「めざすは国際的研究施設 - 多目的加速器『J-PARC』の魅力」
物質の根源を探る粒子加速器の建設競争が続く中、そのユニークさで内外から注目されている日本の加速器の完成が迫ってきた。高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構とが共同で開発を進め、茨城県東海村に建設した大強度陽子加速器「J-PARC」だ。原子核物理、素粒子物理、物質科学、生命科学など、基礎研究から産業界への応用までさまざまな分野での活用が期待されている。この大型研究施設の魅力と可能性について、永宮正治・日本原子力研究開発機構・高エネルギー加速器研究機構J-PARCセンター長に聞いた。
―基礎分野だけでなく、応用面でも活用が期待できるということですが、企業との関係はいかがですか。
産業界に大いに活用してもらう施設にすることがJ-PARCにとって重要なことです。先回述べました国際化とならんで、産業界への開放は今後の大きな仕事と考えています。
たとえば、日本の企業が半導体のシリコン薄膜をつくるのに中性子照射という手法を使っていますが、日本の中性子源を利用しているのは全体の5%とか10%でしかないという事実があります。これはゆゆしき現象です。これのみならず、企業の方々にお伺いすると、日本の施設は使いにくいというのです。お金を払いさえすればさっさと使わせてくれる原子炉が世界にはいくらでもあるということです。
日本の企業はコンサルタントとして国内外の研究者を使っていますね。これもある企業の方のご意見ですが、外国の先生はある問題を出すと大抵うまく答えてくれるのに、日本の先生はしばしば行き詰まってしまうというんですね。たとえばマサチューセッツ工科大学の先生は、分からない問題があると自分と異なる学部や学科の専門家に遠慮なく聞いて回って答えを見つけるのに対し、日本は縦社会ということでしょうか、多くの先生方は他の学部の先生に聞いて回ることをしないようです。日米で能力には差がないのかもしれませんが、学部や学科を超えた交流は米国の大学の方が活発ですね。私も日米両方の大学で教鞭(きょうべん)をとっていたことがありますので、このご指摘はよく分かります。
どうすれば企業の方々がこの施設を使いやすくなるのかについては、われわれは経験がないので、産業界との仲介役となるようなエキスパートの方に来てもらわないといけないと考えております。米国は、ゴア当時副大統領の一声でテネシー州に中性子専用の加速器SNSができ、われわれと同じように中性子ビームを供給します。これを米国の企業も利用できるはずですが、実際にはそうなってはいません。エネルギー省のガイドラインがあり、産業界は入りにくいのです。税金で作った施設だから、得られた成果は国民にすべて開示しなければならないとされているからです。「J-PARCは産業界に入れ込みすぎで、われわれは全然駄目。ちょうど中間くらいがよいのでは」とオークリッジ国立研究所の人が笑っていました(笑い)。
産業界にはいろいろな意見があります。ある人は「産業界のことなど考えずに、基礎的なきちんとしたデータを出してほしい」と言いますし、またある人は「企業はやはり迅速性や秘密保持などの大事なことがありますから、それに即応出来る体制をつくってほしい」と言います。どちらも重要でしょう。これらの意見を取り入れながら産業界が使いやすい体制や人的配置をしないといけないと考えています。
―J-PARCを使いやすい研究施設にするには地元との関係も大事かと思いますが。
地元からは大きな支援を受けています。茨城県は、産業界のために中性子のビームラインを県の予算でつくって、県の予算で運営するという力の入れようです。さらに研究者を呼び寄せるためには研究者を受け入れるスペースも必要です。日本原子力研究開発機構のスペースは限られています。機構の正門前にあるNTTがつくった研究所を県が買い上げて改修工事を施し、たくさんの研究者が来ても研究できるスペースを確保する努力をしてくれています。
東海村も茨城県が買い上げた建物内に研究者が研究をしやすいような雰囲気をつくるスペースを整備することや、外国人を含むJ-PARC研究者が村に来ても地元で暮らしやすい環境作りに努めてくれています。
心配は、宿舎が何とかならないかということです。このくらい大きな施設になると研究者は研究をするだけでなく、いろいろな議論ができるような機会も必要なのです。残念ながら東海村はつくば市などに比べると宿泊施設が整っていません。100人規模の研究者を泊めることが不可能なのです。文部科学省にもお願いしたのですが、共同利用宿舎のようなものはつくれないというのです。そこで、外国人用には、昭和40年代に建てられた古い職員宿舎を修復したりしているのですが…。
