「オランウータンの生きる森」
来年10月、名古屋で開催される「生物多様性条約第10回締約国会議」(COP10)に向けて、国内でも生物多様性を維持することの重要性に関心が高まりつつある。一方で生物多様性の維持に大きな役割を果たしている熱帯林の減少はとまらない。インドネシアのボルネオ島で26年間オランウータンの生息調査を続けている鈴木 晃・オランウータンと熱帯雨林の会理事長にオランウータンと熱帯雨林との関係、生物多様性維持の意義について話を聞いた。
クタイ国立公園についてもう少し説明させてもらいます。1985年当時と比べるとそのエリアはどんどん縮小されています。96年から公園の中に道路がつくられました。私が86年に初めて入ったときなどは泥沼の道路で、エンコした車の中で2晩寝たこともあります。今は舗装されていますから、もう少し楽になっています。もっとも穴だらけになっていて、ゆっくりしか走れないのですが。
ここに道路を入れたことで、うっそうとした熱帯雨林が昨年から大きな違法伐採を受けています。地元の県知事が「伐採していい」というおふれを出したので、例えば遠くの中央カリマンタンの方からも人が来るなど、大体 3,000人が国立公園の外から押し寄せてきて、国立公園の中の森を切ってしまうという事件が起きたんです。
県知事は、山火事で森が駄目になりオランウータンが絶滅しちゃったから、木を切っても、あるいは人が入ってもいいんだと言うのです。国は国立公園を維持しようとして対立しているのですが、そういう拮抗関係がここのところ加速されているわけです。
本はといえばクタイ国立公園の北側の地で1991年から石炭開発が始まったことで生まれた状況ですが、ここで掘る石炭の多くは半分近くが現在でも日本に入っています。石炭は露天掘りで、最初、英国のBP社とオーストラリアの石炭会社が合弁で会社をつくって始めました。先日、インドネシアのエネルギー相が「今後石炭は地下で掘り、森は残すように」という声明を出しました。しかし、これには裏があって、国立公園の中でも石炭を掘れるようにしようというのが意図じゃないか、と私は見ています。
国立公園の中に道路ができたことで、近くからもいろいろな部族の人が入ってきて、森の木を切りました。木を切った跡にはおかぼをまくんです。しかし、1回か2回収穫すると、地力が衰えておかぼができなくなってしまいます。そうすると、また別なところに転地して、そこの森を切って栽培する。それが現地の稲作栽培の典型なんです。ですから、こういう状態を許しておくと、地力が衰えてコメがとれなくなると次の森をまた切ってそこに今度は植える。そういうことが延々と国立公園の内部へと入っていくわけです。
昨年、私は何度か国立公園の側と協議し、また国会の森林関係の議員と会合をもったりしてきました。けれども、そこで聞かされたのは、この道路から 500メートル以内のところの木は切ってもいい、だけどその奥は残す、といった話ばかりです。今回、私は3月に帰ってきたんですけど、そのときの情報では道路から1キロまでは切っていい、海岸線は海岸まで農耕地にしてもいい、だけどマングローブだけは残しておくといった話でした。どうしたら今後の秩序が保てるのか、地元でも延々と協議が重ねられており、結論はまだ出ていないのです。
道路サイドの森を維持するため、日本の外務省が資金を投入しようとしたこともあります。ところが、伐採者たちが車を囲んでデモをやるわけです。そういう状態ではODA(政府開発援助)資金は投入できないということになり、プロジェクトは途中でご破算になってしまいました。
2月28日に私の拠点であるキャンプカカップで、オランウータンの雄が投げ落とした木の棒が米国人観光客の足に当たって歩けなくなり、たんかで運ばれるということがありました。クタイ国立公園の中にサンキマというステーションがあり、国立公園では観光客をここで降ろしてオランウータンを見物させる場所にしていました。ところが、近くの森の木が全部切られてしまったためにオランウータンが出てこなくなってしまったのです。
それで私のキャンプに外国から来た観光客を国立公園が案内するようになったわけです。そうすると、研究の場所と観光用の場所とがごっちゃになってしまいます。不特定の人が安易に森に入ったりオランウータンに近づいたりすることは、人からの感染症の問題などもあり、とても危険なことです。オランウータンは怒ると、よく物を投げ落とすのです。その日は米国人の観光客が6人ほどやってきました。国立公園側は「これは風が吹いて木が落ちたので、別にオランウータンがやったわけじゃない」と私に言いました。しかし、私の調査員たちは2人ずつ組になってオランウータン1頭1頭をトレース(追跡調査)しています。現場を見ていますから何が起きたかを知っているんです。オランウータンが怒って投げ落とした棒は、拾って私のキャンプにとってあります。太い棒ですから、もし頭に当たっていたら死ぬことだってあり得たかもしれません。
観光客の侵入というのは、オランウータンにとって大きな問題で、昨年以来、われわれのキャンプは困っています。今クタイ国立公園が、キャンプの研究成果を利用して、観光客を拒まなくなってきていることで、私たちも国立公園側との折衝に時間を取られています。
(続く)
鈴木 晃 (すずき あきら)氏のプロフィール
千葉県生まれ。京都大学大学院理学研究科修了。理学博士。京都大学霊長類研究所助手を経て、1983年からインドネシア・カリマンタン(ボルネオ)島のクタイ国立公園で野生のオランウータンの研究を続ける。長年にわたる研究活動の実績が認められ、93年には研究活動の拠点「キャンプ・カカップ」が現地に建設された。同年、「日本・インドネシア・オランウータン保護調査委員会」を両国の研究者らによって組織し、日本側代表に。引き続き現地住民らとも協力して森林保護活動や日本国内での啓発普及活動に取り組んでいる。2008年2月「オランウータンと熱帯雨林の会」設立、理事長に。著書に「夕陽を見つめるチンパンジー」(丸善ライブラリー)「オランウータンの不思議社会」(岩波ジュニア新書)など。