インタビュー

第1回「愚かな決定」(金子敦郎 氏 / 元大阪国際大学学長、元共同通信記者)

2007.08.01

金子敦郎 氏 / 元大阪国際大学学長、元共同通信記者

「世界を不幸にする原爆カード-ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた」

金子敦郎 氏
金子敦郎 氏

62年前の1945年8月、広島、長崎へ落とされた原爆は、一発で即座にそれぞれ十数万人、約7万人の命を奪った。20世紀最大の出来事とも言われる原爆投下は、本当に不可避の戦争行為だったのだろうか? なぜ、戦後長い間、原爆投下にかかわる真相が明らかにされなかったのか?通信社記者時代の取材活動から大学での研究活動を通じ、長年このなぞの解明に挑んできた金子敦郎氏の著書「世界を不幸にする原爆カード―ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた」(明石書店)が刊行された。原爆投下を急いだ人間とその理由や、原爆使用が戦後の国際社会に及ぼした影響、さらには原爆の恐ろしさを的確に知る科学者の果たした役割などについて語ってもらった。

原爆を投下した米政府部内にも賢い人はたくさんいた。しかし愚かな人が物事を決めてしまった。愚かな人間が世の中を引き回してしまうというのは、現在の政治にもつながるかもしれないが…。当時、米政権の内部では、特に戦争、外交を直接担当していた陸軍長官のスティムソンや、陸軍参謀総長のマーシャル、駐日大使を10年も務めた国務長官代行のグルーその他、海軍長官、海軍作戦部長といった人々が、原爆を使う前にやるべきことはたくさんあるという考えを持っていた。

やるべきこととしてこれらの人々が挙げたことは3つある。一つは日本が降伏を拒むのは、負けると天皇制を廃止されてしまう、天皇が処刑されてしまうことを恐れているため。日本を戦後統治する上でも、戦争を早く終わらせるためにも、天皇を使った方が効果的だ。天皇制は残すということを事前に日本側に知らせた方がよい、という考えだった。

もう一つは、「原爆開発に成功した。いつまでも抵抗するならこれを使わざるを得なくなる」と日本に警告し、必要なら原爆の威力を知らせるための公開テストをするというものだった。

さらに、日本が中立国だったソ連を通じ、連合国に和平を申し入れようとしていたことを米国は暗号を解読してつかんでいるのだから、「和平を頼んでいるソ連は実は敵だ」ということを日本に教えてやった方がよい、という考えだった。日本は知らなかったが、ソ連は欧州戦線でドイツを破ったら日本との戦いに参戦する、とスターリンが当時既に、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相に約束済みだったからである。実際に、1945年の5月には欧州の戦争が終わり、ソ連は約束通り、日本との戦いに参戦する準備を進めていた。

この3つを日本に教えれば、無駄な抵抗をやめて降伏するだろう。それでも降伏しないなら最後の手段として原爆の使用もやむを得ない。スティムソン陸軍長官らは、こうした考えを文書にして繰り返し進言している。ところがこれら賢い人々の政策は、トルーマン大統領とバーンズ(大統領特別代表から国務長官に就任)の2人によって、検討されることもなく退けられてしまう。

トルーマン大統領は、1945年4月ルーズベルト大統領の死去によって直ちに副大統領から大統領に就任した。副大統領に就任したこと自体が、民主党内のリベラル派、保守派の有力候補が相打ちの形になったために、転がり込んできたようなものだ。それまでは中堅の上院議員にすぎず、外交経験もほとんどない。一方、バーンズは、相打ちの形、実際にはルーズベルト大統領に切られる形で副大統領候補になれなかった人物で、民主党保守派の実力者である。経済安定局長や戦時動員局長といった政府の要職を務め、米英ソの3国首脳が戦後体制について話し合ったヤルタ会談(1945年2月)にもルーズベルト大統領に同行し、会談の中身をよく知っている。

ルーズベルト大統領死去により、トルーマン大統領が誕生したとき、バーンズは政府の要職を辞したばかりだった。郷里のサウスカロライナに帰っていたが、トルーマン大統領に急きょワシントンに呼び戻され、以後、トルーマン、バーンズのコンビによって重要な事柄がすべて決められてしまう図式が出来上がってしまう。

4期12年余りの大統領職の間にルーズベルトの周囲には、リベラルな考え方をする人々からなる政策チームができていた。原爆投下の前にやるべきことはある、と考えたスティムソン陸軍長官などがこの政策チームを構成していたが、バーンズはこれらルーズベルト政策チームの人々をトルーマン大統領に寄せ付けず、大統領と2人で権力を握ってしまう。

愚かなリーダーによって、米国の賢い人々の進言は全く日の目を見ることはなかった。「原爆を使用する前にやるべきことはある」という意見に彼らが見向きもしなかった理由は何か。現実の国内、国際政治ではよくあることだろうが、目先の利益に走ったからだ。

(続く)

金子敦郎 氏
(かねこ あつお)
金子敦郎 氏
(かねこ あつお)

金子敦郎(かねこ あつお)氏のプロフィール
1935年東京まれ、58年東京大学文学部西洋史学科卒業、共同通信社入社、社会部、サイゴン支局長、ワシントン支局長、国際局長、常務理事などを経て、97年大阪国際大学教授、2000年同大学国際関係研究所所長、01年同大学学長、06年名誉教授。現在、カンボジア教育支援基金(共同)代表理事も。共同通信ワシントン支局長時代の1985年、支局員とともに現地の科学者、ジャーナリストの協力を得て米国立公文書館などから約200点もの米政府内部資料や関係者の日記などを入手、多くの生ニュースと連載記事「原爆-四〇年目の検証」を出稿した。それが今回の書のベースの一つとなっている。著書に「壮大な空虚」(共同通信社、1983年)、「国際報道最前線」(リベルタ出版、1997年)など。

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