサイゴという重力波探査衛星の構想があります。重量波の研究グループが宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙研に提案しています。
―岐阜県・神岡で1辺3キロ×3キロでL字型に交差する地下トンネルにKAGRA(かぐら)というレーザー干渉計の重力波アンテナを建設中ですね。衛星はその先のプロジェクトになりますね。
KAGRAが完成して成功しないと、デサイゴ衛星の予算は出ないと思います。
―KAGRAは、地球から近い宇宙で、連星の合体など巨大重力天体が関与する出来事があれば、観測できると聞いています。原始重力波は観測できないのでしょう。
残念ながら、地上のKAGRAでは、連星の合体は観測できますが、宇宙誕生直後の原始重力波を観測できません。原始重力波の波長が長すぎるのです。宇宙空間でないと、観測は難しい。デサイゴ衛星は主に原始重力波の直接観測を狙っています。
―今回は、原始重力波の観測とインフレーション理論の証明という両面があります。
重力波が宇宙初期からずっとあるとするならば、その原始重力波の影響で3Kの背景放射電波の偏光、ポーラリゼーションがいろいろ変わるという予言があります。光の偏光を見ないといけない。WMAP衛星も、プランク衛星もその観測装置を持っていました。いずれも原始重力波は見つからず、ある値以下であるという結果を出していました。
4. 重力波の値が微妙、矛盾も
―それを今回、見つけたと言うのですね。
見つかったという重力波の振幅は、プランク衛星が「これ以下だろう」と言った値より当然低いと思ったけど、実はその上限値よりも大きな値を出したのですよ。「えっ、そんなの矛盾しているじゃないの」というのが私の最初の印象でした。昨年6月に沖縄科学技術大学院大学(恩納村)でまさに、この観測のための国際会議があった。そこで、BICEP2のチームからも経過を聞いていました。彼らは「単純な密度のでこぼこの振幅と比べると、テンサーモードが0.01程度でも見つかる」と言っていました。プランク衛星が出したのは全天を観測して、0.12以下という値を出していました。今回、見つけた値は0.2という高い値だったのです。矛盾するので、びっくりしましたが、論文を最後まで読むと、プランク衛星の結果と自分たちの結果のすり合わせをちゃんとやっていました。「統計的な誤差を考えると、矛盾はしない」と言っています。今回のBICEP2のチームは0.1とか0.2あたりにあるのだとしています。
―原始重力波の間接的な観測としては初めて有意な値を示したわけですね。
プランク衛星のグループは今一生懸命データを解析しています。去年は0.12以下であるとしていました。今年の解析結果がどうなるか、大いに注目されています。
―インフレーション理論を裏付けたということで、物理学者が沸いています。原始重力波の間接的観測と、インフレーションの裏付けのどっちが大きなことですか。
私は当然、インフレーションの証拠を見つけたことが大事だと思います。重力波があれば、必ず3Kの宇宙背景放射が変形することはわかっていたわけですから、それはそう大きなこととは思いません。
―インフレーションの証拠は衛星からの観測などで積み重なっていましたが、今回、さらに強まったということが重要なのですね。
COBE衛星の研究者には2006年にノーベル物理学賞が授与されましたが、授賞理由の文章の言い方は慎重でした。「インフレーョンから来た信号を見つけた」という発表じゃなかった。つまり「銀河や星になる最初のでこぼこを見つけた」という言い方です。でこぼこをインフレーションがつくったということは、主要な授賞対象にしていないのです。
5. インフレーションの裏付け
―ノーベル賞委員会は、宇宙創生のインフレーションと関連づけるのを避けたのですね。しかし、佐藤さんら提唱者は衛星の観測結果をインフレーションの証拠として重視してきましたね。
インフレーションと矛盾しないということが大事でした。決定打というのが原始重力波です。インフレーション理論を揺らぎないものにすると私たちは考えています。インフレーション理論の正しさは増しています。だからこそ、世界中で10以上のチームが観測に挑戦しています。将来の研究計画も世界中でいっぱいあります。南極とアタカマ砂漠でのミリ波、サブミリ波電波望遠鏡です。
―これは金があまりかからないですか。
人工衛星よりけた違いですね。2けたぐらい低い金額で観測できます。20億か30億円あればいいんじゃないでしょうか。
―検出器の性能の進歩が寄与していますか。
