インタビュー

第2回「人の感性に訴える製品つくりを」(野原佳代子 氏 / 東京工業大学 教授)

2013.10.15

野原佳代子 氏 / 東京工業大学 教授

「あすのダ・ビンチを目指せ」

野原佳代子 氏
野原佳代子 氏

理系の思考法と芸術系のセンスを結び、融合させる中から新たな創造的人材を生み出そうとの挑戦が、東京工業大学と武蔵野美術大学の連携研究・教育として本格的に始まった。今年6月には両大学学長による正式調印にこぎつけた。「モノづくり」から「コトづくり」へ、そして大きな「社会デザイン」までを可能にするために、豊かな表現力を備え、異分野の相手を理解し、幅広い調整役をこなせる次世代リーダーやプロデューサーづくりを目指す。ひと呼んで和製「ダ・ビンチ作戦」に、早くも企業などから熱い眼差しが注がれている。東京工業大学・野原佳代子教授(第1、2回)と、武蔵野美術大学・井口(いのくち)博美教授(第3、4回)に、順次その狙いや展望を聞いた。

―この授業によって将来、どんなイメージの人間になることを期待しているのですか。

 よく言われることですが、理工系の研究分野は細分化され、全体像はおろか近隣分野の動向や社会との接点が見えにくくなっています。高い専門知を持ちながら、それを社会で生かせない学生も増えています。

 第4期科学技術基本計画には、大震災からの復興を遂げ、持続的な成長と社会発展に向けた科学技術イノベーションの必要性がうたわれています。骨太のイノベーションが模索されるいま、企業が理工系人材に求めるものに、異文化間での協力やコミュニケーション力、産業構造を変えるような大胆な発想力があります。こうした活動を通し、そのあたりの大切さを何か感じ取ってほしいですね。

 しかし一方では、角の取れた“丸い”平凡な人間にはなって欲しくないのです。理工系らしく、論理や数字にこだわる尖った部分も大切にしたい。そのうえで、相手の「違い」や「変わった」ところに気付き、価値を認め合い、自分にない力を引き出せるような、豊かな人間になって欲しいのです。多様性をおもしろがることができればなおさら良いですね。

 これは専門教科を学んだだけではできることではありません。私たちの挑戦しているワークショップの狙いの1つでもあるのです。

 具体的には将来、理工系の知識をベースに、デザインを含む融合領域の視点を持ってモノづくりや研究を指揮できる、「科学技術の編集者」の役割を果たしてもらうのが狙いです。

―理工系の東工大にとって、デザイン教育にはどんな意味合いがあるのですか。

 東工大というと、ノーベル賞候補にも挙がった細野秀雄先生の鉄系超電導物質の発見や、スパコン「TSUBAME」による高度なシミュレーション研究など、世の中を変えるピカピカの科学技術を思い浮かべる方が多いでしょうが、それだけではありません。

 最先端の研究成果をそれぞれが持ち寄った上で、実は学内で新たな「デザイン教育」の体制を整え、充実させたいとの動きが進んでいるのです。この分野では東大のデザインイノベーション、京大のデザイン学、慶応大のデザイン思考研究所など、特色ある試みが次々と打ち出されるなか、理工系大学の本丸として東工大がどう乗り出すか、詰めの段階に来ています。

 6月の武蔵野美術大学との協定締結式で、三島良直・東工大学長はこう挨拶されました。

 「日本製品は技術力が高く、高性能で良質なものが作られると世界でも評判ですが、一方で製品がどのように人間社会で使われ、感性に訴えるかの面では欧米に大きく遅れてしまっている。こうした中で、理工系学生もデザイン感覚を持ち、世界に撃って出るようになってほしい。そのような人材の育成が必要になってきている」と、強調されました。

 どのように消費者、生活者の共感を引き出すかだけでなく、それまで自覚したことのない新しい感性に訴えるような“ざわつき”を感じさせるかが、これからのイノベーションに欠かせない重要なポイントなのです。

 さらに工学系の研究室でも、デザインを最先端脳科学の計測に応用したり、ベンチャービジネスのマネージメントに使ったりするなど、専門研究にもデザインの感覚を取り込む動きが急速に高まっています。新規性のある応用には、これまでになかった人材の組み合わせが必要になります。その意味で今回の美大との連携は、試行的、先駆的な試みになっているのかもしれません。

 どのようなかけ合わせであれ、科学技術のコンテンツがデザイン思考やデザイン手法と融合するためには生のままではダメで、人々に理解されるよう「翻訳」される必要があります。その作業を通して既存の技術にも新たな側面が見つかるのではないでしょうか。

