インタビュー

第1回「iPS細胞でも臨床研究が鍵」(井村裕夫 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 首席フェロー(元京都大学総長))

2008.02.25

井村裕夫 氏 / 科学技術振興機構 研究開発戦略センター 首席フェロー(元京都大学総長)

「急を要する臨床研究体制の改革」

井村裕夫 氏
井村裕夫 氏

医師が少なくて地方の病院が悲鳴を上げている。特に産科や小児科の医師不足は深刻-。医療の現場での暗いニュースが相次いでいる。こうした目に見える医療の危機に加え、最近、日本の医療システムの大きな欠落部分が問題視されて来たる。臨床研究の立ち後れによる先端医療の導入の遅れだ。この問題に早くから気づき、「総合的迅速臨床研究(ICR)の推進-健康・医療イノベーション」という提言もまとめている井村裕夫・科学技術振興機構研究開発戦略センター首席フェロー(元京都大学総長)に聞いた。

―昨年暮れ、京都で開かれたiPS細胞に関する特別シンポジウムのパネルディスカッションでも司会者として臨床研究の重要性を指摘しておられましたが。

高齢社会を迎えて、従来の治療ではどうしようもない重い病気には再生医療しかないと10年前くらいから熱い視線が集まってきたわけです。再生医療に使う細胞はいろいろあり、一つは患者の体の中にある幹細胞です。数は少ないけれど分裂して増えていく細胞で、すでに皮膚、血管、骨、軟骨などの再生医療が始まっています。しかし、この方法では治療できない病気はたくさんあります。パーキンソン病、アルツハイマー病、脊髄損傷などは、脳の神経幹細胞を患者さんからとれません。膵臓にあるインシュリンをつくるβ細胞がなくなっていく糖尿病も治療が難しいです。こうした細胞をどうしたらとれるかということで期待されたのが胚性幹細胞、ES細胞ですね。

ただし、これは受精卵を使うので倫理的な問題があります。長い時間かけて議論した結果、体外授精でつくられ使われず廃棄される予定の受精卵からつくることが認められました。この結果、数少ないものの日本でもつくられています。ただし、倫理的問題に加え、他人の細胞ですから、拒絶反応が起きる問題があります。これらの問題を避けるために自分のES細胞をつくったらどうか。それができたら理想的ではないか、という考え方が出てきたわけです。

最初に考えられたのが治療クローニングという技術で、体の細胞の核をとり、それを核を取り除いた未受精卵の中に入れて発生させるという方法です。自分自身の「myES細胞」をつくろうということです。世界中がそれに向かって研究し、韓国の学者が「成功した」と発表しましたが、実は普通のES細胞だったというのは、周知の出来事ですね。まだサルまでしか成功していません。

そういう状況で飛び出してきたのが、山中伸弥・京都大学教授のiPS細胞だったのです。皮膚の細胞から、プログラムを逆に回して万能細胞に戻そうということで、多くの人は考えなかった。できるということは分かっていたのです。というのは、前にお話した治療クローニング法は動物では成功しているわけですから、いったん分化した細胞でも、プログラムの巻き戻しはあり得る、と。しかしながら、できるといっても極めて複雑なステップがあるだろうし、現実に皮膚の細胞をもう一度元の未分化の細胞に戻してやるということなどできっこない。そう思ってだれもやろうとしなかったわけです。

それに挑戦したところが山中さんの偉いところで、まず、マウスでやってみたらできたというのが1年半前ですね。大問題になり米国の2つのグループがすぐに追いかけてやってみたらできたというので、世界的な関心を集めます。「じゃあヒトでできるか」となり、山中さんと、米ウィスコンシン大学のグループが同時に成功させました。特に有名になったのは、山中さんがローマ法王に呼ばれて話をしたことと、ブッシュ米大統領が「こういう細胞の研究をやる必要がある」と演説で言ったことです。2人とも宗教上の理由からES細胞には反対していたので、iPS細胞の特徴にはいち早く注目したということです。

こうした政治的な動きを抜きにしても、iPS細胞は非常に大きな発見です。まず、再生医療への応用です。前にお話しした、現在治療法のない神経系の病気や重度の糖尿病に限らず、もっと多くの病気にも応用が期待できます。例えば、今輸血や血液製剤によるC型肝炎が大きな問題になっていますが、これが進行して肝硬変になってしまいますと移植しか治療方法がありません。もし、肝臓が再生できれば、という大きな期待があります。

再生医療に加えて、病気の原因の究明にも使えると考えられています。例えば、パーキンソン病、アルツハイマー病といった病気はどうして起きるかが分かっていません。もし、患者の細胞から、ドーパミンを出す細胞を作ってしらべると、パーキンソン病の原因が分かるかもしれず、治療薬の開発につなげることも可能になります。つまり、iPS細胞から病気の細胞のライブラリーをつくり、こうしたライブラリーからさまざまな病気の原因究明と薬の開発が飛躍的に進む可能性も期待できるのです。

では、再生医療がいつごろから臨床に使えるか、ということに関心が向くでしょうが、これについては、まだ何とも言えません。山中さんは「5年、あるいはもうちょっと早く」とか言っていますが、いずれにしろ最も大きな問題は安全性です。まず動物実験で確かめ、あるところで人間に使わないことには意味がありません。そこで、臨床試験ということが大事になってくるわけです。

(続く)

井村裕夫 氏
(いむら ひろお)
井村裕夫 氏
(いむら ひろお)

井村裕夫(いむら ひろお)氏のプロフィール
1954年京都大学医学部医学科卒業、62年京都大学大学院医学研究科博士課程修了。71年神戸大学医学部教授、77年京都大学医学部教授、89年京都大学医学部長、91年京都大学総長、98年神戸市立中央市民病院長、2001年総合科学技術会議議員、05年から現職。先端医療振興財団理事長、稲盛財団会長も。日本学士院会員、アメリカ芸術科学アカデミー名誉会員 専門領域は内分泌学。臨床医学の重要性については、神戸市立中央市民病院長時代から具体策の実践にあたり、科学技術振興機構・研究開発戦略センター首席フェローとして提言した「統合的迅速臨床研究」では、“先端医療後進国”日本の抜本的改革策が盛り込まれている。

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