ミリ波、サブミリ波の観測技術の素晴らしい進歩ですね。やっているのは、ほとんどが素粒子の加速器実験グループです。彼らは素粒子を研究しているから、宇宙の初期にものすごく興味があったんですよ。3K背景放射を観測すれば、重力波までわかるとなって、宇宙初期観測の分野にどっと参入してきました。小さな半導体の検出器を自ら開発しています。これは素粒子実験の高エネルギーの人たちでないと、なかなかできません。
―こうした観測ができる、といつごろから言われ始めたのですか。
10年前には言われていました。そこから観測のプロジェクトがいくつか立ち上がりました。COBE衛星の全天の結果を見て、細かく調べようという機運が高まってきたわけです。物理学者たちは、ミリ波、サブミリ波望遠鏡を南極やアタカマ砂漠に持ち込んだのです。
6. 1年で決着はつく見通し
―世界でそんなに多くのグループが観測に挑戦していれば、BICEP2のグループ以外からも、結果は続々と出てきますね。
半年でわかると思います。世界でいろんなグルーが観測していますから。しかも、今回の観測は原始重力波で0.2という高い値を出しています。感度は0.01までいかなくてもよいから、いろいろなグループがデータを出せます。
―すると、決着は早くつきますね。
全天を観測したプランク衛星の解析結果も7月に発表される見通しです。これは興味があります。1年で絶対わかりますよ。プランク衛星のグループは微妙ですね。
―当然、プランク衛星が先陣を切りたかったでしょう。最初に言う人たちはどこかで無理をしています。今回の結果が正しいか、もう少し見なければいけませんね。
「原始重力波は見つかるだろう」とみんな思っていました。しかし、原始重力波のでこぼこ度が密度のでこぼこに対して、比のrが0.2という数字は予想外に大きかったことは確かです。プランク衛星が否定していた値ですからね。この1年は、どんなデータが次に出てくるか、楽しみです。
―科学にどんでん返しはつきものです。「BICEP2はおかしい」ということになる可能性は残っていますね。
否定できません。しかし、原始重力波は観測できるというのはもう間違いないでしょう。だからこそ、世界中のグループが観測しています。互いに矛盾したデータが出てくる可能性はあります。まったく同じ領域を見ているわけではありませんから。
―しかし、標準的なインフレーション理論から見れば、あまり異なる結果が出ることはないでしょう。
それはそうです。競争が激しいから、今回の結果がフライングでないかどうかですよね。とにかく、加速器実験の高エネルギー出身の研究者がものすごい勢いでやっています。昨年6月の沖縄の国際会議もすさまじかったですよ。
7. ほかのグループは沈黙
―この分野に関心が高まっていて、BICEP2がトップを切ったわけですね。
要するに上限値でなくて、下限値を見つけた最初のグループです。まだ確定的ではないと思います。プランク衛星のグループは本当に困ったでしょう。今年の7月にどういうデータを出すかですね。
―全天を見る衛星よりも、狭い領域を見る方が強みはありせんか。
それはあります。細かな観測ができますから。しかも、プランク衛星は人工衛星だから、最新の機械を使えない。地上の観測なら、小回りが利き、いくらでも新しい機械を持ってこれます。
―プランク衛星の計画は10年ほど前です。そのころにできた検出器ですね。
地上の観測は、最新の感度で観測できるのが強みですね。プランク衛星はrが0.1以下の原始重力波の観測は難しいかもしれません。ただ、地上のグループは観測できます。BICEP2のグループだって、昨年「0.01までいける」と言っていたんですから。バックグランドの落とし方とか、いろんな問題があり、偽物のデータが見えることもあります。差し引き方にテクニックがあります。
―ほかの観測グループはまだ沈黙していますね。
そうです。正しいとも、間違っているとも言っていません。矛盾したデータが出れば、議論は進むでしょう。
(ジャーナリスト 小川明)
(続く)
佐藤勝彦(さとう かつひこ) 氏 プロフィール
1945年香川県坂出市生まれ。京都大学理学部物理学科卒。同博士課程修了、理学博士。宇宙論が専門。宇宙の始まりの猛烈な急膨張を示すインフレ- ション理論の提唱者。国際天文学連合宇宙論委員長や東京大学理学部教授、ビッグバン宇宙国際研究センタ- 長、理学部長、日本物理学会長などを歴任。2010年から自然科学研究機構 機構長。インフレ- ション理論で仁科記念賞や日本学士院賞などを受賞。13年から日本学士院会員。