インタビュー

第1回「高温超伝導ブームには目もくれず」(蔡 安邦 氏 / 東北大学多元物質科学研究所 教授)

2011.10.31

蔡 安邦 氏 / 東北大学多元物質科学研究所 教授

「第3の固体『準結晶』の謎解きをした男」

蔡 安邦 氏
蔡 安邦 氏

2011年のノーベル化学賞にイスラエルの化学者、ダニエル・シェヒトマン博士(70)の受賞が決まった。「結晶」「アモルファス」に次ぐ第3の固体である「準結晶」を発見し、物質科学の教科書を書き換えた。準結晶の発見は当時の固体物理学の常識に反し、あまりにも衝撃的だったことから、にわかには認められず論争が長く続いた。東北大学の蔡 安邦教授(52)が、安定な準結晶を系統的に数多く作成し、共同研究者が構造解析することでこの大発見を支えた。発見に対する謎解きの功績ともいえよう。受賞理由の発表文には、蔡さんらの論文が5編も引用されており、受賞に大きく貢献した証となっている。共同受賞に値する成果との声も強い。この受賞で一躍知名度が高まった準結晶の不思議な魅力や、研究への情熱、エピソードなどを聞いた。

―今年のノーベル化学賞は「準結晶の発見」で共同受賞の声も高かっただけに、惜しかったですね。

一部の人はそのように言っていますが、私は全く気にしておりませんでした。発表の日も午後6時ごろに帰宅し、夕食をとったあとテレビを見ながらお酒を飲んでいました。研究室の学生から「先生、大変なことになっているから、早く戻ってください」との連絡を受け、タクシーで駆けつけました。

数人の記者が集まり、研究室の電話も騒がしく鳴っていました。てんやわんやの取材応対をこなし、騒ぎがようやく収まって自宅に引き上げたのは11時を過ぎていました。

その後も講演依頼や学会誌の執筆依頼が目白押しで、急に忙しくなりました。私がメディアに出ることで、準結晶がたくさんの人に理解されるようになるといいですね。

―いつかはシェヒトマン博士が受賞すると予想していたのですね。

はい。物質・材料分野に与えたインパクトの大きさを考えますと、いずれノーベル賞受賞の栄誉に輝くものと思っていました。それを踏まえて、2006年に東北大学のユニバーシティ・プロフェッサーとして招聘(しょうへい)しました。

―受賞者との付き合いも長いのでしょう。

私が科学技術庁金属材料技術研究所(現・独立行政法人物質・材料研究機構、茨城県つくば市)にいた2000年にシェヒトマン博士を招き、講演してもらったのが初めてです。話がうまく、準結晶発見のエピソードなどを面白くしゃべってくれました。翌年にも、科学技術振興機構主催の国際シンポジウム(仙台市)にも来てもらうなど、何度か国内外で会っています。米国エイムズ研究所の教授も兼務していたので、米国・アイオワおよびイスラエル・ハイファーの彼の自宅にも招かれ食事もしました。

―蔡さんの研究にはずいぶん感謝しているのでは。

博士は金属の専門家です。準結晶が発見されたあとは金属として調べる余地が少なくなったため、人工ダイヤモンドやマグネシウム合金の研究に移りました。その間研究者たちの準結晶への興味は、もっぱら構造解析と物性にシフトしました。

―蔡さんの成果は、国際的にもきちんと認められていますね。

僕らが作った大きな準結晶の電子顕微鏡写真は、シェヒトマン博士があちこちで宣伝してくれていたようです。準結晶合金の創製と準結晶に関する物質科学の確立については、研究者仲間にきちんと評価されていると思います。

―そもそも準結晶研究との関わりは。

東北大金属材料研究所の修士課程から博士課程に移ったのが87年で、指導教官はアモルファス金属でご高名な増本健先生でした。そこで準結晶に着手したので、かれこれ四半世紀の付き合いになります。シェヒトマン博士らによる準結晶の論文は84年の「フィジカル・レビュー・レターズ」に発表されました。

準結晶は高温の液状の金属を急速冷却法で作成します。急冷法はアモルファスの作成と同じ手法だから、研究室ではこぞって準結晶にのめり込んだのです。わたしもその一人でした。

―その後、蔡さんしかいなくなったのはなぜ。

それが面白いのです。理由は2つあります。1つは、準結晶が何に応用できるのか「材料」の可能性に注目する人が多く、「構造」や「組織」に興味を持つ人は少なかったからです。それは準結晶の構造自体が難しかったことにあると思います。準結晶は当時から有用な材料としての見通しも立ってなかったため、急速に関心が薄れたのでしょう。

<>もう1つは、86年に起きた世界的な高温超伝導ブームです。高温超伝導が実現すると、常温でリニアモーターカーを動かしたり、エネルギーロスの少ない電力送電を実現したりするなどの夢が大きく膨らみ、物性の専門家がそちらにドッと流れてしまいました。増本研究室にはそれまで、大学院生が4、5人、企業からの派遣研究者が10数人いましたが、結局は研究室で準結晶を続けたのは僕1人になったのです。

―なぜ超伝導研究をやらなかったのですか。

僕が関心を持っていたのは金属なのです。高温超伝導物質は、瀬戸物のような酸化物のセラミックスで、とにかくもろい物質です。物質中の酸素が1個減ったり増えたりして特性が変わるなんて、少々理解しがたかったのです。修士課程では鉄やパラジウムなどの重い金属を扱っていたので、博士課程に入ってから軽金属のアルミ合金を扱うのはとても新鮮でした。急冷でなくゆっくり冷やしても準結晶ができるのか。準結晶に熱を加えるとどうなるのか。1人であれこれと空想していました。

―博士論文のテーマは準結晶ですか。

86年に修士論文の実験を終わらせると時間のゆとりができましたので、準結晶の試料を自分なりに作り始めました。そのことが増本先生の耳に入ったそうです。「自分でやりたいと興味がわいたのなら、やったらよい」と増本先生に認められ、準結晶が僕の博士論文のテーマになったのです。

しかし当時の不十分な準結晶の試料では、研究できることがかなり限られていたため、この研究テーマでは学位の取得は難しそうだと思われていました。そこで、増本先生が「1年やってだめならテーマを変えようね」と心配してくださったのです。これが準結晶をやるきっかけとなりました。

始めてみるとかなり難しい内容で、論文を読むのも辛く、小規模の研究会に参加しながら少しずつ勉強しました。まさに暗中模索からのスタートです。

(科学ジャーナリスト 浅羽雅晴)

(続く)

蔡 安邦 氏
(さい あんぽう)
蔡 安邦 氏
(さい あんぽう)

蔡 安邦(さい あんぽう) 氏のプロフィール
1958年、台湾生まれ。台北工科専門学校卒。現地の日系企業に就職した後、85年秋田大学鉱山学部卒、90年東北大学金属材料研究所博士課程修了、工学博士。同研究所助手、同助教授、科学技術庁金属材料技術研究所主任研究官を経て、2004年から現職。専門は金属物性学。日本IBM科学賞(第8回)、準結晶国際会議・第1回ジェイム・マリア・デュボア賞、本多フロンティア賞(第5回)、日本金属学会奨励賞、功績賞などを受賞、仏ロレーヌ工科大名誉博士号も受けた。

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