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コロナ禍を経て【前編】ウイルスとの戦いでなく「生き物の中で生きる」新しい生き方をー中村桂子・JT生命誌研究館名誉館長

2021.07.13

内城喜貴 / サイエンスポータル編集部、共同通信社客員論説委員

6月17日、日本記者クラブで行われた記者会見からー

中村桂子氏(日本記者クラブ提供)
中村桂子氏(日本記者クラブ提供)

 21世紀になって、今、新型コロナウイルスのパンデミックが起きています。これだけ科学が進んでいるのでもう少し上手に対応できるのかなと考えていたのですが、現実に起きてみると本当に大変で、いろいろ問題があると感じています。

 今までも感染症でパンデミックがありましたが、まずは集団免疫の獲得で収束してきました。日本もワクチンを打つことでできるだけ早く集団免疫を獲得して収まってほしいと思っています。ウイルスは相手(宿主)がいないと生きていけません。うまく生き延びるために弱毒化する、人間に(免疫ができて)“耐性”ができて終わるということもあります。

 今までウイルスを研究してきた方が、(新型コロナウイルスは)非常に扱いにくい、分かりにくいウイルスだと言っています。これからも研究が必要なのだと思います。皆さんよく「ウイルスとの戦いに勝つ」とおっしゃるのですが、ウイルスは私たち人間よりよりはるか以前から存在し、ウイルスがたくさんいる状況で生態系は成り立っているのです。

 生命科学が進展していますので、21世紀にはパンデミックが起きても対応できると思っていましたが、甘かったと思います。ワクチン開発は10年かかかると言われてきたのですが、(欧米では)新しい技術で非常に早くワクチンが開発されました。こういうところは生命科学の21世紀だと思います。一方で日本がワクチン開発で活躍ができなかったのは問題があると感じています。

新型コロナウイルス(従来株)の電子顕微鏡撮影画像。現在は世界中でさまざまなウイルス変異株が広がり、ワクチン接種が進んでもパンデミックがなかなか収束しない大きな要因になっている(NIAID提供)
新型コロナウイルス(従来株)の電子顕微鏡撮影画像。現在は世界中でさまざまなウイルス変異株が広がり、ワクチン接種が進んでもパンデミックがなかなか収束しない大きな要因になっている(NIAID提供)

DNA研究から「生命とは何か」が問えるように

 生命科学を長い間勉強してきた者として、皆さんに知っていただきたいことがあります。生命科学という言葉はそれほど古くからあるものではなく、1970年に生まれました。私の先生が生命科学研究所を作られた時にできた言葉です。それまで生物学は動物学、植物学などに分かれていましたが、DNA研究ができるようになってからは「生命とは何か」が問えるようになりました。それまで人間を生き物として生物学の研究室で研究することはありませんでした。人間の研究は人類学でした。しかし、DNAを使えば人間のことを生き物として研究できる―それが生命科学です。

 生命科学にはもう一つ、1970年代は経済成長の中で公害、環境問題が出てきたので、生命を基本とする社会を作るために生物学者は貢献しなければいけないという役割もありました。その同じ年に、アメリカが「Life science」 という言葉を作りました。アメリカは60年代にアポロ計画を進めましたが、ケネディ大統領が暗殺されて、ニクソン大統領に代わった時に、アポロ計画の次のプロジェクトとして「癌(がん)との戦い」を始めました。そのために生物学と医学を合体させて研究しなければいけないということになって、生物学と医学を合わせた「Bio medicine」 という分野を 「Life science」と名付けたのです。これを訳すと生命科学ですが、アメリカと日本ではその内容は違いました。

 アメリカはライフサイエンスを進めるのと同時に生命倫理を作り、医学の科学技術化を進めました。一方日本の生命科学は、いのちを基本に置く社会を大事にしようとしました。現在日本の中で生命科学と呼ばれている研究は、ほとんどアメリカ型です。日本型の研究を意識している研究者はほとんどいません。私はアメリカ型のLife science を必要ないというつもりはありませんが、やはり日本人が考えた生命科学を大事にしたいと思っています。

 私たちが考えた(日本型の)生命科学について話します。今の社会は「金融資本主義、科学技術―人間」だと思います。人間がお金を動かして、科学技術で社会を便利にする―でも、今のコロナ禍で分かるように、人間も自然の中にいる生き物であることは明らかです。この「金融資本主義、科学技術―人間」を進めていけば、幸せになるかと思ったけれど、この行為が自然を壊しています。今の環境問題や異常気象は「大きな自然と内なる自然(人間自身)」の破壊です。

 人間は自然なので、「金融資本主義、科学技術―人間」だけで進めていくと、人間の体や心を壊します。これが今起きています。2011年の大地震の時は科学技術―原発事故がありましたからその破壊がより大きくなって、未だに解決していません。新型コロナでも「内なる自然」(身体、心)が壊れています。このように社会を考えていくことが大事であると思っています。

今の社会は「金融資本主義、科学技術―人間」の構造で、それが生命(ヒト)や自然などを壊すことにつながっていると中村桂子氏は説く(中村桂子氏提供)
今の社会は「金融資本主義、科学技術―人間」の構造で、それが生命(ヒト)や自然などを壊すことにつながっていると中村桂子氏は説く(中村桂子氏提供)

