インタビュー

第2回「経営者の条件」(夏野 剛 氏 / 慶應義塾大学 特別招聘教授)

2008.12.22

夏野 剛 氏 / 慶應義塾大学 特別招聘教授

「活かされていない日本の技術力」

夏野 剛 氏
夏野 剛 氏

ダーウィンの進化論を生んだガラパゴス諸島の名をとり、日本の技術やサービスが世界市場に躍り出られない現実を比喩する「ガラパゴス化」という言葉が、あちこちで聞かれる。典型的な例として挙げられるのが、日本の携帯端末とそのメーカーだ。これに対し、ガラパゴス化という表現は的を射ていないと、異論を唱える人がいる。携帯電話サービス、iモードの産みの親として知られ、いまインターネットの各種サービス分野に新たな活躍の場を求めている夏野 剛・ドワンゴ取締役、慶應義塾大学特別招聘教授に携帯サービスを中心に日本のメーカーの問題点や「ガラパゴス化」の実像を聞いた。

―内に閉じこもっているということですが、海外でもしゃにむに働いた人たちが多かったから日本の繁栄がもたらされたのではないのでしょうか。

いえ、小さい成功で満足して楽をしているようにみえます。日本のメーカーは海外で大変な思いをしなくても国内でそこそこ利益を出しているからよい、という姿勢です。しゃにむに働いていた人たちというのは、日本が経済発展を遂げる過程で、高度でない製品で勝負していた時代の人たちです。価格が安いというだけで通用する製品、シロモノ家電といったものを輸出していた時代は、交渉力など必要ありませんでした。そのような製品はいま中国などにどんどんやられています。日本の技術力と手先の器用さ、それに国民性が加わってどんどんよい製品をつくり市場をこじ開けると、そこへ安い価格の中国が出てきてやられてしまうわけです。

しゃにむに働けば売れるという時代は、技術の進歩により過去のものになってしまったのです。知恵を使って、努力の何倍もの効果を出す。努力はもちろん必要ですが、知恵はもっと重要な時代になっているのではないでしょうか。

―しゃにむに働くということですと、われわれメディアの世界でも、ジッと考えるより、とにかく歩き回る記者が評価されていましたが(笑い)

メディアは人間対人間の世界ですから、人に会わなければ伝わらないものあるという部分、まだ生きていると思います。しかし、例えば今日ここへ来られる前にウェブで私の情報は調べられたでしょう。それをしなければ無駄な話を聞くことになってしまいます。製品をつくっている世界も、昔と同じような努力だけをしていては報われません。戦略と戦術をきちんと持たないと駄目です。

―とはいってもメーカーの幹部も急には頭を切り替えられないのではないでしょうか。

同じ会社で30年、40年いるのが当たり前という考え方でやっていますが、全員そうであることが問題なのです。全員50代以上の男性というのが、典型的な大企業の取締役会の姿です。私もドコモにいたときは唯一の40代の取締役でしたから。ほかは全員50代以上でした。全員同じ会社で育った人間という方がむしろおかしいのではないかということなのです。外から見たらよく分かることはいくらでもあります。今、複数の会社の社外役員をやらせてもらっていますが、「それはどういう意味か」と聞くと、説明する側が「確かにおかしい」と気づくことがたくさんあります。

ただし、経営は外から来た人ばかりではできません。全体の10%くらい新しい血を入れたらどうかということです。外の血が混じると残りの90%も実力を出す気になります。そうでないとみな甘えてしまいます。30年以上も一緒に同じ釜の飯を食って来た人間と役員会でののしり合いなどしないでしょう。

―技術者の役割というものについてはどうお考えですか。

日本の技術者はきわめて優秀です。ただ、技術の現場、開発の現場に携わってきた人が役員になっても「私は技術者だから」みたいなことを言う人がいます。これは理系出身ということで、半分逃げが入っているような気がします。私は技術屋、私は事務屋、私は技術屋だから財務は分からないなどと自分の分野を絞るのは、経営者としては通用しません。日本の役員は、1人でできることでも二人で仲良く分けるジョブシェアリングをしている面があります。経営者になったとたん、技術、財務の両方とも分からなければ駄目です。人数が多いと意思決定が遅れます。

意思決定をするには、最低限の技術的知識、財務的知識を持っていないと駄目で、片方でも欠けていたら経営者になるべきではありません。

(続く)

夏野 剛 氏
(なつの たけし)
夏野 剛 氏
(なつの たけし)

夏野 剛(なつの たけし) 氏のプロフィール
1984年東京都立井草高校卒、88年早稲田大学政治経済学部経済学科卒、95年米ペンシルベニア大学経営大学院ウォートンスクール卒(経営学修士)。88年東京ガス入社、96年立ち上げに参加したインターネット関連企業 (株)ハイパーネット社の取締役副社長に。97年(株)エヌ・ティ・ティ・ドコモに誘われ、iモードの基本コンセプトを示す。ゲートウェイビジネス部メディアディレクター、ゲートウェイビジネス部コンテンツ企画担当部長、iモード企画部長を経て、2005年執行役員マルチメディアサービス部長、08年5月慶應義塾大学政策メディア研究科 特別招聘教授、08年7月(株)ドワンゴ顧問、同年12月25日同社取締役に就任。08年6月からセガサミーホールディングス株式会社、ぴあ株式会社、トランスコスモス株式会社、NTTレゾナント株式会社の社外取締役を兼務、他複数社の役員、アドバイザーを務める。01年5月米国ビジネスウィーク誌「世界eビジネスリーダー25人」、同年8月同誌「アジアのリーダー50人」に選出された。02年5月 「ウォートン・インフォシスビジネス改革大賞(Wharton Infosys Business Transformation Award)」Technology Change Leader 賞受賞。主な著書に「i モード・ストラテジー~世界はなぜ追いつけないか」(日経BP社)、「ケータイの未来」(ダイヤモンド社)など。

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