「多様性が育むもの」
地球には人間のほかに生物学の分類でいうヒト科に属する生きものがいる。チンパンジー、ゴリラ、オランウータンである。大型類人猿と呼ばれてきたが、サルではないため最近は「類人」と称するそうだ。近年のゲノム解析によると、チンパンジーと人間のDNA塩基配列は約1.23%の違いと分かった。京都大学霊長類研究所では文字や数の学習をするチンパンジーのアイを中心に「アイ・プロジェクト」が行われ、ヒトの進化の解明にも道を拓く。6月には、この10年間の研究成果をまとめた「人間とは何か」(岩波書店)が出版された。同研究所の松沢哲郎所長に取り組みと展望を伺った。
―チンパンジーの食べものバトルは人間の原点、生きもの共通の本能のようでいつも笑ってしまいます。
おそらく人間はいまここの世界に生きているだけじゃなくて、昨日も一昨日もずうっと昔からの過去を引きずって現在にいるし、いまだ見ぬ、あるいは一週間先の、一年先のずうっと未来を考えて生きています。あるいは地球の裏側で起こった津波や地震、そういった災害で苦しめられた人々にも思いをはせるでしょう。多分それは極めて人間的な心の働きであって、チンパンジーは、いまここにしか生きていない、いまここだけなんです。食べものに対しても、それは「執着」するでしょうね。いま目の前に食べものがあるかないかというのは、重大で切実なことだから。
人類は先々を考えながら現実に対処しているからこそ、1万年前くらいに農業を始められたわけです。田植えをして苗を育て、実らせ、米粒をご飯にするには相当な時間がかかります。想像する力、イマジネーションがあって、時間的な距離を置いて、空間的な広がりを狭めて生きているわけです。そうして人間は生きられたと思うんですよ。
―闘病しているチンパンジーのレオの場合、人間の頑張り、諦めないということとは別でしょうけれど、もし病気で極限状態に陥った場合、今日だけを生きているという心境になれたら、本人は。
楽になりますね。そう思いますよ。多分チンパンジーには諦めるということはないんです。われわれの場合だって生物として取るべき道はたくさんあるんだと、ものは考えようです。
僕は「人間とは何か」の第一部で「負の感情の研究」を将来の課題に挙げています。ねたむ、ひがむ、恥じる…。これらはリアルな自分と相手、あるいは自分が勝手に作り上げた願望との落差による悩みなわけでしょう。いまここを生きている自分自身とは別の自分、本来自分はもっとこうできるはずだと思い込んでいるから悩むわけですね。
こうできるはずだとか、あるべき姿も何も考えず、いま、ここを生きていれば比較対照するものが何もないんです。他人にも自分の中にもない。チンパンジーの世界はそういう生き方なんです。もし強いて人間の中で探そうとすると、悟りに悟ったお坊様のような暮らし、千日行を3回もして、悟りに悟ってしまったような方と同じ境地に既にチンパンジーはあるがままにいるわけです。どう考えても思い悩まず、他者のことを羨(うらや)ましく思っていない。自分を卑下してません。
コンプレックスにしても、いろいろな尺度から他人もしくは自分の中で比べるということや、とにかくいまの自分というものをこれが本来の姿ではないという認識が発達していて持つわけです。そもそもコンプレックスはほとんど自尊心の裏返しです。いまのままが全く自分の実像であり、それが生きていく上での何の障害でもないはずです。生命の世界の基本のありようでは物事に上下も良し悪しもない。「こうあるべきとか考えると目の前の果物が採りやすくなるんですか」。チンパンジーにとってはそういうことだと思うんですね。
―チンパンジーのことが分かってきて、人間にとってどういう存在か距離感が難しそうです。日本ではSAGA(アフリカ・アジアに生きる大型類人猿を支援する集い)の呼びかけで、2006年に医学感染実験は停止されたそうですが、米国ではまだ感染実験の対象になっていて、アフリカでは密漁が続いているのですね。
いまだにチンパンジーはアフリカ各地で食用として捕獲され食べられています。日本人が平気でクジラ・イルカの類を食べているのが欧米人は不思議だということと同じです。海外ではサルやいろいろな動物が食用にされているけれど、でも欧米人のイルカに対する態度は明らかに知性を尺度にしていますよね。だからいかがなものかと思うけど彼らの尺度だからなんとも言いようがないというか。