38億年続く生命誌の中で考える

 今はやはり「機械論」です。17世紀にガリレイが「自然は数字で書かれている」、ベーコンは「自然は人間が支配するものだ」、デカルトは「人間も含めて生き物は機械として考えられる」としました。そして、ニュートンは「どんどん小さい世界へ入り分析していけばいい」と言いました。それらが機械論の元でした。

 この人たちがいなければ今の科学は進んでいませんので、私は尊敬していますが、この時の機械論だけで21世紀を考えていっていいのかという問いはしなければなりません。人間は生き物であって自然の一部だということをもう一度考える―このコロナ禍を機会にそのことを社会全体で考えていただきたいと思っています。

 ここで私が始めたのが「生命誌」です。生命科学の機械論的世界観が気になり、DNAや細胞に着目しながら、生命論的世界観をもつものです。その基本を示すのが、生命誌絵巻です。

38億年続く生命の歴史を表した「生命誌絵巻」(原案:中村桂子氏/協力:団まりな氏/絵:橋本律子氏)(中村桂子氏/JT生命誌研究館提供)
38億年続く生命の歴史を表した「生命誌絵巻」(原案:中村桂子氏/協力:団まりな氏/絵:橋本律子氏)(中村桂子氏/JT生命誌研究館提供)
「生命誌絵巻」(左)を説明する中村桂子氏(中村桂子氏/日本記者クラブ提供)
「生命誌絵巻」(左)を説明する中村桂子氏(中村桂子氏/日本記者クラブ提供)

 生き物は多様です。名前が付いているのは180万ぐらいですが、おそらく数千万もの生き物たちが熱帯林などにたくさんいます。そういう多様性を知った上で生き物の世界を考える―私たちが今やるべきことはそれだと思います。

 一方、生き物は全部細胞でできていて、その細胞にDNAが入っています。現代生物学では祖先は1つ、1種類の「祖先細胞」から全ての生きものが出てきました。この共通性を踏まえた全体像を調べることは、科学にとってとても大事です。

「中から目線」が本当のホモ・サピエンス

 キノコも、ひまわりも、人間も、イルカも、全ては38億年の生命の歴史がないと存在しません。例えばアリを潰すとします。それは祖先(祖先細胞)から38億年かけてやっと生まれてきたアリを潰すことになります。命を考える時はそういった「位置感」を意識したいです。ただ、何でも潰してはいけないのか、殺してはいけないのかというと、私たちは生きていくために殺しながら生きています。この「複雑さ」を考えることが生き物の世界を考えることだと思っています。

 昔は、バクテリア(細菌)がいて、虫がいて、人間が一番上と考えたのですが、あらゆる生き物が38億年の時間を抱えています。我々は、生き物は多様性が大事とは言いますが、上から目線で見ていないでしょうか。私は(生き物)の中にいるという「中から目線」で、人間は人間らしく生きていく。そういう目線が本当のホモ・サピエンスだろうと思っています。

 生きものの世界を考えていくと「私たち」という言葉が生まれます。「私たち生き物」という意識を自分の中に持つ、「私というのは私たち生き物の中の私なのだ」。そういう生き物の広がりの中に自分を置くことができる。ウイルスもいる。私たち(人間は)は生き物の世界で生きる。そういうことだと思っています。

中村氏は「私たち生き物」という意識を自分の中に持つことの大切さを強調した(中村桂子氏提供)
中村氏は「私たち生き物」という意識を自分の中に持つことの大切さを強調した(中村桂子氏提供)

体にはバクテリアもウイルスも

 東日本大震災の時も、今回のコロナ禍もですが、思いがけない問題が起きた時に学び取らなければいけないことは、このように自然とのつながりの中で考えることではないかと思っています。

 私たちの体の中には微生物が山ほどいます。最近は腸内細菌が有名ですが、体中に微生物がいます。昔はばい菌と言って、排除しなければならないものでした。今はそういうものがいないと「私」ではなくなります。「私」と言う時の私は、これらの「生き物込み」なのです。

 バクテリアたちが一緒にいて私たちを支えているということは分かっていたのですが、最近、ウイルスも常に体の中にいることが分かってきました。バクテリアは体内に何兆個もいます。ところがウイルスは380兆個もいるとあり驚きました。

 びっくりする数のバクテリアやウイルスが中にいて、それが私です。両親からもらったDNAを持っている、これが私だとずっと思ってきましたが、実はバクテリアやウイルスも一緒にいて、これらもDNAを持っていますから、そういうDNAもあっての私。私たちが親からもらったDNAの量よりも微生物やウイルスたちのDNA量の方が多いわけです。これが私なのです。生き物の世界で生きることはそういうことなのだという感覚。その感覚がコロナウイルス後の生き方にとって重要だと思います。

中村桂子

1936年生まれ、東京都出身。59年東京大学理学部化学科卒、64年同大学大学院生物化学修了。国立予防衛生研究所研究員、三菱化成生命科学研究所人間自然研究部長などを経て、89年早稲田大学人間科学部教授。95年東京大学先端科学技術研究センター客員教授、96年大阪大学連携大学院教授。2002年JT生命誌研究館館長、20年同館名誉館長。著書は1975年の「生命科学」(講談社刊)から2017年の「いのち愛づる生命誌(バイオヒストリー)」38億年から学ぶ新しい知の探求」(藤原書店)まで多数。

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