インタビュー

第5回「若者よ、海外に出でよ」(蔡 安邦 氏 / 東北大学多元物質科学研究所 教授)

2011.11.28

蔡 安邦 氏 / 東北大学多元物質科学研究所 教授

「第3の固体『準結晶』の謎解きをした男」

蔡 安邦 氏
蔡 安邦 氏

2011年のノーベル化学賞にイスラエルの化学者、ダニエル・シェヒトマン博士(70)の受賞が決まった。「結晶」「アモルファス」に次ぐ第3の固体である「準結晶」を発見し、物質科学の教科書を書き換えた。準結晶の発見は当時の固体物理学の常識に反し、あまりにも衝撃的だったことから、にわかには認められず論争が長く続いた。東北大学の蔡 安邦教授(52)が、安定な準結晶を系統的に数多く作成し、共同研究者が構造解析することでこの大発見を支えた。発見に対する謎解きの功績ともいえよう。受賞理由の発表文には、蔡さんらの論文が5編も引用されており、受賞に大きく貢献した証となっている。共同受賞に値する成果との声も強い。この受賞で一躍知名度が高まった準結晶の不思議な魅力や、研究への情熱、エピソードなどを聞いた。

―準結晶の発見は1984年、フラーレンC60の発見が85年、セラミックス超伝導の発見が86年と、1980年代中盤に物質科学の画期的な発見が3つ続きました。このうちセラミックス超伝導の発見には翌87年にノーベル物理学賞が、フラーレン発見には96年に同化学賞が与えられたのですが、準結晶の受賞は発見からなんと27年もたちました。貴重な発見ですが、これほどまでに後れた理由は何だと思いますか。

80年代に物質科学上の大発見が3つ相次いだ理由には、精度の良い測定装置が開発され、物質の微細な構造が解明しやすくなったことが挙げられると思います。もうひとつは、いずれも実験物理の分野ですので、高精度の装置の開発、普及とも関連してきますが、これまでの既成概念にとらわれない物質観が生まれたことにあると思います。

準結晶の受賞の後れについては、長い間、その存在などを巡って議論がくすぶり、特にノーベル賞受賞者で結晶化学の世界的権威のL・ポーリング博士が「周期性のない結晶はありえない」などと否定的立場をとったからかもしれません。

また準結晶の構造解明は極めて困難な仕事でして、2000年に僕らが2つの元素によるシンプルな準結晶の作製に初めて成功し、その後3元素も含めての構造解明に漕ぎ着けるまで、どこも納得のいく説明ができずにいたことがあると思います。

―ところで、蔡さんは台湾の出身ですね。どんなきっかけで来日したのですか。

僕は台北工業専門学校の卒業です。そこは今、大学に昇格しています。自動車会社のホンダの地元合弁企業に就職し、エンジンの鋳造部門で働きました。製造装置を日本から輸入していた関係で、大阪の会社に2週間ほど研修目的で派遣されたのです。日本の進んだ技術を目の当たりにして、日本でぜひとも勉強し直したいと一念発起し、勤務後に夜間の日本語学校に2年間通い語学をマスターしました。

日本の国立大学はどこも外国人に1年間の日本語教育を必須にしていましたが、秋田大学はそれがなくて直ぐに専門の勉強ができるのと、台湾の優秀な先輩もいましたので、鉱山学部2年に編入学し、金属学を学びました。修士課程まで勉強しようと決意し、それならと金属の研究では世界的に知られた東北大学金属材料研究所に進んだのです。

そこでは毎日毎日、実験が面白くてたまりませんでした。土日も休まず研究室に出て、実験を続けました。アルバイトをする機会もなかったので、当然生活は苦しくなり、奨学金の申請書をあちこちに10通以上も出した記憶があります。

―日本での研究はやりやすかったですか。

本当に自由に研究をやらせていただきました。博士号を取ってすぐに、東北大金属材料研究所の助手にも採用されました。外国人で助手になるケースは少なかった時代ですが、指導教官の増本健先生がかなり思い切った判断をしてくださったのでしょう。さらに3年後には助教授に任用されました。ここでも増本先生は、(論文の)成果を中心に評価するというかなりドライな判断をしてくださったと思います。その後、増本先生の定年退官を機に、茨城県つくば市の金属材料技術研究所(当時の科学技術庁所管)に移りますが、どこに行っても素晴らしい先輩や指導者に巡り会えて、かなりのびのびと研究をさせていただきました。

―最近日本の若者や若手研究者が海外に出たがらない、と問題視されています。どう考えますか。

僕は、学生たちにできるだけ海外の研究所に行くように指導しています。ポスドクならフランスなどに送り出すようにしています。海外に出るとものすごく頑張って研究をやるようになりますね。“他流試合”は貴重な経験です。何かと不自由で肩身の狭い思いをすることもあるでしょうが、それをしのぐほどに新鮮な経験ができ、また努力しようとのモチベーションが生まれるものです。

台湾の学生も、最近は日本人とよく似ていて海外に出たがらなくなったようです。僕のように日本語を勉強して来る人は、理系では難しいかもしれません。留学するにしても多くは英語圏になるでしょう。これから台湾の同僚の教授に声をかけて、「可愛い子には旅を」と勧めてみたいですね。

―蔡さんのお子さんの場合はいかがですか。

まだ息子は高校2年生ですが、どうも日本は居心地が良すぎるようですね。学生のうちに留学経験がなくとも、最近は会社に入ってから海外赴任を経験させられるでしょう。何をやるにしても一度は海外に出て勉強した方が良いと、私の経験から言うことにしています。

(科学ジャーナリスト 浅羽雅晴)

(完)

蔡 安邦 氏
(さい あんぽう)
蔡 安邦 氏
(さい あんぽう)

蔡 安邦(さい あんぽう) 氏のプロフィール
1958年、台湾生まれ。台北工科専門学校卒。現地の日系企業に就職した後、85年秋田大学鉱山学部卒、90年東北大学金属材料研究所博士課程修了、工学博士。同研究所助手、同助教授、科学技術庁金属材料技術研究所主任研究官を経て、2004年から現職。専門は金属物性学。日本IBM科学賞(第8回)、準結晶国際会議・第1回ジェイム・マリア・デュボア賞、本多フロンティア賞(第5回)、日本金属学会奨励賞、功績賞などを受賞、仏ロレーヌ工科大名誉博士号も受けた。

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