 一流の文学が、他言語に翻訳されることで新たな魅力が発見されるように、科学技術もまた翻訳されることで価値創造やイノベーションにつながるかもしれません。

―20世紀は多くの学問、領域の細分化が進み過ぎたことが問題になっています。もう一度学問の総合化や再統合が求められています。複雑になった社会システムやステークホルダー間の意思疎通から、地球環境問題の取り組み等々、さまざまな課題を解決できる新しいリーダーづくりへの期待が高まっています。

 理工系学生の強みは論理的であること、客観的に物事を把握しようとするところですが、その認知の姿勢が逆に足かせとなり弱点になることも世の中にはしばしばあるのです。

 研究では生身の自分をできるだけ消し、事実のみを出そうとする習慣があるためか、人の生活や感性、好みといった、論理を超えたモノづくりが苦手です。それは人文科学の研究者でも同じでしょう。

 研究者なら“論理ゲーム”に勝てば論文が出せるわけですが、社会に出たらひとつひとつ論理をふまえて物事が決まるなどということはほとんどありません。論理などが立っていないように見える場面で、どう相手を納得させて組織や集団を動かし、自分のアイデアが生き残っていくようにするかは、実に訓練がいることなのです。

 この活動を続けていると、画家で彫刻家、科学者、技術者、哲学者でもあったダ・ビンチのような複眼的なタイプの人材創出を期待する声もでてきます。いわゆる科学とアートのみでなく、産業、市場、倫理、政治、おもしろさ、といった多様な価値を俯瞰する人物像です。

 ジョブズだけでも、ウォズニアックだけでもアップルは成功し得なかったし、新しいライフスタイルも生まれなかったでしょう。例え1人のダ・ビンチが生み出せなくとも、チームによるダ・ビンチ集団ができれば素晴らしいことですね。私はその集団において豊かに発信のできる人材を、東工大から送り出したいと思っています。

 異分野のツワモノが集まるチームでは、理工系特有の“社会方言”でコンテンツを押しつけないゆとりが必要です。それは相手への敬意にもつながります。

 サッカーで、中盤の選手が持つ重要な役割のひとつに「空間解釈」というのがあります。

 スペースを見つけ、その潜在的な可能性つまり、どうパスを出し、どう他の選手を走らせれば攻撃につながるかを、一瞬にして読みとる技で、「空間解釈」と呼んでいます。

 メンバーやタイミング、議論の状態を見はからって、自分の持つ専門知識をけり出すことができれば、それは競争相手を圧倒するキラーパスにもなるでしょう。空間解釈も翻訳の一種です。これができれば、リーダーやサブリーダーとしてチームを率いることもできるのではないでしょうか。

―サッカープレーに例えると分かりやすいですね。面白い試みですが、こうした連携活動自体を研究対象にも考えているのですか。

 大学ですから、この貴重な体験を教育と研究の両面に生かそうと欲張っています。

 まず東工大ではこの授業「コンセプト・デザイニング」の修得者には単位を付けます。東工大のリーディング大学院プログラム環境エネルギー協創教育院のカリキュラムにもなっています。

 また私の研究室では修士課程の大学院生が、このワークショップから得られたデータを解析し「異専門間コミュニケーションと創造性育成」についての研究論文に仕立てようと取り組んでいます。やり取りをビデオなどで丹念に記録し、どんな議論の経過によって合意形成が生まれ、アイデアと造形という結果に収れんしたのかを分析するものです。

 そうした研究の積み重ねが、エンジニアのためのデザイン教育の基礎にもなると思いますので、とても楽しみにしています。

 実はこの修士学生は、東工大の電気電子工学科を経て、人間行動システム専攻の修士課程に入りました。来春は都内のデザイン会社に就職するという風変わりな学生で、理工学とデザインとのコミュニケーションによる翻訳、融合を研究するだけでなく、率先してこの道の先陣を切っているのです。

野原佳代子 氏
(のはら かよこ)
野原佳代子 氏
(のはら かよこ)

野原佳代子(のはら かよこ) 氏 プロフィール
東京都生まれ。田園調布雙葉高校卒。学習院大学大学院人文科学研究科で修士(日本語学)。オックスフォード大学マートン・コレッジで修士(歴史学)、同大クイーンズ・コレッジ東洋研究科で博士(翻訳理論)。オックスフォード大学東洋研究科講師、学習院大学文学部助手、ルーヴァン・カトリック大学(ベルギー)翻訳・コミュニケーション・文化研究センター ポスドク国際研究員。東京工業大学 准教授を経て2012年から同大教授。

『科学技術コミュニケーション入門』(共著、培風館)、「Top Class Nihongo 1・2巻」(共著、多楽園)。研究テーマは、ポピュラー文学の翻訳文体、サイエンスカフェやワークショップにおける議論展開、理工系デザイン教育、占領下における理科教育改革と科学リテラシーなど。

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