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技術を使う知の時代(妹尾堅一郎 氏 / 東京大学特任教授(知的資産経営、東大イノベーションマネジメントスクール校長役)、NPO法人産学連携推進機構 理事長)

2010.04.06

妹尾堅一郎 氏 / 東京大学特任教授(知的資産経営、東大イノベーションマネジメントスクール校長役)、NPO法人産学連携推進機構 理事長

シンポジウム“未来への挑戦”「低炭素社会を実現し雇用を創出するビジネスモデルとは」(2010年3月8日、科学技術振興機構 主催)基調講演から

東京大学特任教授(知的資産経営、東大イノベーションマネジメントスクール校長役)、NPO法人産学連携推進機構 理事長 妹尾堅一郎 氏
妹尾堅一郎 氏

 日本で生まれた画期的製品は多数あるが、国際市場における日本製品のシェアはあっという間に低下してしまう。DRAMメモリーの凋落(ちょうらく)ぶりは言うまでもなく、最近でも液晶パネル、DVDプレイヤーやカーナビゲーションまで、日本がその技術力を誇った製品は、国際市場が急速に拡大するにつれてそのシェアを急落させている。残念ながらこれが日本の産業競争力の実情だ。

 確かに、現在の日本の技術力は高いといえるだろう。日本の特許出願数は現在のところ世界第2位、年間38万件程度。国際経営開発研究所(IMD)の調査によると、日本の科学技術力は世界2位だが、総合力は20位である。このギャップは、「技術を使う力が最下位に近い」ことに起因する。

 知財マネジメントが「特許をとること」だけに向かってしまい、「特許をとらない」マネジメントや、取得した特許を事業競争力に効果的な使い方になっていないのだ。あるいは、国際標準化が競争力の武器になっているのにもかかわらず、日本の産業界は、何か世界が標準を決めてくれるかのように勘違いしている例が山ほどある。つまり日本の産業界は、20年前の技術力だけで国際競争に勝てる時代が既に終わったということにまるで気づいていない。科学技術を使う「知」の開発に目を向けるべきだ。つまり「知を使う知」の時代が到来していることを理解することが何より必要なのだ。

イノベーションとは「創新」により社会価値・経済価値を生むこと

 高い技術力を基盤とした事業を「成長」させたいか、それとも「発展」させたいか。「成長」とは既存モデルの量的拡大を意味する。他方、「発展」とは新規モデルへの不連続的移行を意味する概念である。すなわち、「成長」と「発展」とは全く違う。高い技術力のみに頼った日本産業の競争力が既に国際社会に太刀打ちできない現在、経済は「成長」ではなく「発展」を遂げなければならない。

 「発展」するためには改善(インプルーブメント)ではなく新規モデルを新たに作り上げる創新、すなわち「イノベーション」が求められる。既存モデルを徹底的に磨いてもイノベーションはおこらない。真空管を磨いたら半導体ができただろうか、黒電話を磨いたら携帯電話ができただろうか。

 米国の次世代技術戦略としてIBM社会長であるサミュエル・パルミサーノ氏らによって作成された「パルミサーノレポート」(米国の競争力政策提言、2004年)でも、イノベーションこそが競争力だと宣言された。つまり、「創新」、イノベーションによってモデルを変え続けることによって勝つことを提言している。パルミサーノ氏は「ビジネスではルールを変えた者、ビジネスモデルを変えた者が勝つ」とプレゼンテーションで必ず述べている。

 ソニーのプレイステーションと任天堂のWiiは非常に分かりやすい例であろう。プレイステーションはゲーム機として抜群の機能を有し、ゲーム機を最高度に磨き上げた。他方、Wiiはゲームそのものの概念を変え、ゲームは双方向、コミュニケーション、健康増進機能まで有するかのようなコンセプトを打ち出した。その結果、Wiiは世界中でプレイステーションをはるかにしのぐ台数を販売し、市場を席巻している。モデルの錬磨とモデル創新の違いが顕著な例だ。新しく圧倒的な競争力を獲得するためには自らがモデルを変える必要があるということにほかならない。

