「原子力ルネッサンス-ウランのリサイクルに再び脚光」
長い間、冷たい風にさらされ続けてきた原子力に対する見方が、大きく変わろうとしている。米国が長年の原子力政策を転換し、ウランをリサイクルする方向にかじを切ったのをはじめ、脱原子力政策を掲げるドイツに政策見直しの可能性が指摘されるなど、欧州の原子力にも追い風現象が見られる。
日本でも、「もんじゅ」の事故などで頓挫したかに見えた核燃料サイクル技術開発が、昨年スタートした「第3期科学技術基本計画」で、国家基幹技術に据えられた。
なぜ、原子力に対する見方が内外で急に変化しつつあるのか。日本原子力研究開発機構・次世代原子力システム研究開発部門長の向 和夫氏に聞いた。
—では日本の現状はいかがでしょう。「もんじゅ」(注)のナトリウム漏れ事故、東海村の民間ウラン加工工場で起きた臨界事故の後、苦闘の時代が続いているように見えますが。
995年の「もんじゅ」事故の後、原子力委員会の中に「原子力政策円卓会議」ができました。福島、新潟、福井の3県の知事が提言したのがきっかけで、国民的な議論をしようということになったのです。
この円卓会議の特徴は、原子力に反対の人たちも議論に加わったことです。原子力資料情報室代表の高木仁三郎氏、吉岡斉・九州大学教授といった方たちです。円卓会議の中に「高速増殖炉(FBR)懇談会」が設けられ、核燃料サイクルも含めFBRの必要性も検討されました。
その結果が、2000年の原子力委員会「原子力長期計画」に反映され、FBRの開発が必要だということが、2005年に閣議決定された「原子力政策大綱」に明記されました。もんじゅ事故のおかげで、初めて原子力、FBRが国民レベルで議論されたわけです。
—今後、高速増殖炉(FBR)開発はどのように進められるのでしょう。
原子力政策大綱では、2050年ごろ本格導入となっています。しかし、昨年、経済産業省が公表した「原子力立国計画」では、5年前倒しで「2045年に」となりました。次の原子力政策大綱見直しでは、「2045年本格導入」が入るでしょう。
そうなると原型炉「もんじゅ」の次の実証炉をいつつくるか、が問題になりますね。
また、最近米国とインドの関係が変化してきています。日本も、インドとの協力の在り方を真剣に考える時期かも知れませんね。
われわれは2030~2035年と想定していたのですが、自民党が昨年公表した基本計画では、2025年に実証炉の運転を開始するとなっています。10年前倒しということです。
現在のロードマップでは、2030~2050年の間は、古くなった軽水炉を新しい軽水炉に置き換え、2050年からは新たな軽水炉はつくらずFBRに置き換えていきます。しばらく軽水炉とFBRが共存する時期が続くのですが、軽水炉の寿命を60年と仮定すると、2120年くらいからは、すべてFBRになります。
この時点になると、FBRの運転と使用済み燃料のリサイクルを順ぐりにやっていけば、新たなウランはいらなくなるのです。その先、2,000年ぐらいは、ウランなしで済むということですから、FBRと核燃料サイクルは、準国産のエネルギーになるということです。
—高速増殖炉サイクル技術は、第3期科学技術基本計画で国家基幹技術と位置づけられましたが。
今の再処理技術というのは、プルトニウムを純粋に取り出すという軍事から来ている技術です。将来の再処理技術は、それでは駄目なのです。
ネプツニウム、キュリウム、アメリシウムといった高レベル放射性廃棄物として処分してきた放射性物質、マイナーアクチニドもプルトニウムと一緒に回収し、燃料として燃やしてしまうことにしています。
このシステムにより核拡散抵抗性を高めるとともに廃棄物も減らすことができます。これらは放射能レベルが高いですから、遠隔操作ですべてやらなければならず、工学レベルに持って行くにはまだまだ課題はあるのです。
2010年までに、使える技術、既存の技術が使えないなら代わりの技術について見極め、2015年ごろにFBRサイクル全体の技術体系を提示しなければなりません。ここまでは日本原子力研究開発機構が責任をもって進め、電気事業者が進める予定の実証炉の建設につなげていくことになります。
このような炉の開発と並行して、核燃料サイクルの技術も、2015年までに工業化の見通しをつけようと考えています。
FBRサイクルの実用化は、将来にわたって安定した基幹電源を確保するために必要な技術開発で、国家基幹技術として位置付けられました。しかし、非常に長い期間と多額の資金を必要とするもので、国民の皆様のご理解とご支援が不可欠です。そのための活動も精力的に進めていきたいと思っています。
注) もんじゅ
原子力百科事典ATOMICAから
福井県敦賀に設置されている高速増殖炉の原型炉。動力炉・核燃料開発事業団(現、日本原子力研究開発機構)が開発した。電気出力約28万キロワット。増殖率約1.2。1968年から設計・建設計画に着手、91年完成、95年8月に初送電を行った。95年12月、2次冷却系ナトリウムの漏えい事故が発生した。98年安全総点検報告書がまとめられ、運転再開については段階を踏んで進めていくことになった。
(完)
向 和夫(むかい かずお)氏のプロフィール
1947年9月広島県生まれ。73年大阪大学工学研究科修了、動力炉・核燃料開発事業団(現・日本原子力研究開発機構)入社。高速増殖炉研究開発および高速増殖原型炉「もんじゅ」建設に従事。94年10月パリ事務所長。96年2月もんじゅ建設所次長、98年10月敦賀本部技術企画部長、2003年10月もんじゅ建設所長代理、2005年10月より現職。