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生物の発生過程に学ぶバイオミメティクス(木村賢一 氏 / 北海道教育大学 札幌校生物研究室 教授)

2013.10.10

木村賢一 氏 / 北海道教育大学 札幌校生物研究室 教授

バイオミメティクス・市民セミナー「発生遺伝学とバイオミメティクス」(2013年8月3日、主催:北海道大学総合博物館、協賛:高分子学会バイオミメティクス研究会、高分子学会北海道支部)から

北海道教育大学 札幌校生物研究室 教授 木村賢一 氏
木村賢一 氏

 昆虫や甲殻類などの節足動物の表皮は「クチクラ」(cuticula:ラテン語)という硬い層に覆われている。クチクラは、英語だと「キューティクル」、日本語で「角皮(かくひ)」と呼ぶ。「バイオミメティクス(生物規範工学)に利用できないか」と、その形成過程に注目して、2年ほど前から昆虫を使ってさまざまな実験をしている。

 透過型電子顕微鏡(TEM)と走査型電子顕微鏡 (SEM)で昆虫のクチクラの構造を見ると、最表面に「エンベロップ」(ワックス、脂質、タンパク質が含まれている)という層がある。その下に複数のクチクラ層があり、深部の真皮細胞(表皮細胞)がタンパク質やキチンなどを分泌し、それらが科学的に結合して、硬いクチクラになる。クチクラは次のような機能を持つ。

  • 外骨格性:外殻(クチクラ)に筋肉がついていて、その筋肉の収縮によって、いろいろな動きができる。
  • 撥水性と水分保持:昆虫は体の重量に比べて表面積が大きく、乾燥した環境では水分を失いやすい。逆に砂漠で効率よく水分を集めるために、濡れ性の機能を持つ場合がある。
  • 色彩や模様:擬態(ぎたい)で敵から身を守る。種や異性を識別する。体温調節のため、気温が高いときには白っぽく、低いときには黒っぽくなる昆虫もいる。
  • ケミカルコミュニケーション:体表から分泌する成分が、フェロモンの作用を持つことがある。
  • 外部感覚器:クチクラの剛毛は、音や振動、味、匂いのセンサーとして働く。
  • 異物侵入防止、抗菌機能:死ぬとたちまちカビが生えてくる。

 クチクラの形成は「卵の中で幼虫になり孵化するまで」と「成長とともに脱皮してサナギを経て成虫になるまで」の、2つの時期に行われる。幼虫のときの古いクチクラは、脱皮が進むと表皮細胞と分離し、新しいクチクラの形成と共に溶解する。この現象を「アポリシス(apolysis)」という。

 バイオミメティクスでは、生き物のフレキシブルな構造や機能を基に、省エネ・省資源の技術と材料の開発に取り組んでいる。しかし、より環境負荷の少ない生産をするには、生き物が実際にそれらを作っている過程、つまり「発生の段階で何が起こっているか」を知ることが、重要になってきた。

 紀元前4世紀、すでにアリストテレスは多くの生き物の発生過程を観察して、詳細な記述と図を『動物誌』に残している。このような「記載発生学」から、19世紀になって、系統間の進化の過程を比較する「比較発生学」が確立した。さらに、生き物に微小手術(切断、移殖、結さつ)を施したり、あるいは何か物質を投与したときに生物が見せる反応から、生体内で起こっている仕組みを研究する「実験発生学」を経て、20世紀初めに、「発生遺伝学」が生まれた。遺伝子の操作や突然変異というミクロレベルの手法で、発生の仕組みを解明するものだ。20世紀に「遺伝子の正体はDNAである」と明らかになり、分子遺伝学、分子生物学の発展が「発生遺伝学」の伸展を促した。

 遺伝子と発生のメカニズムを研究する上で、適しているのがショウジョウバエ(主にキイロショウジョウバエを指す)だ。卵から10日ほどで成虫になる(うちサナギから成虫まで約4日)。遺伝子操作が容易だ。大きさは約2ミリメートルで飼育しやすい。熟した果実や樹液、アルコール発酵する天然酵母をエサにするので、ワインの空きビンにも寄って来る。私は理学部の修士時代からショウジョウバエを実験に使ってきたが、いまは発生遺伝学的手法のモデル生物として、「フットパッド(footpad:肢の付着盤)」や「複眼レンズのニップル(nipple:微小突起)」の研究に取り組んでいる。

発生遺伝学的手法〜突然変異からのアプローチ

 生物の遺伝情報を担うデオキシリボ核酸(DNA)は、「タンパク質を合成するための設計図」と「遺伝子をいつ、どこで、どのように働かせるかを書いたレシピ」という、2つの大きな働きを持つ。設計図自身に突然変異が生ずれば、タンパク質を組成するアミノ酸が変化し、タンパク質の機能も変わる。例えばショウジョウバエの眼は赤褐色をしているが、それらの色素を合成するための酵素(タンパク質からできている)が機能しなくなると、眼の色が変わってしまう。