研究者が東海村に来て活発な雰囲気の中で研究ができる状況をつくらないと、長期的に見ると問題が起きてくるのでは、と心配しています。
―こういう話は、政治家に動いてもらわないと埒(らち)があかないのではないでしょうか。
J-PARCはスタートしたとき、全く政治家はかかわっていないのです。数年前にある高名な政治家が視察に来られ「これを後押しした代議士は誰か」とお尋ねになりました。実は誰もおられませんでしたので「誰もいません」と申し上げましたが信用されませんでした(笑い)。その後、政治家のサポートも大事だと気づき、支援してもらうように努めています。おかげで、最近は多くの政治家の方々が視察に見えます。
J-PARCは世界に例を見ない、世界に先駆けた施設です。外国人がうらやましがる施設です。しかし、施設が良いというのは一つの条件でしかありません。外国からの研究者たちも働きやすい雰囲気の中で研究できる環境づくりを、これからも力を入れたいと考えております。
―最後になりますが、ホットニュースとして3人のノーベル賞が日本人物理学者に授与されることになりましたが、J-PARCにとってどんな影響があるでしょうか。
まず、南部・小林・益川の3先生に心よりお祝いを申し上げたいと思います。私どもも、本当に良かったと素直に喜んでおります。南部先生は、陽子や中性子の質量がいかに生まれるかの原因について原理的なことを提唱されました。そのころはクォークも発見されておりませんでしたが、その後、3つのクォークが集まって陽子や中性子が出来上がっていることが分かってきました。一方、クォーク自身はごく小さな質量しか持っていませんので、陽子や中性子が生成された瞬間にクォークの100倍もの質量が創り出されたことになりますが、この謎の解明に南部理論が用いられています。J-PARCにおいては、この謎の解明は大きな実験研究課題の一つになっております。南部理論は、古くてなお最先端の理論と言えると思います。
小林・益川理論は、60年代にK中間子の崩壊によって発見されたCP対称性の破れを説明する理論です。この理論では、クォークは6つ存在しなければならず、この6つのクォークの「まじり」を考えることによって初めてCP対称性の破れが説明されるという主張でした。CP対称性の破れは、Bファクトリーにおける実験により、より精度よく検証されました。一方、K中間子の崩壊実験に関しては、その超精密測定がJ-PARCで予定されております。さらに、小林・益川理論は6つのクォークのまじりを扱った理論ですが、素粒子にはクォークと並んで6つのレプトンが存在します。6つのレプトンがまじりますと、質量の小さいニュートリノが別のニュートリノに変身する「ニュートリノ振動」が起こります。東海村で作ったニュートリノが300キロ先の神岡でいかに変身するかを観測する実験 (T2K)がJ-PARCにおいて進んでいます。小林・益川理論のレプトン版の実験と言ってもよいと思います。
昨年、原子核物理学国際会議を東京で開催しました。私がその世話人を務めましたが、南部先生が駆けつけて講演をしてくださいました。さらに、幸いにも天皇・皇后のご来臨があり、お茶会では南部先生が参加者を代表してごあいさつをしてくださいました。
J-PARCは国の大きな計画です。予算化される前に半年以上にわたった大々的な評価が行われました。その折、基礎科学部門の評価委員として益川先生が参加されました。J-PARCは応用研究のみならず基礎科学のために有用なのだと切々と語られた記憶があります。小林先生は、高エネルギー加速器研究機構のメンバーとして、J-PARC建設期の委員会に何度も参加されております。
加速器は、完成後にいかに素晴らしい成果を生み出すかによってその成否が決まるものです。成果創出はJ-PARCの今後の最大の課題ですが、今回のご受賞を励みとして、われわれも全力を挙げて「良い成果の創出」に励みたいと、気の引き締まる思いがしております。
- Bファクトリー:
高エネルギー加速器研究機構の電子-陽電子衝突型加速器
(完)
永宮正治(ながみや しょうじ)氏のプロフィール
1967年東京大学理学部卒、72年大阪大学大学院理学系博士課程修了。東京大学理学部助手、カリフォルニア大学ローレンス・バークレイ研究所研究員、東京大学理学部助教授、コロンビア大学教授、東京大学原子核研究所教授、高エネルギー加速器研究機構教授、同機構大強度陽子加速器計画推進部長を経て、2006年から現職。1991-94年コロンビア大学物理学科長を務める。専門分野は原子核物理学実験。理学博士。日本学術会議会員・物理学委員会委員長。
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