「科学技術エンタープライズで雇用拡大を」
行政刷新会議の事業仕分けで科学技術予算にも国民の大きな関心が向いている。研究者たちの反撃は素早く、厳しい評価も一部見直されそうな雲行きだ。しかし、こうした動きを冷静に見ている研究者もいる。16年前、政権交代で建設途中に計画中止となった米国の超巨大加速器「SSC」の例などを引き、科学技術と国家の関係のとらえ方が日本はまだ未成熟ではないか、という見方だ。京都大学基礎物理学研究所長、同理学部長などを務めた佐藤文隆・甲南大学教授に今回の動きと科学技術政策のありようなどについて聞いた。佐藤氏の話のキーワードは、「科学技術エンタープライズ」と「雇用」のようにみえる。
―科学を政府がどれくらい支援すべきかを考える視点は何なんでしょうか。
今回の行政刷新会議による事業仕分けは、何に税金を優先して使うかということですね。「子ども手当」と「次世代スーパーコンピューター」を比べなければなりません。基礎研究では“すばらしさ”が強調されますが、世の中には創造的で、継承していきたいすばらしい営みはいっぱいあります。しかし、芸術や将棋の世界も、相撲取りだって、まあ一部の振興策の補助金があるかもしれませんが、本体部分は自分たちで稼いでおり、税金で運営しているわけではありません。科学知識の研究の動機自体は芸術にも似た創造的活動だと言う人もいます。確かに科学者も芸人も文化勲章をもらいますが、芸人や歌舞伎役者が政府に金をくれといいますか。だから科学技術に税金を投入しているのはこういった普遍的な“すばらしさ”の故ではないんですね。科学技術に「税金をまわすから、お国のために一肌脱いてください」という赤紙(召集令状)がきたような話なんです。これが「人類の英知」「国力の源泉」「健康・安全」の3理念を掲げた科学技術創造立国という、これは政権交代でも変わらないと思いますが、ここ10年ほど続いている日本の国づくり政策なんです。これでほかに比べて潤沢に税金が投ぜられたり、企業の開発研究に税金をまけたりしてきたんです。私も“お国のため”に頑張ってきたつもりです。
1960年代半ば以前なら、科学者なら“お国のため”なんて言われたら「おれは人類のために研究するんだ」といって拒否したでしょう。現実には大差ないんですが、“お国のため”の戦争で懲りてたから日本では“お国のため”は禁句でした。上の「3目標」の一番目は“人類のため”ですが、それによって日本という国家のブランド力を高めようというのだから“お国のため”であり、それがみんなの税金を使う根拠なのです。二番、三番は税金をつかう根拠としては分かりやすいと思いますが、「国力」が、企業のためでなく、“お国のため”である証にはやはり「雇用」にまで結びつくことが大事な指標でしょう。まあ、どんな政策も百パーセント筋書き通りにはいかないものですが、基本は押さえておく必要があります。これは、科学技術に税金を投資すれば、産業・社会が活性化し、子弟がよく勉強し、科学技術エンタープライズで雇用が増え、それで税収も上がり、子供手当も増額できる、から1以上のリターンがあるという皮算用です。科学技術は普遍性があって他国がアッという間に真似できるから、近視眼的投資では長期にはかえってリターンが少ない。そこに政策運用者の力量が問われるのだと思います。
―「仕分け」は科学技術の研究、特に基礎研究がこんなにも大きく税金に依存しているのかということを世間に印象付けたのだと思いますが。
便利をもたらす公共事業もかつては税金食いという目では見られていませんでした。科学技術の研究はいまでも税金を連想させるものではありません。科学というのは金銭の過多では推し量れないものだという麗しいイメージがまだ残っているのでしょう。ほんの半世紀もさかのぼれば科学の研究費と税金はそもそも無縁のものでした。科学と見なされるような営みは古くからの職業である医者や土木技師や錬金術師などに受け継がれ、19世紀からは軍隊、鉱山、製薬、衛生、交通、通信などの専門家として職場が拡大し、高等教育に携わる教師の数も大幅に増えます。そういうさまざまな職場で仕事をしている者の一部が同好会的に研究の討論・公表の場としていまの学会の始まりである自主組織ができました。ところが19世紀中期にプロシアが富国強兵の国民国家づくりの一環として研究のための実験室を持つ新構想大学を国家資金で始めるんです。それにひかれて英国からドイツに留学する若者も現われ、オックスフォードとケンブリッジ大学はあわてて科学を取り込みました。もっともこの大学のカレッジは国会以上に金持ちなので自分で賄いましたが。