競争力モデルが変容

 エジソンのころの個人発明家によるイノベーションの時代に続き、第一次大戦から第二次大戦後の1960年ごろまでは、研究開発から生産販売、アフターケアまで自社でまかなう「フルセット垂直統合型」の大企業による単独一社による「画期的発明駆動型イノベーション」の時代であった。正に技術力が競争力そのものだった時代である。これを打ち崩したのが60年代以降、1980年代までの日本の成功モデルである。すなわち日本の多数の大企業が切磋琢磨(せっさたくま)しながら、品質とコストを同時達成する生産性向上により既存モデルを徹底的に磨き上げるモデルである。これによって「商品力」を強め、日本は世界へ日本製品を押し出す輸出貿易大国となったのである。

 しかし、高い技術力に基づく良い商品を営業で売るというシンプルなビジネスモデルはバブル崩壊後に通用しなくなった。現在の世界は、モデル錬磨からモデル創新へ、そして新たなビジネスモデルとそれを可能ならしめる(標準化を含む)知財マネジメントの開発、展開による「国際斜形分業型イノベーション」の時代となった。「国際斜形分業型イノベーション」の時代では、基盤となる技術と商品サービスシステムは大企業が開発設計し、それを新興国の企業が生産あるいは普及をするスタイルとなる。

 リーマンショック以降、日本企業は業績悪化に苦しんでいるが、例えば半導体産業の場合、米国半導体メーカーであるインテルは勝ち続けている。その理由は、知財マネジメントと標準化を駆使した製品設計と新興国を巧みに活用したビジネスモデルによるものである。例えばパソコンの場合、ハードウエアの心臓部をマイクロプロセッサ(MPU)だと位置づけたインテルは、その内部をインテグラルに設計してブラックボックス化した一方で、外側とのインターフェイスの仕様を標準規格として公開した。その結果、基幹部品が周囲の部品や完成品自体を従属させるようになったのである。しかも、このMPUを使った完成品が普及しやすいように、中間部材であるマザーボードを開発し、多様な組み立てメーカーの出現を可能にしたのである。その結果、世界中でパソコン市場が何万倍にも立ち上がり、しかもそのMPUの9割はインテル製品となる構造を形成したのである。

 このように、自社の技術力を活かし他社を巻き込むプラットホームを形成するビジネスモデルは現在の国際競争を制する他企業にも同様に見られる。これが「インサイドモデル」の恐ろしさである。

 さて、今後注目すべき業界の一つは自動車産業であろう。電気自動車時代の到来により、独立した製品(スタンドアローン)であった自動車は情報ネットワーク、電力ネットワークとつながったネットワーク製品となり、別のサービスレイヤーと結びつくことによって、社会システムそのものが大きく変化することになる。

 世界がネットワークで結ばれる現代においては、技術を活かした事業でも他の商品サービスとつながらなければ、どんなに高い技術でも埋もれてしまい意味をなさないものとなってしまう。外の階層と結びついて社会価値・経済価値を生むことが、優れた技術を活かすことになり、それがなければ社会貢献は成されないのである。

 製品の急所技術の開発、標準化を含む知財マネジメントの展開、新興国を「与力」として活用するビジネスモデルの開発—。「技術という知を使う知」の時代には、この三位一体経営が求められる。

 科学技術立国を標榜(ひょうぼう)する日本の産業界は、研究開発により生み出される高度な技術とともに、商品サービスシステムを俯瞰(ふかん)的に認識し、変容する社会に適合した事業戦略を果敢に展開することが必要である。「知の開発」だけではなく、「知を使う知」の開発を行うべき時代であることを切実に認識していただきたい。

東京大学特任教授(知的資産経営、東大イノベーションマネジメントスクール校長役)、NPO法人産学連携推進機構 理事長 妹尾堅一郎 氏
妹尾堅一郎 氏
(せのお けんいちろう)

妹尾堅一郎(せのお けんいちろう)氏のプロフィール
慶應義塾大学経済学部卒、富士写真フィルム株式会社を経て90年英国立ランカスター大学経営大学院システム・情報経営学博士課程修了。産能大学経営情報学部助教授、慶應義塾大学助教授、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授、東京大学先端科学技術研究センター特任教授(知財マネジメントスクール校長役)などを経て、2008年から現職。内閣知財戦略本部専門調査会長、産業構造審議会産業競争力部会委員なども。著書に「技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか」(ダイヤモンド社)など。

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