「健康長寿社会の構築目指し」
50年後に日本の人口は今より3割減り8,674万人になる、という推計を国立社会保障・人口問題研究所が公表した。世界に類をみない速さで進む高齢化とともに、全体の人口は減り続けるというどの国も未経験の時代に日本は突入している。医学部を持つ大学は全国に80あるが、需要が増え続ける老人医療の講座を持つのは22大学だけ。福祉・年金制度が破綻しないか、といった財政面での議論は盛んであるのに比べ、高齢者の急増に医療が全く対応していない現実に対する関心は驚くほど低い。地元自治体、企業、住民などと連携して新しい医療をつくる運動を進める大島伸一・国立長寿医療研究センター総長に、高齢社会におけるあるべき医療の姿を聞いた。
―日本の高齢社会の進展が類を見ないほど速いというお話から伺います。
何よりもまず、日本が世界一の高齢国であるということです。高齢社会を示す指標の一つである高齢化率というのは、65歳以上の人口の割合です。これが23.3%とダントツの世界一です。20%を超えている国は、他にドイツとイタリアしかありません。それから平均寿命が女性は86歳を初めて超えて、これも25年以上日本がダントツの1番です。男性は79歳台で、こちらは1位になったり3位、4位になったりですが、男女合わせると83歳を越えていて、これも世界一です。
もう一つ重要なのがスピードです。65歳以上の人口が総人口の7%以上になると高齢化社会といい、14%を超えると高齢社会といいますが、高齢化社会から高齢社会になるまでに、1970年から1994年までの24年間しか要していません。フランスでは、19世紀の1865年に7%に達していますが、7%から14%になるのに114年かかっているのです。スウェーデンが82年、欧州で最も短い方とされているドイツですら42年かかっています。24年間がいかに速いか理解できると思います。
日本も高齢化社会から高齢社会に移るのに110年もかかるのなら、少しずつ少しずつ、それに併せて社会の制度とかシステムとかを考えていけばいいでしょう。しかし、24年間しかかかっていないとなると、一挙に高齢社会が来てしまったということで、社会の制度やシステムが追いついてゆけません。高齢社会、高齢化と言うときに、多くの人が頭の中に浮かべることは、高齢期に入ったときの自分のライフスタイルでしょう。高齢期をどうやって生きるか。ほとんどの人はそれに関心があるわけで、実際に問題意識もそういう方向に行ってしまいます。例えば雑誌の特集を見ても、よく売れる本を見ても、書かれていることは、いかに老年期、高齢期を健康ですこやかに生きていくかという話ばかりです。
―確かに、そういう本しか売れないのでしょうね。
個人個人の高齢期のライフスタイルをどうしていくのか。突き詰めればそういう話になるのかもしれませんが、それだけで済ませてしまうわけにはいかないのが今の高齢問題なのです。100歳以上という高齢者を見つけるのは簡単ではありませんが、80歳、90歳の高齢者なら1,000年以上前からいます。皆、寿命が延びたと言っていますが、そうではなく平均寿命が延びたのです。平均寿命が延びて起きたことは、巨大な人口集団が高齢化して集団として高齢期へ移動し、人口構造の軸が高齢者の方に移動したということです。ここを捉えていかないと、この問題の本質というのは見えないのです。それに加えて、出生率の低下というのが起こってきました。
死ぬ人と生まれる人間と育ってくる人間のバランスによって、人口は増えるか減るかという話になります。長生きする方が多ければ増えますが、生まれる方が亡くなる数より少なければ減ります。その現象が今、日本の中で一挙に起こってきたのです。
その結果、ピラミッド型の人口構造が壊れてしまいました。底辺のところがどんどん小さくなって、上が大きくなってくるものだから、ずんどう型になって、今やもう頭でっかちの方向に向かっています。これからの20年、30年というのは、75歳以上の人口がずっと増え続けます。65歳から74歳までのいわゆる前期高齢者の数は、あまり変化はありませんが、64歳以下がずっと減り続けます。
そこで何が問題かと言えば、今まではピラミッド型の人口構造に合わせて制度や社会システムをつくってきたことです。特に20世紀というのは、進歩、発展、前進、開発、成長が高い価値とされ、そうした価値の下に人口も増えてきました。進歩する科学技術を背景にして製造業を中心に、増えてくる人口を養う分以上のものを持っていたわけです。こういう社会構造を支えていたピラミッド型の人口構造か壊れてしまったのですから、新しい人口構造に合った社会のシステムや制度に変えなければいけなかったのです。しかし、それが追いついていない。これが今の状態です。
(続く)
大島伸一(おおしま しんいち)氏のプロフィール
旧満州生まれ、愛知県立旭丘高校卒。1970年名古屋大学医学部卒、社会保険中京病院で腎移植を中心に泌尿器科医として臨床に従事し、1992年同病院副院長。97年名古屋大学医学部泌尿器科学講座教授、2002年名古屋大学医学部附属病院病院長、04年国立長寿医療センター総長。2010年4月から独立行政法人化に伴い現職。日本学術会議会員。科学技術振興機構社会技術研究開発センター・研究開発領域「コミュニティで創る新しい高齢社会のデザイン」領域アドバイザーも。