やはり19世紀中ごろの英国の話ですが、当時、天文学というのは海洋航行の実学の一部をなしていました。ここは国の機関で、グリニッジ天文台長というのは相当な権力があり、軍を含めた国家の科学技術のアドバイザー的立場にいたのです。グリニッジ天文台は恒星の位置測定に次々と技術開発をして観測技術を高めて、天文航法のための情報を提供していました。世界の船舶業界や海軍にとってこれがデファクトスタンダードになっていたので、後にフランスと経度の原点を争ったときにグリニッチに勝利をもたらしたのです。
多くの公務員の天文台員も抱えるこのグリニッジ天文台で太陽の分光観測のような、天文航法以外の天文学の研究もやったらどうかという提案が出てきました。この対応が面白いのです。「科学研究は自分の資産でやるべきもので、税金でやると科学精神が駄目になる」と大反発が起こるのです。この時の論争は詳細に記録されています。わずか150年さかのぼるだけで「政府から金をもらったら科学の精神は駄目になる」と考えられていた時代があったことを、もっとみんな知るべきですよ。米国の科学アカデミー(NAS)や科学振興協会(AAAS)は実体的には国の機関のような役割を果たしていますが、政府の財政から一線を画する構造になっているのはそういう時代の科学精神の尻尾なんですね。会費制の学会というのもそうです。もちろん、「いま」と「むかし」は違うが、すぐに「いま」も「いま」でなくなるんですよ。だから科学の社会的あり方の歴史的推移はきちんと押さえておくべきです。この面での私の勉強のレポートが拙著「異色と意外の科学者列伝」(岩波科学ライブラリー)です。
―各国が科学に税金を投入するようになったのには当然、理由があると思われますが。
もちろん現在は前に述べたように国が科学技術を利用して国づくりをしようとしているからです。研究自体が高額な経費を食う事態もあり、素粒子物理の加速器などは、お互い「利用し、利用される」という関係だったと思います。しかし、米国のSSC(超伝導超コライダー)事件に見るようにこの事態は一抹の不安を将来に残してますね。政治の不安定に左右されるという…。
かつて高価な科学機器といえば大望遠鏡でした。第一次大戦後の米国の好景気が天文学を世界一にし、銀河世界と膨張宇宙の発見をもたらしましたが、このとき活躍したパロマー天文台は金持ちがお金を出したのであって、税金は出ていないのです。
SSCは途中で計画中止になりましたが、それまでは純粋科学の高価な加速器が次々に建設されました。これは原爆・レーダー開発を原点とした国防と基礎科学の太いコネクションがあったからです。その特殊なコネであれ世界のフロントを引っ張ると、米以外でも「追いつけ」で活性化され大いに科学が進むんです。この世界をリードする輝かしい一流国家の誇りを国民が持つなら高い投資ではない。しかし、こうした理由付けはソ連と体制をかけた文化戦争してるうちはうまく働きましたが、冷戦が終わり敵がいなくなると国民は自分の健康の方が心配になるんですね。
産業や軍事や行政が科学技術の専門家を擁するようになったのは20世紀に入ってからですし、国家が基礎科学を税金で支えるようになったのは第二次大戦以後のことです。科学者の数は20世紀初めに比べると100倍くらいに増え、この60年でも20倍くらいになっています。そしてそれを支える何倍もの科学技術エンタープライズがあります。科学技術の世界をもっと構造化して見る必要があるわけです。そしてこのマシンを今の生活水準の維持に活用する知恵を出してほしいと期待されているんですよ。そのために税金は使うんです。
(続く)
佐藤文隆 (さとう ふみたか)氏のプロフィール
1956年山形県立長井高校卒、60年京都大学理学部卒、64年同大学院中退、理学部助手、同助教授を経て74年京都大学教授。京都大学基礎物理学研究所所長、理学部長を歴任し、2001年から現職。理学博士。基礎物理学研究所所長時代、湯川記念財団の依頼で「湯川秀樹選集」をまとめる。日本物理学会会長、日本学術会議会員、物研連委員長なども務め、現在はきっづ光科学館ふぉとん名誉館長、理化学研究所相談役、核融合エネルギーフォーラム議長、平成基礎科学財団評議員なども。「アインシュタインの反乱と量子コンピュータ」(京大学術出版会)「異色と意外の科学者列伝」「雲はなぜ落ちてこないのか」「火星の夕焼けはなぜ青い」「孤独になったアインシュタイン」「科学者の将来」「宇宙物理」「一般相対性理論」「科学と幸福」(岩波書店)、「宇宙物理への道」「湯川秀樹が考えたこと」「アインシュタインが考えたこと」「宇宙物理への道」(岩波ジュニア新書)など著書多数。