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長年のドグマ破る –不確定性原理の破れ証明した実験成果(長谷川祐司 氏 / ウィーン工科大学 准教授)

2012.03.28

長谷川祐司 氏 / ウィーン工科大学 准教授

サイエンスカフェ(2012年3月19日、科学技術振興機構 主催)講演、対話から

ウィーン工科大学 准教授 長谷川祐司 氏
長谷川祐司 氏

 ドイツのノーベル物理学賞受賞者ハイゼンベルクによって1927年に提唱された不確定性原理は、量子力学の根本原理としてずっと正しいと信じられてきた。量子力学を学ぶ学生は、1回目ないし2回目の授業で、「この原理は正しいから信じろ」と教えられる。この原理は証明されていなかったにもかかわらずだ。

 非常に小さな量を扱う量子力学が成り立つ世界では、電子の位置と運動量(質量×速度)を同時に正確に測ることはできない。位置を正確には測ろうとすると速度が変化してしまうから、というのが不確定性原理だ。

 小澤正直・名古屋大学教授は2003年に、不確定性原理を説明したハイゼンベルクの不等式は間違っていることを示す「小澤の不等式」と現在呼ばれている新たな式を発表した。位置と速度の誤差は一方をゼロに近づけるほど他方が大きくなってしまうので、位置と運動量を同時に正確に測ることはできない、というのがハイゼンベルクの式だ。これに対し、小澤の不等式は、「位置の測定誤差と運動量の擾(じょう)乱の積」だけでなく、測定前の位置の広がり(標準偏差)と運動量の広がり(標準偏差)を合わせた数値が、マックスプランク定数で決まるある下限値より大きいとしている。この結果、ハイゼンベルクの式になかった位置や運動量の標準偏差を大きくしてやれば、位置の測定誤差と、運動量の擾(じょう)乱を両方ともゼロにする、つまりどちらも正確に測定することが可能になる、ということを予言したものだ。

 われわれの研究が示したのは、ハイゼンベルクがちょっとした思いつきで唱えたことが間違いで、小澤説の方が正しいことを実験で確かめたことだ。実験は、ウィーン工科大学にある出力250キロワットという小さな原子炉から出る中性子を使った。まず中性子のスピン(小さな磁石)を一定の方向(Z方向)にそろえた上で、最初の測定器でX方向のスピン、2個目の測定器でY方向のスピンを連続測定する。実験のパラメーター(媒介変数)を変えることで得られた1個目の測定による測定誤差と、この測定による2個目の測定の擾乱には、トレードオフの関係があることが分かった。一方が大きくなると他方が小さくなるという関係だ。このこと自体は、不確定性原理に矛盾しない。しかし、前段の測定誤差と後段の測定の擾乱の積は、ハイゼンベルクが示した下限値より小さく、ハイゼンベルクの不等式が実際の計測に合わないことを示していた。他方、小澤の不等式が常に成り立つことも確認できた。

 今回の成果は、基礎物理学の世界に新しい原理を与え、基礎科学の新たな発展に寄与できると考えている。アインシュタインが唱え、しかし不確定性原理の制約から検出できないともいわれている重力場の測定も可能になると思われる。ナノサイエンスの分野では新しい計測方法の開発、量子暗号の開発によるネット世界のセキュリティ向上、量子コンピュータ開発などへの応用も期待できる。

-電子デバイスは、電子を粒ではなく波として扱わなければならないサイズにまで微細化が進み限界に近づいている。また、不確定性関係はエネルギーと時間の関係にも成り立ち、レーザのパルス幅を短くするとスペクトルが広がるという問題がある。今回の成果によって、このような限界を突破できるとお考えか。
解決できる可能性があると考えているが、今回の実験は中性子のスピンを使って実証したこの分野の研究の第一歩である。電子の位置と運動量の関係や、エネルギーと時間の関係については、これからさらなる研究が行われていくだろう。

-なぜ、長い間、ハイゼンベルクの式が正しいと信じられてきたのか?
ハイゼンベルクは、マックスプランク、シュレジンガー、ボーアなどともに量子力学の分野を切り開いた人物とされている。ノーベル物理学賞受賞者でもあるハイゼンベルクの言ったことに、物理学者たちはだれも疑いを挟まなかったのだろう。小澤正直教授はハイゼンベルクを特段、恐れることもなく、数学的基盤に立った取り扱いを行ったため、間違いを見つけることができたのではないか。

-2003年に小澤教授が新しい式を発表してからこれまで実験で証明できなかった理由は?
位置を直接精密に測定することが難しく、われわれもいったんはあきらめかけた。しかし、ほかの物理量で実験できないか考えるうちにスピンを思いついた。スピンだとプランク定数も、デルタ(変動)量も測れる、と。

-長い間正しいと信じられてきたことを覆すような論文は往々にして、権威ある学術誌にすんなり掲載してもらえないという話も聞く。今回はそうした抵抗はなかったのか。
この論文も権威のある保守的な雑誌からは掲載を拒否された。長年のドグマを否定する論文を掲載する『危険性』を避けたのだろう。結局、ネーチャー・フィジックス誌に掲載されたのだが、これもすんなり受け入れられたわけではない。3人のレフリー(査読者)が、すぐに認めなかったからだ。そもそも3人は全て理論物理学者で、本来、私たちの論文を評価するには適当ではない顔ぶれだった。自信がなかったからだろうか、評価できそうな人たちのほとんどに論文を回して意見を求めたらしい。結局、彼らが掲載を認めた決め手は、ハイゼンベルクの不等式の誤りと小澤の不等式の正しさを実験で証明したことだった、と考えている。

ウィーン工科大学 准教授 長谷川祐司 氏
長谷川祐司 氏
(はせがわ ゆうじ)

長谷川祐司(はせがわ ゆうじ)氏のプロフィール
東京都世田谷区生まれ。桐蔭学園高校卒。1988年東京大学工学部卒、93年東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻博士課程修了。オーストリア大学原子核研究所助手、東京大学工学系研究科助手などを経て、2010年から現職。研究分野は量子物理学、量子光学、X線光学、中性子線光学。工学博士。今回の研究成果は、2004-08年戦略的創造研究推進事業「さきがけ」(個人型研究)研究領域「量子と情報」で採択された課題「光学実験を手段とした量子情報処理のための量子力学的物理現象の研究」によってもたらされた。

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