インタビュー

第5回「水の安全確保に先進国の矜持」(浅野 孝 氏 / カリフォルニア大学 名誉教授)

2013.08.13

浅野 孝 氏 / カリフォルニア大学 名誉教授

「世界中から頼りにされる水再生利用学博士」

浅野 孝 氏
浅野 孝 氏

世界の各地で水事情がひっ迫している。異常気象や人口急増、森林破壊、産業の進展などによって、水不足や洪水、環境汚染が起きている。水問題の解決に優れた成果を挙げ、2001年に“水のノーベル賞”と呼ばれる「ストックホルム水賞」を受賞した浅野孝・カリフォルニア大学名誉教授が、JST戦略的創造研究推進事業「CREST」の領域アドバイザーとして来日した。再生水利用の技術アドバイザーとして米国をはじめ国際機関や欧州、中東、アジアなどで活躍している。食糧や燃料は不足しても替りのものがある。だが生命にとって必須の水には代替物というものがない。「いつ起きるかもしれない渇水の恐怖に、日本もしっかり備える必要がある」と警告した。

―この頃の日本の大河川は、大雨でも降らないと滔々とした流れが見えなくなってしまいました。これが川の本来の姿なのかと少々心配になってきます。

 新幹線から見ると天竜川は河川敷をさらけ出して、川底の石がゴロゴロしています。大井川だって同じようです。あれも大雨がふれば満水になるでしょうが。

―とはいえ一級河川ですから、いつも川には水が流れていて欲しいですね。上流で電力や農業用に取水されて、流れが途絶えているのは何とも異様ですね。満々とたたえている時には川霧が発生して、お茶や農作物の栽培に有効ですが、逆に河床が露出し、風で砂埃が舞い上がればお茶も農作物もダメージを受けてしまいます。

 その意味で河川管理上は、維持流量や環境流量を確保すべきです。水量が少ないのはアユやサツキマスにとっても極めて迷惑なことですから。国土交通省的な言い方をすれば、日本の背骨に当る山脈に雨が降ってもせいぜい1泊2日で海に流れてしまうから水資源が不足する。だから川を堰きとめてダムを作って貯水量を確保しなければだめだとの理屈になっている。

―地形的にはそうですが、明治以来、河川を直線に改修して、山に降った雨を一気に海に流すようなことをやってきたわけですから、矛盾していますね。

 そうです。川は自然のままに曲がりくねって流れて、水はもっと自由に溢れさせていいのです。このことを以前から指摘していた日本の学者もいたのですが、なんとなく為政者から邪魔者扱いにされてきた。日本の河川行政は、戦後のカスリーン台風による大洪水被害がトラウマになっているのでしょう。

 日本は洪水対策に偏りがちではありませんか。気候変動によってこれまでの経験則が通じなくなり、酷い渇水、水不足になる心配もある。その時のために必要な技術を用意しておくべきです。水を扱う土木工学の宿命は、いつも洪水か渇水かのどちらかに関与するだけで、その中間とか両方をうまく調整するような発想がむずかしいのです。

―カスリーン台風は、死者行方不明者を遭わせて2,000人近くに上り、罹災者は40万人ともいわれ甚大な被害をもたらしています…。水道水の消費量が増えるシーズンに入りました。日本の水道水の環境基準は厚生労働省で決めたのが41項目ですが、アメリカはもっと厳しいですね。

 約100項目はありますね。それだけでも日本の2.5倍のチェック項目に上ります。アメリカの水道水の安全性の考え方は、その水を10年から15年にわたって飲み続けた場合に、「100万人に1人」ががんにかかって亡くなるとの確率で計算しています。ところが日本がよりどころにしているWHO(世界保健機構)の基準は「10万人に1人」の発がん性で、1桁低いのです。これは技術も体制も不足している途上国向けの基準であって、日本のような先進国はアメリカのEPA(環境保護局)の基準に近い方が良いと思います。

―日本ではそのような議論はあまり耳にしません。水道水源にしている河川表流水中に含まれる環境ホルモン物質や、さまざまな薬剤の代謝物質なども、水道水の基準内に入っているから規制の必要はないと、手を付けようともしません。

 EPAもカリフォルニア州も、水道局や下水道局に対して、法律にはなくとも多くの規制外物質を測定させる強制力を持っています。UCM(unregulated contaminant monitoring requirements)といった名称で、将来規制の必要が出てくる場合のために、事前にデータ収集をしておく特別規則があるのです。 私は1990年代の半ばに、厚生省の幹部と論争したことがあります。日本の水道は美味しいとか安全だとかの神話が出来ているが、それはきちんとした水質測定をしていないから「きれい」だと言えるのであって、実際に測れば「汚い」ことが明白にわかるのだとね。 案の定その翌年に、埼玉県内で水道原水や給水栓水から、人の消化管などに寄生する原虫クリプトスポリジウムが見つかり、8,000人以上が集団的な下痢症状を起こしました。これを契機に上水における膜処理と消毒の徹底が行われるようになりました。

水は喧嘩するものでなく、他の生き物と仲良くの飲むもの
水は喧嘩するものでなく、他の生き物と仲良くの飲むもの

 ここに示した写真は、1990年代にデュポン社の逆浸透膜の広告に使われた写真です。「水は喧嘩するものでなく、他の生き物と仲良くの飲むもの」というイメージです。その後、デュポン社は2000年の初めに水処理から手を引いてしまったのですが、当時私は許可をもらってこのスライドを講義などに使ったことがありました。

 ところで今になって、CREST水プロジェクトのアドバイザーとして考えてみると、この写真のイメージをもっと違った解釈に使いたい衝動にかられています。

 「人間は高度に処理した再生水を飲んでも良いけれど、水環境の中でもっと化学物質や環境ホルモンなどに敏感なプランクトンなどの水生生物や魚などに、われわれが飲む水よりも上質の水を与えなければならない」という思いです。

 「地球保全工学」という分野が起こりつつありますが、その基本をなす水環境保全科学・工学が、21世紀には確立されることと思います。

 半世紀前に鋭く化学物質による環境の汚染を警告したレーチェル・カーソンの名著『沈黙の春』(Silent Spring、1962年)を思い起こしつつ、将来の水問題を深く考え、適切な対策を講じていきたいものです。

―CREST水利用研究への厳しくも温かいアドバイスをはじめ、アメリカの都市再生水利用の最前線と住民対応の大切さ、各国を巡る水大使としてのご活躍、日本の水行政に対する厳しいご指摘などをいただきました。長期的な視野で、筋の通った生き生きとしたお話は、日本の今後の水政策にも参考になるはずです。長時間、ありがとうございました。

(科学ジャーナリスト 浅羽 雅晴)

(完)

浅野 孝 氏
(あさの たかし)
浅野 孝 氏
(あさの たかし)

北海道札幌市生まれ。道立札幌南高等学校卒。1963年北海道大学農学部農芸化学科卒。65年カリフォルニア大学バークレイ校工学部土木・環境工学科工学修士、70年ミシガン大学土木環境工学科で工学博士。81年カリフォルニア大学デービス校教授。78年から99年までカリフォルニア州水資源管理局で特別研究職の水質高度利用専門官を兼務。水循環、再生水利用のパイオニアとして、アメリカをはじめ国際機関や欧州、中東、アジアなどで水の技術アドバイスや講演を続けている。2009年からCREST水領域のアドバイザーを務める。1999年米国水環境連盟よりMcKeeメダル、2001年ストックホルム水賞。北海道大学名誉博士(2004年)、スペイン国カディス大学名誉博士(2008年)、瑞宝重光章(2009年)などを受けた。

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