―ということは、チンパンジーはこれだけ知性があることが認められたのだから、単なる食用にしてはいけない、という論理は通用しないでしょうか。
でも人間だって殺し合いをしてきたじゃないですか。食べないだけで、食べた人たちもいるけど。何百万人も殺すという意味では、そんな酷(ひど)いことはないんじゃないですかね。形を変えて食べていることになると思いますよ。チンパンジーについては、基本的な生きる権利を認めようという人たちだって現われていますから、国によって扱いが違うという問題が顕著な生きものですね。
―生物的に人間に近ければ本当は医学の実験に使いたいものでしょうか。
どうでしょうか。それはそれとして、医療という行為は必ず経済と切っても切れない関係にあるでしょう。以前こういう質問されて驚きました。心臓の弁の動きが悪くなったとき、豚の弁を使ったことを知った人から「豚って人間に近いんですか」と聞かれたんです。人間の心臓を使うのが一番良いけれど、サルの仲間、ヒヒの心臓とかも使われる。豚は安いからなんです。ただ同然で手に入り、大した拒絶反応が起きないから豚を使っているだけで、豚が人間に近いんじゃないんですよね。
科学というものは、やはり物事が決まっていく道筋まで含めて対象にしていると思うんです。でも一般の人々は科学をしながら日々暮らしているわけではないですから。日々は日々、そういう中でどうしても人間は今のような誤解や人間中心の論理に陥りがちなわけでしょう。そういうものに対して、それはちょっと事実と違いますよと、ある種異議申し立てをすることが科学としての健全な姿ではないですか。
―宇宙飛行が現実のものとなり、人間は地球の生きものの一つにすぎないという意識が薄れ、いろいろなことを科学でコントロールできるかのように思ってしまわないでしょうか。
人間は空前絶後な生きものだから、といっても、すごい高熱や極端な環境に耐えられる生物がいるし、人間だけが特にどうってことはないのだけど。それにしても人間の本性から年々隔絶されたような生き方を強いられる人たちが一部にいると思うのです。一方アフリカのギニアの人々の暮らしというのはずうっとそんなに変わっていないんです。人間の5本の指は何のためにあるか。キーボードをたたくためにできているわけではないですよね。ものをつかみ、つまみ、握るためにこう広がっていると思う。ではそういう本来の暮らしはどういうものだったのかと常に立ち返ることは、よりよく振る舞う上でとても大切です。その極めて大切なことを科学として証拠に基づいてお見せしようとしているのです。こういうメッセージをさまざまなメディアから発することで、それをしっかり受けとめてくださる方が増えるとうれしいですね。
(SciencePortal特派員 成田 優美)
(続く)
松沢哲郎(まつざわ てつろう) 氏のプロフィール
東京都立両国高校卒、1976年京都大学大学院文学研究科博士課程を中退、同年同大学霊長類研究所心理研究部門助手、93年同研究所教授(行動神経研究部門思考言語分野)、2006年から現職。理学博士。1978年創設された「アイ・プロジェクト」でチンパンジーの知性を研究、85年世界で初めてチンパンジーがアラビア数字による数の概念を表現できることを明らかにした。86年からギニア共和国のボッソウ村付近で野生チンパンジーの生態を継続的に調査、2000年からチンパンジーの世代間の文化伝達を研究、新しい研究領域である「比較認知科学」を開拓、07年チンパンジーの直観像の記憶能力を解明。日本学術会議会員、日本霊長類学会理事、日本動物心理学会理事、日本赤ちゃん学会副理事長、日本モンキーセンター理事ほか。1991年秩父宮記念学術賞、2001年ジェーン・グドール賞、04年紫綬褒章、中日文化賞、日本神経科学会時実利彦記念賞など受賞。著書は「おかあさんになったアイ・チンパンジーの親子と文化」(講談社)、「チンパンジーから見た世界」(東京大学出版会)、「人間とは何か:チンパンジー研究から見えてきたこと」(岩波書店)など多数。