「人がやらないことをやる」

前身である「創造科学技術推進制度」から数えると30年の歴史を持つ代表的な競争的研究資金制度「ERATO」(科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業「ERATO型研究」)の新規研究領域に「脂質活性構造」(研究総括:村田道雄・大阪大学大学院理学研究科教授)が選ばれた。脂質という名からも想像できるようグニャグニャした生体物質の立体構造を解き明かすのは至難の業とされている。研究者たちにあきらめに近い気持ちを抱かせていた脂質の構造を突き止めようという研究に挑む村田道雄・研究総括に、このプロジェクトの意義や研究に取り組む姿勢などを聞いた。
―脂質の構造するプロジェクトの説明に、リガンドという言葉がよく出てきます。リガンドというのは、どのようなものですか。
脂質が、受容体と言われるシグナルを受け取る装置をつくる部品だとすると、リガンドというのは、装置にくっついてスイッチを入れるものです。結合分子といった言い方もします。ホルモンもリガンドの一種です。情報伝達分子という言い方をすることもあります。
GPCR(Gタンパク質共役型受容体)はレセプターですから、そこにくっつくリガンドがあります。その一部は脂質です。GPCRの周りにくっついているのも脂質だし、真ん中に入るリガンドも一部は脂質です。周りにくっついていて受容体を構成している脂質、受容体にくっついてスイッチを入れる脂質のいずれもすごく大事なので、頑張って研究すれば両方とも構造解析ができるようになるというのが、われわれの提案の大きな特徴の一つです。
分かりやすい例で説明しますと、GPCRの例から外れますが、グニャグニャとしており見るからに曲がりそうなのが脂質のリガンドです。これが例えば免疫をすごく刺激する受容体にくっついて、これをブロックすることができれば免疫抑制剤になる可能性があります。リガンドにはいろいろなタンパク質もあれば、神経伝達物質みたいなもの、ホルモンみたいなものに加え、脂質もありますが、脂質は決してマイナーではなく、こうしたものすごく役に立つリガンドとしても重要だということです。
―創薬への貢献が期待できるということですね。GPCRの構造解明が難しい理由をもう少し聞かせてください。
GPCRについてはわずか2種類の構造しか分かっていませんが、それにはいろいろ理由があります。一番分かりやすい問題は、一番おとなしいというか、黙っているときの受容体の形でしか結晶できていなかったとうことです。最近、活性化状態の構造が報告されましたが。ちゃんとシグナルを伝えるアクティブ(活動的)な時の形というのは結晶しにくいので、X線解析によって構造がなかなか決まらないのです。われわれの提案というのは、リガンドを結合させていろいろ調べてやれば、アクティブな活性化された状態の構造が分かるだろうということです。
アクティブな形というのは、リガンドが結合したことで構造が変わり、アクティブになるわけです。そのアクティブな状態の構造を解明しようと世界中で製薬会社も含め多分、何万人もの人々が必死になってやっていても分かっていません。ですから、われわれが今から出ていっても難しいことには変わりないでしょう。しかし、リガンドの方から攻めてリガンドの構造をきっちり決めるということをやれば、そのポケット(受け口)の形もある程度分かります。リガンドがGPCRにくっついた時のポケットの形というのはアクティブな時の形になっているので、アクティブな状態のGPCRの構造について何かが分かるに違いないと期待できるわけです。
―ポケットの形を突き止めようと多くの人が必死になっていて、なぜ「リガンドの形から決めようじゃないか」という発想が出てこなかったんでしょう。
発想はありました。しかし、このようにグニャグニャしたものは、とてもじゃないけれど歯が立たない、とあきらめていたのです。実際、普通にやっていたら構造など決めようがないのです。確かに相手は、一つのひもみたいなものでブラブラしています。しかし、GPCRの中に入れば、ある程度丸い形で固まってしまいブラブラしないと考えています。頭としっぽに安定同位体を目印として入れてやることで、頭としっぽ間の距離を測る方法をわれわれは既に実証しています。このブラブラな分子でも、何点かで距離を測ってやると割ときっちり構造は決まるだろうと考えています。
この距離は結晶になっていない状態でも測れます。リガンドの形が分かれば、GPCRのポケットの形も決まります。このポケットにピッタリくっついてGPCRを活性化する薬の開発も可能になります。試行錯誤で100万個もの化合物を洗いざらい調べるといったやり方ではなく、こういうアプローチでやることで100万個などといった膨大な数でなく100個で済むかもしれない。そうしたら開発コストが大幅に抑えられる…。そういう話になればいいな、ということです。
―距離を測るというのが非常に重要なようですが、安定同位体はうまいこと脂質分子の端と端に入ってくれるのですか。
それはそういうふうにつくるのです。1個1個ブロックをつなげる有機合成です。薬をつくるのと同じです。構造は分からないけれど分子のつながり方は完全に分かっているのです。ただ脂質というのはグニャグニャしているから、やっても無駄だと初めはわれわれも思い込んでいました。しかし、ぼちぼちやり始めたら、実は結構できるということが分かってきて今回の提案となりました。ちょっと常識の盲点をついたみたいなところはあります。
(続く)

(むらた みちお)
村田道雄(むらた みちお) 氏のプロフィール
大阪府立豊中高校卒。1981年東北大学農学部卒、83年東北大学大学院農学研究科修士課程修了、財団法人サントリー生物有機化学研究所研究員、85-93年東北大学農学部食糧化学科助手、86年東北大学農学博士学位取得、89-91年米国立衛生研究所(NIH)博士客員研究員、93年東京大学理学部化学科助教授、99年大阪大学大学院理学研究科化学専攻教授。2010年10月科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業ERATO新規研究領域「脂質活性構造」研究総括に。専門分野は生物有機化学、天然物有機化学、NMR分光学。