 遺伝子をいつ、どこで、どのように働かせるかも、遺伝子からつくられるタンパク質が調節している。その遺伝子が突然変異により変化したり、一部の細胞のみに遺伝子を「強制発現」させたり、本来の場所以外で遺伝子を発現させる「異所性発現」を行ったりすると、例えば翅(はね)や肢の数が増えたり、頭の触角から肢が生えたり、体のあちこちに眼ができてしまうような、発生する上での大きな変化が生ずる。

 このようにして人為的に突然変異を起こし、異常を起こした変異体と正常な発生とを比べることで、遺伝子の作用や発生のしくみを明らかにできる。これが発生遺伝学的手法である。

ショウジョウバエのフットパッドの形成と変異

 つるつるのガラスの表面を上ることのできる生き物を調べると、脚の先端に共通した細かい毛状の構造がある。ヤモリのような大型の生き物は、それらの細かい毛と接着面との分子間力や摩擦力を使ってガラス壁にくっつく。2012年、日東電工がヤモリの機能に限りなく近い接着テープを実用化した。小型の昆虫は、細かい毛と接着面との間に何らかの物質があって、毛細管力や粘性を使って接着できる。

 昆虫の6本の肢の各先端部は「?節(ふせつ)」とよばれ、ショウジョウバエでは5つに分かれている。さらにその先端には「前?節」があり、走査型電子顕微鏡で拡大すると、鍵状の爪と「パルビラス」(pulvillus:爪間盤)と呼ぶ細かな多毛が密集している。パルビラスの毛先は少し広がった「へら」のような形をしている。それが「フットパッド」だ。?節の先端部のフットパッドが欠けた突然変異体は、ガラス瓶に入れると肢が滑って上れない。フットパッドなしでは、つるつるのガラス面を歩けないのである。

 肢は、サナギから成虫に変態する過程でできる。肢の「原基(*)」となる細胞の塊が伸びて、先端部になっていく。上から見ると円盤状、横からだと蛇腹のような形をしている。実は、特定の細胞だけを標識にすることで、従来は見えなかった遺伝子の発現やタンパク質の局在も観察できるようになった。肢の先端部で発現する遺伝子に緑色蛍光タンパク質(GFP)で標識を付け、サナギからの成長の様子を観察した。

 * 原基:将来、特定の器官になることが決まっているが、形態的・機能的には未分化の部分

 最初は袋状だった細胞の塊が、サナギになって1日くらいで、爪になりそうな部分が少し伸びてきて、でこぼこした細胞が見える。その後1日の間に、「袋の中の毛を作る細胞は、内部に後退しながらも細かい毛ができて、先端部分も伸びていく」という不思議な動きをする。今後、どのような遺伝子が働き、この毛がつくられるか調べていきたい。

ショウジョウバエの複眼レンズのニップル>

 低反射で効率的に集光するニップル構造の効果は、モスアイ(ガの眼)が良く知られている。撥水して、汚れがつかない働きもあると言われている。三菱レイヨンは、人工的に微小な突起構造を作った「モスアイ型無反射フィルム」を製品化している。反射がほとんどなくなり、ディスプレイが見やすい。

 ショウジョウバエは、800個の個眼が集まり1つの複眼を作っている。個眼の表面を拡大すると、粒々のニップル構造あり、その下に光を受ける細胞や色素細胞などがたくさん集まっている。サナギになって48時間ごろから、眼の「原基」から角膜やレンズができる。レンズの形成は、成分となる「キチン」「クチクラタンパク質」「クリスタリン(crystallin:動物の水晶体に存在するタンパク質)」の分泌によるものと考えられる。そのためには、さまざまな酵素の合成、ホルモンの調節、細胞骨格(*)が働いて、細胞分化がきちんと行われる必要がある。

 * 細胞骨格:タンパク質からなる細胞内の線維状構造。細胞の形を保ち、細胞内の物質の輸送などにも関与

 複眼に光沢異常を起こした突然変異体や、クチクラ合成遺伝子の突然変異を調べることにより、どのようにニップルが形成されるのか、その仕組みを明らかにしていきたい。

(サイエンスレポーター 成田優美)

北海道教育大学 札幌校生物研究室 教授 木村賢一 氏
木村賢一 氏
(きむら けんいち)

木村 賢一(きむら けんいち)氏のプロフィール
愛知県立時習館高校卒。1987年北海道大学大学院理学研究科動物学専攻博士課程修了、米国ワシントン大学博士研究員を経て、89年北海道教育大学教育学部講師、90年同助教授、2003年から現職。理学博士。専門は発生と行動遺伝学。著書は『ショウジョウバエ「研究者が教える動物飼育 第2巻 -昆虫とクモの仲間」』(共著、共立出版)、『次世代バイオミメティクス研究の最前線?生物多様性に学ぶ』(共著、シーエムシー出版)など。2006年3月米国遺伝学会(Genetics Society of America) “Drosophila Image Award”受賞。

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