「活かされていない日本の技術力」
ダーウィンの進化論を生んだガラパゴス諸島の名をとり、日本の技術やサービスが世界市場に躍り出られない現実を比喩する「ガラパゴス化」という言葉が、あちこちで聞かれる。典型的な例として挙げられるのが、日本の携帯端末とそのメーカーだ。これに対し、ガラパゴス化という表現は的を射ていないと、異論を唱える人がいる。携帯電話サービス、iモードの産みの親として知られ、いまインターネットの各種サービス分野に新たな活躍の場を求めている夏野 剛・ドワンゴ取締役、慶應義塾大学特別招聘教授に携帯サービスを中心に日本のメーカーの問題点や「ガラパゴス化」の実像を聞いた。
―夏野さんの業績として有名なiモード開発の経緯をお話し願います。
携帯端末はNTTドコモとメーカーが一体になったから短期間で普及したとみられているかもしれませんが、本来はドコモとメーカーの利害は一致していませんでした。メーカーはより多くの端末を売りたいのに対し、携帯事業者の方はできれば1台の端末を長く使ってほしいのです。本当は1台4-6万円するのに事業者が補助金を負担して安く売っていましたから。しょっちゅう端末を変えられると補助金が増えてしまうからです。
うまく両者がWinWinの関係になることができたのは、携帯端末を高機能にすると、携帯端末を変えた人の通信料金が高くなるというモデルが日本ではできたためです。日本で成功したモデルは、欧米ではつくれませんでした。新しい端末に変えても通信料は増えないため、通信事業者は新しい端末を売りたがらなくなってしまい、メーカーとの間にWinWinの関係はつくれなかったのです。
ユーザーというのは自分が楽しいと思うことしかしません。自分の意思でどんなに多くのことがやれるか。そういうサービスがつくれた。それが通信事業者とメーカーの接着剤だったのです。iモードは、サービスの設計であり、ビジネスモデルのデザインが成功したということです。欧米には5メガの高性能カメラ機能など部分的にはよいパーツはありますが、トータルパッケージとしては日本ほど高機能のものはないんです。
―iモード立ち上げ時のことについてもう少し詳しく伺います。
iモードを始めた1990年代後半は、欧州と日本が携帯電話の2大先進地域と言われていました。ただし、当時は音声だけです。音声だけでは収入に限界があると分かったときに、NTTドコモは私を含め外から人をとり、しかも、外の技術を使いながら新たなサービスを開発することを始めました。これは、通信企業であるNTTの伝統的な考え方とは全く異なるものです。外部の人は採らない。なるべく自社の技術を使う。この反対をやったわけですから。マーケティングが大事。技術はうたわない。「メールができる」「ゲームができる」といったことを徹底して強調しました。
―巨大な技術陣を抱えるNTTグループがよくそれを許しましたね。
われわれは外人部隊といわれていましたから。当初はだれも成功するなどとは考えていませんでした。サービスを始めてだれも否定できなくなり、2、3年で成功となった時の嫉妬と恨みはすごかったですね。いまでもすごいですが(笑)。初代社長の大星公一さんという人がすごい人でした。ドコモに来た人たちはNTTグループの中で3流の会社に出された。そういう悪口を言った人たちをギャフンと言わせるために頑張ったと言ってましたね。
―iモードとともに夏野さんの大きな業績といわれるおサイフケータイ開発の経緯についても聞かせてください。
この時も外の技術を入れて、社会を変えるということを優先しました。内部の技術にこだわるとか、どこかのメーカーに出資してそこからの技術を利用しようなどとは一切考えませんでした。なぜかと言えば、そんなことをしている時間がなかったからです(笑)。10年、20年やって花が咲くなんていう悠長な世界ではありません、IT業界は。変化のスピードはどんどん速くなっており、3年先は読めなくなっていましたから。おサイフケータイについても、iモードを始めるときから発想は持っていましたが、そんなに早くできるとは思っていませんでした。
JR東日本の非接触ICカード「Suica」が、2001年11月にスタートしましたが、その年の1月にJR東日本の椎橋 章夫 氏(現・執行役員)と上司の常務の訪問を受けました。「Suica」というサービスを開始し、すべての駅をこのICカードシステムに切り替える。そのうちマネー決済機能も持たせてキヨスクでも使えるようにするから、携帯でも同じ型式でやらないか、という提案です。その時点でNTTグループは別の技術を持っていました。政治的な問題もありますし、市場で技術の優劣がつくまで手を付けないつもりでした。しかし、椎橋さんたちの話から、JR東日本は本気だと分かりましたから「その方式でやる」と即答しました。
Suicaに採用された非接触ICカード技術は、ソニーが開発した「FeliCa」という方式です。02年3月に試作機ができ、本当にこれを携帯に組み込むかという段になってソニーが提示した値段が高すぎたのです。「開発にかかった時間と金を回収しなければ」というので、「最初に採用する企業が開発費を全部負担していたら、ファーストムーバーアドバンテージでなくディスアドバンテージになってしまう」と拒否し、交渉は手詰まり状態になってしまいました。
ある時、親しい久夛良木健・ソニー・コンピュータエンタテインメント社長(当時)にぼやいたところ、すぐに安藤国威ソニー社長(当時)から初めての電話があり「できるだけ早く会いたい」といわれてびっくりしました。
「この値段でないとやれない」「それでやる」。それから話がトントン拍子で進み、試作機を開発、そしてその2年後、04年7月におサイフケータイの第1号機発売となりました。Suicaに電子マネー機能がついたモバイルSuicaのサービスも翌05年の4月に始まりました。
(続く)
夏野 剛(なつの たけし) 氏のプロフィール
1984年東京都立井草高校卒、88年早稲田大学政治経済学部経済学科卒、95年米ペンシルベニア大学経営大学院ウォートンスクール卒(経営学修士)。88年東京ガス入社、96年立ち上げに参加したインターネット関連企業 (株)ハイパーネット社の取締役副社長に。97年(株)エヌ・ティ・ティ・ドコモに誘われ、iモードの基本コンセプトを示す。ゲートウェイビジネス部メディアディレクター、ゲートウェイビジネス部コンテンツ企画担当部長、iモード企画部長を経て、2005年執行役員マルチメディアサービス部長、08年5月慶應義塾大学政策メディア研究科 特別招聘教授、08年7月(株)ドワンゴ顧問、同年12月25日同社取締役に就任。08年6月からセガサミーホールディングス株式会社、ぴあ株式会社、トランスコスモス株式会社、NTTレゾナント株式会社の社外取締役を兼務、他複数社の役員、アドバイザーを務める。01年5月米国ビジネスウィーク誌「世界eビジネスリーダー25人」、同年8月同誌「アジアのリーダー50人」に選出された。02年5月 「ウォートン・インフォシスビジネス改革大賞(Wharton Infosys Business Transformation Award)」Technology Change Leader 賞受賞。主な著書に「i モード・ストラテジー~世界はなぜ追いつけないか」(日経BP社)、「ケータイの未来」(ダイヤモンド社)など。