インタビュー

第3回「中国、インドも急激な原子力志向」(向 和夫 氏 / 日本原子力研究開発機構・次世代原子力システム研究開発部門長)

2007.02.20

向 和夫 氏 / 日本原子力研究開発機構・次世代原子力システム研究開発部門長

「原子力ルネッサンス-ウランのリサイクルに再び脚光」

向和夫 氏
向和夫 氏

長い間、冷たい風にさらされ続けてきた原子力に対する見方が、大きく変わろうとしている。米国が長年の原子力政策を転換し、ウランをリサイクルする方向にかじを切ったのをはじめ、脱原子力政策を掲げるドイツに政策見直しの可能性が指摘されるなど、欧州の原子力にも追い風現象が見られる。

日本でも、「もんじゅ」の事故などで頓挫したかに見えた核燃料サイクル技術開発が、昨年スタートした「第3期科学技術基本計画」で、国家基幹技術に据えられた。

なぜ、原子力に対する見方が内外で急に変化しつつあるのか。日本原子力研究開発機構・次世代原子力システム研究開発部門長の向和夫氏に聞いた。

—エネルギー問題は、地球環境と同様、中国、インド両国を抜きには議論できませんね。

両国とも経済成長が著しく、エネルギーをどうして確保するかが、大問題なのです。特に原子力を大規模に導入しようとしているのが、共通しています。

中国は、2050年に200ギガワットの高速増殖炉を導入するという計画をぶち上げています。日本の総電力設備容量が230ギガワットですから、実にそれに匹敵するようなエネルギーを高速増殖炉(FBR)でまかなおうとしているわけです。ちなみに2050年には中国の電力規模は2,000ギガワットといわれています。総電力の1割をFBRで、というわけです。

中国は今、北京のすぐそば40キロほどのところにFBR実験炉を建設中で、ほとんど出来上がっています。規模は小さいのですが、ロシアの技術を導入し、フランスの支援を受けています。研究開発の基盤がないのに、どんどんつくってしまうのは、われわれにしてみれば心配なくらいです。

中国がFBRの導入を急ぐのは理由があります。エネルギー需要の伸びに対応するため、今しゃにむに軽水炉を建設していますが、すぐにウランがひっ迫するのは目に見えています。中国はウラン資源を持っていませんから。

早いうちにFBRを入れないといけないし、プルトニウムも持っていないので、FBRの増殖比(注1)も高めないと間に合わないのです。増殖比を上げるために、「もんじゅ」のような混合酸化物(MOX)燃料から、金属燃料に切り替える構想をぶちあげています。しかしMOX燃料に比べて開発要素が多いですから、課題は多いと言えます。

中国はFBRの導入を急いでおり、かつFBRの増殖比を高めることを目指していますが、日本の場合は中国と違って、プルトニウムのたくわえがあります。使用済み燃料がたまっていますから、それを再処理すればよいのです。そのプルトニウムを使いFBRを運転しながら、さらにプルトニウムをつくっていけばよいわけです。増殖比を中国ほど高めなくてもよいのです。

—インドもまたいろいろな面で注目されますね。

インドも中国同様、軽水炉建設を進めており、さらにFBRにも相当力を入れています。核拡散防止条約(NPT)に入っていないので、米国が提案したGNEP(注2)の6カ国にも入っていません。

このように、インドは、NPT非加盟ということで国際協力の枠組みからはずれていたので、独自にFBRの研究をやってきました。実験炉は運転しており、原型炉を4年後の運転開始を目指して建設中です。日本が「もんじゅ」の運転再開でぐずぐずしていると、インドが先に原型炉を運転するかもしれません。

また、最近米国とインドの関係が変化してきています。日本も、インドとの協力の在り方を真剣に考える時期かも知れませんね。

注1) 増殖比(増殖率)
原子炉のなかでは、核分裂性物質の生成と消費とが行われている。しかし、核分裂性物質の正味の生成量は、核分裂性物質の実際の生成量から消費された量を差し引いた値である。原子炉のなかで新しく生成された正味の核分裂性物質の量と、消費する核分裂性物質の量との比(原子力百科事典ATOMICAから)

注2) GNEP(グローバル・ニュークリア・エネルギー・パートナーシップ)
米、英、フランス、ロシア、中国の核保有国5カ国と、平和利用実績がある日本に核燃料リサイクルの権利と、その他の国への核燃料供給の責任を負わせる構想

(続く)

向和夫 氏
(むかい かずお)
向和夫 氏
(むかい かずお)

向和夫(むかい かずお)氏のプロフィール
1947年9月広島県生まれ。73年大阪大学工学研究科修了、動力炉・核燃料開発事業団(現・日本原子力研究開発機構)入社。高速増殖炉研究開発および高速増殖原型炉「もんじゅ」建設に従事。94年10月パリ事務所長。96年2月もんじゅ建設所次長、98年10月敦賀本部技術企画部長、2003年10月もんじゅ建設所長代理、2005年10月より現職。

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